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ONLOOKER  作者: 鳴瀬倉
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麗しの彼女と事件2

 翌日。授業の合間、メールが入っていることに気付いて、直姫と真琴は中庭に出た。西校舎と北校舎の間にできた日陰に、目立つ五人が勢揃いしている。

 渡り廊下を通る生徒がちらちらと視線を寄越す中、話を聞いていた真琴は、思わず声を上げた。


「え、豊中さん、昨日は欠席だったんですか!?」


 聖が直々に聞き込み調査を行うまでもなく、入った情報は、そんなものだった。昨日の時点では最有力候補だった彼は一昨日から風邪をこじらせて学校を休んでおり、昨日の放課後にあった出来事を、まだ知ってすらいないかもしれないというのだ。

 一般生徒には明かされていないものの、生徒会からは目を付けられている人物だ。わざわざ欠席の連絡を入れておきながら学校へ来て、普段ならば二年生の立ち入らない北校舎の屋上から、鉢植えを落とす。そんな目立つ行動を取れば自分を疑ってくれと言っているようなものだし、目立たないように出来ることではない。当然、ここ二日間で彼を見かけた生徒は、一人もいなかった。


「アリバイがあるってわけですにゃ」

「でも、あんな重い物をあの二人のどっちかが……? それとも、犯人は別にいるんでしょうか」

「いや、どっちにしても、誰にも見られないでなんて無理があるでしょ……昨日の鉢植えは放課後すぐだったから、北校舎にも中庭にも、それなりに人がいたし」

「じゃあやっぱり、不自然に思われずにやるなら……、三年生ですかね」

「ん……あれ、直姫?」


 ふと、ベージュのニットのベストを着て、シャツの袖を肘下まで捲り上げた直姫の腕に、聖が目を留めた。

 直姫に傷の具合を聞いた時は、たいしたことはない、紅が大袈裟に騒ぎすぎなのだと言っていた。きっと直姫のことだからどんな怪我でも平然とした顔をしているだろうと、念のために包帯を外して確認もしたが、本当にそれほど大きくも深くもない傷だった。本人も言っていたように、大きめの絆創膏でも十分に事足りそうなものだったはずだ。

 だが今、直姫の腕は、肘から手首までの大半が、真っ白な包帯で覆われていた。


「はい?」

「なに、その包帯? そんなに酷かったっけ?」

「あぁ、これですか」


 きっちり丁寧に、だがぐるぐると厚く手当てされている。知らない人が見れば、10cm近くもある大きな傷がその下にあると勘違いしても、おかしくはないだろう。実際今朝の1Bの教室では、直姫ににこやかに挨拶したあと、腕に目を移して小さく悲鳴を上げる女子生徒が相次いだ。眉尻を下げて自分のことのように心配するクラスメイトたちに、心配いらないよと切なげな苦笑いを浮かべる直姫と、申し訳なさそうな表情をする真琴がいた。


「大怪我、に見せようと思って」

「どういうことだ? 犯人の良心に訴える狙いか?」

「それも一つ、ですかね」


 怪訝そうに眉を潜めた紅に、直姫の言葉を引き継いで夏生が言う。どうやら、直姫にそれをアドバイスしたのは、彼らしい。


「もし犯人の狙いが紅先輩一人だとしたら、全く関係のない人間が被害に遭ったことになるでしょう。でももし、標的が生徒会だったら?」

「……直姫が大怪我しても、なにも感じないだろうな。むしろ思うつぼ、か」

「だから、これに対する反応で、犯人の狙いを知れるかと思って」

「それに、犯人の狙いが分かれば、範囲も絞れると思うんです。生徒会が標的だとして、紅先輩にだけ集中攻撃してる理由とか」

「それって……単純に、同じ学年で狙いやすいから、とか……?」

「そういう可能性も、あるってこと」


 色々と考えを言いはしたが、打つ手がない今、それ以外になにもしようがないのだ、ということは、誰もがわかっていた。わかっていたが、わざわざ口にはしない。

 筋が通っていないわけではないが、それは犯人に、他人が怪我したのを見て、痛む心があった場合の話だ。無関係の人間がどうなろうが、良心の呵責を少しも感じないような人物ならば、通用しない。ただでさえ、悪意を持って紅への密かな攻撃を仕掛けてくるような人物だ。陰湿ないやがらせといい、昨日のような手段を選ばない物理攻撃といい、紅がどうなったって一向に構わないという、冷酷で非道な印象を受ける。相当憎んでいるか、もしくは加減が分からないかのどちらかだ。

 良心は、動くのだろうか。


 ◇


「直姫くんっ!? どうしたのそれ!」


 休み時間、北校舎の廊下ですれ違って目を見張ったのは、生徒会外では唯一直姫が女であることを知る、東千佐都だった。

 どうやら、男運が悪いぶん過去の失恋を引き摺らないたち、というのは本当のようだ。あれ以来、直姫が彼女の幼馴染みたちに絡まれそうになった時に助けてくれたり、校内で鉢合わせればこうして言葉を交わしたりもするようになった。良き友人とまではいかなくても、あまり詮索もせずに理解を示してくれる人間が一人でも多くいるというのは、直姫にとっても少し気分が軽くなる。

 千佐都は、悲痛な表情を浮かべて直姫に駆け寄ってきた。目線はもちろん、直姫の腕だ。

 夏生に助言された方法は少しずつ功を奏し、四時間目が終わる頃には生徒の多くが、『生徒会のあの一年生が大怪我したらしい』という噂を口にするようになっていた。あの、という言葉にどんな意味が含まれているのかは、今のところ考えないようにしている。


「実は……昨日、割れた鉢植えの破片で。うっかりしてました」


 それが、夏生に入れ知恵された言い訳だ。

 肝心な部分は濁しているが、聞く人が聞けばすぐにぴんとくるような、曖昧な言い方。重要なのは、『昨日』『鉢植えの破片』という言葉だ。人によっては、自分で割ってしまったとも取れるし、そうでないとも取れる。どこでとも、昨日のどの時間とも、明言はしない。

 直姫が事情を聞かれるたびに話してまわるその裏に、どんな噂が潜んでいるかと、犯人は気が気でないはずだ。放課後中庭でのことだとバレているかもしれないし、それが何者かによって上から落とされたものだということも、皆が知っているのかもしれない。もしかしたら、誰の仕業なのかも、もう噂されているのかも。

 それに怖じ気づいて嫌がらせが止んでくれれば、それはそれで良い。もし止まなかったとしても、嫌がらせを続ければ続けるほど、本校きっての頭脳が七つも集まった集団に、手掛かりを与え続けることになる。

 どちらにしても勝算がそれなりにあるからこその、賭けのようなものだった。


「大怪我じゃない……痛む?」

「平気ですよ。痛みには強い方ですし」

「かわいそう……お大事にね」

「ありがとうございます」


 そう言って別れた小さな背中を眺め、放課後までには三年生の間でも知れ渡っているだろうと予想して、直姫は歩を進めた。


 ◇


「おぉ、直姫。どうだ、調子は?」


 紅にいつもの溌剌さがあまりないのは、直姫の怪我や、大怪我のふりが、自分のためだという負い目を感じているせいだろうか。肩を少しだけ上げて小首を傾げて、直姫は答えた。


「もうだいぶ広まってきてると思います。先輩の方はどうですか?」

「私は、その……大丈夫だ」

「止んだわけではないんですね……?」

「……まだ、直姫の怪我のことを知らないのかもしれない」


 普段に比べれば、元気がないのは明らかだ。だがそれは、直姫が彼女をそれなりに知っているからそうわかるのであって、他の生徒からすれば、石蕗紅が嫌がらせを受けているということすら、ただの噂だったのだとか、もうとっくに終わった話なのだとか、そんな認識なのだろう。

 紅は、直姫のフェイクが、ただ犯人の良心に訴えかけるためのものだと、本気で思っているようだった。夏生や直姫にしてみればそれはおまけのようなもので、噂を広められるだけ広めて犯人を疑心暗鬼に陥らせることこそが、真の目的である。犯人にまで直姫の怪我の噂が届けば、同情心や良心の呵責を感じて危険ないやがらせをやめてくれると、紅は本当に思っているのだ。こんなに優秀な頭脳をもってして、どうやってこんなに無垢に育つことができたのか、直姫には不思議でしょうがない。


「……わかりました。それじゃあ、失礼します。今日は生徒会室、行かなくていいんですよね?」

「あぁ……直姫、なにか用事があったんじゃなかったのか?」

「いえ、とりあえず校内を適当にうろつけって言われただけなんで」

「夏生か? 相変わらず人使いの荒い奴だな」


 紅の心からの笑顔は、いつも、控えめだ。大きな目を細めて、歯を少しだけ見せて、とても不器用に笑う。

 だからこそ、そこに表れる変化がわかりにくいのだろう。彼女はここ二週間近くもずっと、細やかだが陰湿で、辛いというよりは面倒で、悲しみよりは苛立ちが先にくるような、そんな行為を人知れず受け続けているのだ。そのストレスはどれほどのものだろう。


(……強い、な)


 その強さや底なしの人の良さには、あまり見倣いたくはないと、直姫は思う。



 ◇◇◇


 はじめにその美貌に浮かんだのは、「またか……」とでも言うような、呆れと諦めと落胆がない交ぜになったような、そんな表情だった。

 周りに人がいないことを確認して(こんな早朝の学校に、彼女のように部活動の朝練で来た生徒以外の人なんていないことは、わかっているのだが)、手にした封筒を手早く開ける。封筒の端を乱暴に破り取る指先の持ち主が眉を寄せたのは、苛立ちのせいだ。

 しかし、その中身がぱらぱらと足許に零れ落ちた時、悪い意味で心臓が高鳴った。胸元の太い血管にカミソリを入れられたみたいに、ぞくりと大きく鼓動が鳴る。濡れたような漆黒の瞳が、見開かれて、きゅうと小さくなった。喉がひきつったような音を出して、思わず封筒を取り落とす。

 柔らかなからすば色は、どう考えても彼女のものと見紛えそうなほど似ていたし、恐らく犯人の狙いもまさにそこだ。これは、ついに脅迫に出た、ということなのだろうか。

 動き方を忘れたように、ただ俯いて足元を凝視し続ける彼女の背に、かけられた声があった。



 准乃介は、こらえることもなく大きな欠伸をしながら、噴水の横を通った。紅が剣道部の朝練がある日だというから、合わせてずいぶん早く家を出てみたのだ。昨日のうちに、急がないなら南校舎のアーチで待っていて、と伝えてあったが、門を通った時にその姿はなかった。絶対に人を待たせることのない彼女のことだ。先に行ったのだろう。教室で待つか、道場を覗きにでも行くか、なんて考えながら、眠気の残る足を引き摺って歩いていたのだが、昇降口へ来た時、准乃介は足を止めた。まさに思っていた人物が、背中を向けて、そこに立っていたのだ。


「……紅?」


 後ろ姿に声をかけたら、その肩が、びっくりするくらいに跳ねた。ちょうどよかった、と言おうとした口を、閉じる。

 ゆっくりと、本当にゆっくりと、紅は振り返った。その顔があまりに蒼白で、ぎょっとする。かたかたと震える唇が、薄く開いて、「じゅんのすけ、」声に出さずに、呟いた。


「紅!? どうしたの、」


 肩に手をかけると、縋るような目を、准乃介に向ける。なにか言おうとしてわなないた唇は、なにも言わないまま閉じた。再び足元に落ちた視線の先を追って、准乃介は、息を呑んだ。

 毛先を鷲掴みにしてそのまま切り取ったような、大量の髪の毛の束が、無造作に散らばっていたのだ。それが真っ黒だったので思わず、紅のポニーテールを確認する。目の動きで准乃介の考えが分かったのか、紅は、今度はちゃんと口を開いて、声を出した。


「私のでは……ない」

「……じゃあ、これ」

「脅し……だと、思う。たぶん」

「本物かな」

「わからない」


 ふるふると首を振ると、細い絹糸のような髪が、動きに合わせて揺れた。改めて見れば、足元に落ちているものと紅の髪とでは、滑らかさもつややかさも、比べ物にならない。だが、二人を動揺させるには、十分すぎるほどだった。

 紅が、ぎゅ、と固く結んだ拳を、右手で握り込む。震えを抑えようとするようなその仕草が、彼女にしてはあまりにもはかなげで、頼りなくて、准乃介は手を伸ばした。


「……准乃介?」

「大丈夫、」


 男にしては華奢で、華奢というには大きくて、爪が短く指の長い手が、紅の両手ごと包み込む。目線は彼女の拳に固定したまま、もう片方は頭の上で、ぽんぽん、と軽く撫でるようにして。そして、目は合わせないままで、頷く。囁くように、もう一度「だいじょうぶ」と言った。

 紅の目元が、少しだけ和らぐ。力の入った両手もいつのまにかほどかれて、准乃介の手を握り返していた。


 ◇


 その日、彼ら七人が生徒会室に集まったのは、昼休みだった。情報交換だけならばわざわざここまで出向くこともないが、今朝の事件はさすがに、他の生徒に聞かれていい話ではない。


「うーん……たぶん、本物の髪の毛にょろねぇ」

「えっ、こわい」

「エクステとか、いいやつはだいたい人毛にゃよ? ネットで簡単に手に入るし、そんなに珍しくないにょろ」

「そうなんですか!?」

「脅迫状には、なんて?」


 そう訪ねた直姫の手に、ひらりと一枚の紙が落とされた。封筒の中に、髪の毛と一緒に入っていたものだ。

『生徒会をやめろ。生徒会に近付くな。』赤い文字で、それだけが書かれた真っ白い紙は、異様以外のなんでもない。


「犯人の狙いは、紅先輩の孤立……?」

「じゃあ犯人は玉川?」

「いや、でも、生徒会の中の誰かから、紅先輩を引き離したいのかも」

「順当に考えれば、紅先輩が特別仲良いのは、准先輩にょろねぇ」

「べっ、別に特別なんかじゃ」

「はっ……! もしかしたら、あたしかもしれないにゃ」

「バカなの」

「無視か!?」


 可能性として考えられるのは、三つだ。

 まず、犯人が、紅を孤立させるのが目的で、いやがらせをしている場合。紅に悪感情を抱いているために、紅にとにかく辛い思いをさせたい、という動機だ。例えば紅に恨みがあるとか、紅がいつも人に囲まれているのが気に入らないとか、嫌悪感を抱いているとか。容疑者として挙がった三人のうちなら、紅と折り合いが悪かったという剣道部の後輩、豊中が当てはまるだろう。

 だが豊中は一昨日中庭での事件があった日、前日から風邪で休んでいた。目撃情報ももちろんない。もしも彼が犯人なら、欠席なんてしないほうが事がスムーズに進むはずだ。それに、紅を孤立させたいのなら、紅本人よりも、周囲の人間が彼女を輪から外すように仕向けるだろう。紅の評判を落とすような噂を流すのでも、一緒にいるデメリットを感じさせるのでもいい。紅ただ一人に脅しをかけるようなことを言ったって、まるで意味がないのだ。行動にあまりに整合性がないため、豊中犯人説は、少し考えにくかった。

 あるいは、紅を孤立させたい理由が、彼女が好きだから、という場合も考えられる。紅が自分から独りぼっちになるよう仕向けて、そこに自分がつけ入る、という目的のためだ。彼女には自分しかいないと思い込ませるための前段階という、狂気じみたものである。紅に片想いを続けているという玉川が犯人ならば、その可能性も捨てきれない。

 最後の可能性は、紅への嫉妬心だ。脅迫状の内容そのままの意味、つまり生徒会の一員である紅が羨ましくて妬ましくて引き離してやりたい、という動機だ。その場合、三人の容疑者に当てはめるならば、准乃介のファンである里田が、彼との仲を引き裂きたい一心で、ということになる。誰の目から見たって、どんな女性にでも均等に優しい准乃介が、紅だけを特別扱いしているのは明らかだからだ(この際、紅の必死の否定は聞き流すのが得策である)。

 恋宵の言ったように、生徒会役員の誰でも可能性があるのは確かだ。だが他の役員、例えばさっき茶化して言ったように恋宵ならば、聖や夏生のほうが仲が良いのだから、標的が紅になることは考えにくい。紅と、真琴や直姫との間にも仲の良い先輩後輩として以上の関係はない。とりあえず今は妥当なところとして、准乃介だと考えていていいだろう。

 と、不意に、しばらく黙り込んでいた直姫が、口を開いた。


「あの、夏生先輩」

「なに、直姫」

「……放課後、ここに呼んで欲しい人がいるんです」

「え?」

「直姫、犯人分かったの!?」

「うん、多分。本当はもっと早く、気付けたはずだったんだけど」


 なんだか意味深長な物言いだ。真琴は訝しげに首を捻った。恋宵や聖も、似たようなものだ。紅も、不安げに表情を曇らせた。そんな中で夏生は平然と、直姫に視線をやる。

 そして、もう一人。直姫の言葉に驚くどころか、薄く笑みさえ浮かべて見せた人物が、いた。


「それってもしかして、一昨日とか」

「え」


 むしろ直姫のほうが、わずかに驚いてしまう。それから彼女は、苦笑いをこぼした。


「……さすが、准乃介先輩」



 ◇◇◇


「……どうしてあなたがここへ呼ばれたか、わかりますか?」

「そんなの……わかるわけ、ないじゃないですか」

「本当に?」


 いつものことながら、夏生の表の顔の影響力には、呆れすら感じるほどに圧倒される。この生徒会室へ招かれた人間はまず、扉が閉じられた瞬間に、一気に温度が下がったような錯覚に陥るだろう。そして、自分の目の前に横柄な態度で座る人物が、本当に“あの”生徒会長で間違いないのだろうかと、目を疑う。もしかして、このギャップを演出するために、普段は猫を被っているのではないだろうか。真琴はそんなことを考えながら、ソファに座った夏生と、テーブルを挟んだ向かいに座る人物を見た。

 なにかしらの反応を待って、夏生は口を開く。人を見下したような無表情で、試すような視線で、淡々とした低い声で。そんな彼と対峙した人は、驚き、不信感を抱き、恐怖してから、その後に怯えた表情を浮かべるか、反撃に出るかに分かれてくるのだ。


「彼……西林寺の怪我のことは、知ってますか?」

「あ、はい……植木鉢の破片で、大きく切ってしまったんでしょう?」

「えぇ。そうらしいです」

「大丈夫なんですか?」

「平気です」


 夏生の後ろに立った直姫は、するりと包帯を撫でて、目を伏せた。口ではそう言いながらも、まったく平気ではないというような表情を浮かべている。できうる限り最高に健気に振る舞っているのだ。


「ただ……破片の片付けが間に合わなくて。他の誰かがまた怪我をしたらと思うと、心配で……」

「でも、中庭なら用務員さんが毎日掃除をしてくれるんじゃ……?」

「あ、そっか……そうですよね」


 目をぱちりと瞬かせて、はにかんでみせる。夏生は、直姫と対照的なほど表情を消していた。


「ご心配には及びません。きっとすぐ治りますよ。……ただ、変なんですよね……」

「な……、なにが、ですか?」


 なにを考えているのかなんてさっぱり読み取れないだろうに、その人は、夏生の顔色を窺うように見た。なにか下手を打っただろうか、なにか変なことを言っただろうか。焦りと怯えの浮かんだその表情のほうが、よほど不自然だということに、気付いていないのだろうか。

 夏生の今の言葉は、分岐点だった。相手がどう出るか、二つのパターンに分けるための。


「彼はこの怪我について、『割れた植木鉢の破片で怪我をした』以上のことは言っていないんですが。どうして中庭だと?」

「え?」

「君、中庭っていうのは本当?」

「えぇ、本当ですけど……誰にも言ってないのに、なんで知ってるんですか?」


 わざとらしいやりとりと、腹が立つほど不思議そうな顔。真琴はなるべく真剣な顔を心がけていたが、隣に立つ聖は、眉と口許をひくつかせた。今宵が、睨み付けるような目配せをする。


「あ……一昨日中庭で悲鳴を聞いたって、誰かが言っていて」


 矛盾のない言い逃れの方法がその辺に浮かんででもいるかのように、ぐるぐると視線を泳がせて、その人は言った。音を立てずに大きく息を吐いたが、肩は上下してしまっている。

 こちらだって当然、その程度の切り返しを予想していなかったわけはない。完璧な外見から感情だけ消し去ったままで、夏生はなおも言った。


「悲鳴? 誰のです?」

「石蕗さんのです。中庭から、確かに聞こえたと」

「石蕗先輩の悲鳴が聞こえたことと、西林寺が怪我をしたこと、どうして関係があると?」

「それは、その……さぁ……」


 誰とも目を合わせないままで、首を傾げる。そこまで相手の動揺を誘ってようやく、夏生の表情が動いた。バランスの整った二重瞼をゆっくりと細めて、薄い唇の端が、持ち上がる。微笑みだというにはあまりに冷ややかで、いつもの穏やかさ爽やかさとはかけ離れた、そんな笑みだった。


「変なこと聞いて、すみません。実は今日の本題は、このことじゃないんですよ。西林寺が、あなたに話があるというので」

「え……?」


 その人は、わずかに目を見開いた。夏生の不気味なほど美しい笑顔も気になったかもしれないが、それよりも、直姫とは、ほとんど面識がなかったからだろう。顔を合わせるのも、前回ここへ呼ばれたのと今日とでまだ二度目だし、ましてや話したことなど一度もない。そんな下級生が自分に話があるというのだから、不思議に思って当然だろう。しかも、さっきの夏生との会話に、まだ説得力のある答えを返していないのだ。直姫が夏生の隣のソファーに腰かけるのを、落ち着かない様子で見ていた。


「はじめまして、で、いいですよね」

「あ、あの……話、って……?」

「濁す必要もないので、単刀直入にお聞きしますが」


 ふとその人は、表情を固くした。気付いてしまったのだろう。

 似ていたのだ、とても。自分と対峙している二人の、雰囲気が。視線の合わせ方が。


「石蕗副会長への嫌がらせの犯人、あなたでしょう。 ……里田さん」


 まったく違う顔、違う表情で、同じ空気を醸し出す二人の少年を前に、その人──里田麻奈美は、瞠目したまま、笑っていた。


「な……なに、言ってるんですか?」


 声が震えているのは、怒りか、焦りか、どちらにしろ動揺しているのは確かだ。口許だけの笑みも、笑いというよりは、ひきつった表情筋が口角をわずかにつり上げているだけのものだ。

 一方の直姫は、浮かべていた一切の表情を消していた。彼女が夏生に教わったのは、他人に好感を与える微笑み方や仕草だけではない。


「動機はなんですか? 紅先輩への嫉妬?」

「ちょっと、いきなり失礼じゃないですか」

「今朝の脅迫状からすると……やっぱり准乃介先輩絡みって考えるのが妥当ですかね」

「……っあなたね、」

「で、やったのかやってないのか、どっちなんですか」


 たたみかけるような物言いは、相手の平静を乱すため。顔色や声色から感情を殺すのも、そうだ。夏生の常套手段を、直姫は忠実に再現しているようだった。

 実際、なんのぶれもない瞳をまっすぐに向けられた里田は、言葉を詰まらせる。


「……濡れ衣よ。それだけで、私を犯人だって決めつけるのは、おかしいじゃない」


 それでもなんとか、眉を歪ませて言い返した。里田の言うことは、紛れもなく正論だ。動機だけでは、犯人だと断定できる理由にはならない。物的証拠が重要なのだ。

 だが、直姫は言った。


「一昨日の放課後、中庭に紅先輩の悲鳴が上がったとき。里田さん、どこにいましたか?」

「どこって……、家に帰りました」

「いえ、あなたは北校舎にいましたよね。さっき言ってた、悲鳴を聞いた人がいるって、あれ、里田さんのことでしょう?」

「……違うわ」

「へぇ、否定するんですね……」

「だって違うもの」

「嘘吐かないでくださいよ。放課後あなたの姿を見たっていう人もいるんです」


 いつになく強気に話す直姫の言葉に、真琴は、思わず声を上げて立ち上がりそうになった。そんな目撃者の話など、少なくとも彼は一言も聞いていない。なんとか声と動きを抑えて目配せを送るが、聖や恋宵、そして今回の中心人物である紅さえもが、同じように不思議そうな顔をしている。情報交換は欠かさずこまめにしているはずだし、こんなタイミングで連絡ミスなんてことはないだろう。彼らが聞いていないのではなく、そんな情報は存在しない、ということだ。もしかして直姫の発言は、口から出任せなのだろうか。思わず、一歩下がって傍観している彼に、流し目を送った。


(准乃介先輩)

(ん?)

(ん、じゃないです、どういうことですかあれ)

(俺も聞いてないよ)

(いいんですか? あんなこと言って)

(んー、だいじょぶじゃない?)

(でも、証拠の捏造なんて)

(いーから見てなよ)


 准乃介がこんな反応をすることは薄々わかってはいたものの、真琴は困ったように眉を下げた。あんなことを言って本当に里田が一昨日の放課後別の場所にいたとしたら、大問題である。ここまで失礼な態度を取られれば、いくら内気そうな彼女でも、泣き寝入りなんてしないだろう。『悠綺高校の生徒会』が生徒に濡れ衣を着せようとしたなんて、絶対にあってはならないことだ。真琴は、不安を隠そうともせずに、応接スペースを見つめた。

 うろうろと視線を泳がせていた里田が、ぱっと顔を上げる。


「あ……そう、忘れてたわ、一昨日はペンケースを忘れて、一度教室に取りに戻ったんです」

「本当に?」

「本当です」

「紅先輩が悲鳴を上げた時、なにしてたんですか?」

「だから、その時間なら、ペンケースを取りに戻って、教室を出るところだったって」

「その時間?」

「え?」


 直姫の問い詰めるような口調が、一瞬ぴたりとやんだ。里田は、拍子抜けしたように聞き返す。直姫は、小さく眉を動かした。


「その時間っていつですか?」

「は? だから」

「自分は、紅先輩がいつ悲鳴を上げたかなんて、一言も言ってないんですが。知ってるんですね、“その時間”が五時前後だって」

「それは……」

「それなのに、その時校舎にいたのに、あくまであなたは、紅先輩の悲鳴は聞こえなかったと?」


 いつもならばまずありえないほど、直姫は饒舌だった。話し慣れていない感じはするが、直姫の隣で優雅にコーヒーカップを傾ける彼を、なんとなく彷彿とさせる。

 口だけはいつになく動かしながら表情は普段のままであることに、不気味さを感じながら、真琴はいまだ彼女の狙いを読めずにいた。そこまで質問で追い詰めて、どうする気なのだろうか、と。一昨日の放課後に里田が北校舎にいたことを認めさせたいのだろう、ということはわかるものの、今のところ、相手に隙らしい隙はない。直姫の表情が余裕たっぷりなためになにを考えているのかわからないが、もしかして、これは苦戦しているのだろうか。直姫は小さく首を傾げた。


「すみません、答えづらいこと聞いて。たまたま聞こえなかっただけかもしれないですよね」

「え、あ、はい……」

「それじゃあ、質問を変えますね」


 その瞬間わずかだけ、直姫の眦に愉快そうな色が浮かんだことに、誰も気づかなかった。


「そんなに、右上が気になりますか?」

「、えっ?」


 聞き取れなかったのではないだろう。言葉の意味が理解できなかったのかもしれない。これまでの会話の流れから、その質問をそこに持ってくる理由が、さっぱり分からなかった。

 里田麻奈美は、際立って長くはないが量の多い睫毛(それのせいか、彼女の顔立ちは極めて幼い)を瞬かせた。直姫はそんな彼女と目を合わせてから、自分から見て左上にちらりと視線を流してみせた。当然だが、そこには天井があるだけで、特になにもない。壁との境に、木製の繊細な飾りが挟まれているだけだ。


「さっきからずっとちらちら見てますけど。そんなに気になりますか?」

「え……いや、別にそういうわけじゃ」

「あ。ねぇ、知ってます? 人って嘘を吐く時、無意識に右上を見ちゃうらしいですよ」


 その時が、里田が生徒会室へ来てから直姫が、初めて笑みを浮かべた瞬間だった。里田はひくりと頬を引きつらせる。


「な……、そんなの、」

「ほんとですって、脳科学的に証明されてるそうですよ。里田さんここ来てから、何回右上見たでしょうね……」


 直姫にしては珍しい、少しだけおどけたような口調と、愉しげに歪む目許。見てはいけないものを見てしまったような、なんとも言えない表情を浮かべる傍観者たちが感じたのは、既視感だ。誰に似ているのかなんて、言うまでもない。思わず夏生を横目で見てしまった聖の視線は、いわば代弁であった。

 そして、彼らがどことなくやるせないような表情を浮かべている中で、彼女だけは追い詰められ、余裕をなくしていた。ここで余裕をなくすことがほとんど自白のようなものだということは、気付いているのだろうか。口調も表情も、苛立ちをあらわにしている。


「なに言ってるの!? そんなの記録してたわけでもあるまいし、なんの証拠にもならないでしょ!? それともあなた、いちいち数えてたとでも言うの!?」


 行動パターンでいうならば、反撃と黙秘、里田はどうやら前者だったらしい。普段のおどおどした様子は、微塵も見られない。だが、苛立ちの矛先はまったく支離滅裂で、もはや論題がずれていることにさえ気付いていないようだった。

 しかし、対峙する少年のような少女は、小さく首を傾げた。そして、なんの躊躇いもなく、言う。


「え、記録ですか? それなら、実はこの部屋、防犯用に監視カメラが設置されてるんですよ。それを見れば、そのくらいすぐにわかりますけど」


 けろりとして言ったその言葉に、紅と准乃介だけがなぜか過剰な反応を見せる。慌てた様子に気付いたのは聖だけだったが、彼も目を丸くしただけで、唇を引き結んだ。


「本当にご覧になりたいですか? どのタイミングで右上を見ていたのか、も」

「それ、は……」

「この部屋に入ってからご自分がどんな顔されてるか、見てみるのもいいと思いますよ」


 目を見開いて直姫を見つめていた里田は、やがて瞼を伏せると、小さく「いらないわ」と言った。追い詰められたような、真っ青な顔色をしていることを、自覚していたのだろうか。言葉だけなら、冷静だったのだ、ついさっきまでは。ただ、表情はずっと、やましいことがあると白状し続けていた。

 とにもかくにも、悠綺高校全校生徒の憧れと言っても過言ではない石蕗副会長へのいやがらせ事件は、ついに動きを見せはじめていた。「だって、」と里田が呟く。


「だって、頭にくるじゃない」


 これ以上ないほど深く俯いた里田は、その不自由な姿勢のまま、ぽつりぽつりと話し続けた。


「持って生まれた美貌と、家柄と、権力と。成績も、大した勉強もしてないのにいつも学年首位だし、生まれつきの運動神経まであって……」


 自分では特に努力もせずに周りからちやほやされ、慕われ、いとも簡単に憧れの存在にまでなれる彼女が、その上、同じく憧れの対象である准乃介たちにまで大切にされる彼女が、羨ましくて羨ましくて、その感情はいつしか恨みに変わっていた。

 自分だって、元々の顔立ちがもっと良かったら、元々の要領がもっと良かったら、もっとお金持ちで由緒ある家の娘だったら。きりがないのは解っていても、考えずにはいられなかったのだという。

 溜まりに溜まった鬱憤を吐き出し尽くすように、低く呟く里田を見て、口を開いたのは、直姫ではなかった。


「あなたじゃ、どんなに生まれつきの才能があっても、紅ちゃんみたいにはなれないよ」


 面と向かって罵詈雑言を並べ立てられているのと変わらないような状況で、膝の上で揃えた自分の拳だけをずっと見つめていた紅が、顔を上げる。視線は、隣に立つ少女に向かっていた。


「……こ、恋宵……?」


 いつもの底なしの明るさと無邪気さは、すっかり鳴りを潜めてしまっている。恋宵は、見たことのないような冷めた目で、ただじっと里田を見ていた。あまり見ることのない真剣な表情は、この人は本当に恋宵なのかと、疑ってしまうほど険しい。里田は、忌々しげに眉を潜めて、恋宵を見返した。


「あなたに……なにがわかるの」

「あなたこそ、紅ちゃんのなにを知ってんの? 紅ちゃんがなんの努力もしてないなんて、本気で思ってるの」


 口調も荒く、恋宵は吐き出すように言った。怒ることに慣れていないみたいに、言葉の端々に震えがある。だが彼女は、なおも続けた。


「毎日3時間は竹刀握ってるの。手のひらはまめだらけだし、お洒落より筋トレが先だし。せめて髪くらい綺麗にって、お手入れに1時間かけるの。剣道のことばっかり考えてて、部活の後輩には強くなってほしいけど、厳しくしすぎて怖がられちゃったらどうしようって、本気で悩んで眠れなくなるような人なのっ」

「ちょ、こよ、い」

「ほんとはバカで不器用で心配性なの! テスト前なんかどれだけ勉強してたって不安そうにしてるのに、負けず嫌いだから、全然余裕なふりしてあたしに勉強教えてくれるのっ……!」

「ば、バカ!?」


 もはや、褒めているのか貶しているのかもわからない。ただわかるのは、紅の制止の声も聞かずに捲し立てる恋宵が、里田にどうしようもなく怒りを感じていることだけだ。


「全部強がりなのに、強がってるとこ見せないから憧れなんでしょ!? なんにも知らないくせに……っ」

「恋宵っ、もういい」


 泣きそうな顔をしていたのは、恋宵だった。眉は歪んで、目尻を真っ赤にして、悔しげに唇を噛み締めている。そんな恋宵の肩を引いた紅は、恨みがましく睨み付けてくる里田の視線から、顔ごと逸らす。そんな光景に、似たような無表情を向ける夏生と直姫。落ち着かない様子で所在なさげに佇む聖と真琴と、やはりなにを思っているのか分からない准乃介。奇妙な雰囲気を払拭することもせず、一番傍観に近い彼は、口を開いた。抑揚のない声を出す。


「逃げですか」


 その一言に弾かれたように顔を上げ、里田は表情を歪めた。夏生の、声質は柔らかいのになぜかなによりも無機質で硬く聞こえる声が、なにを言わんとしているのか。全てを一瞬で理解したのは、彼女本人だけだった。

 逃げ、だったのだ。自分は彼女のように輝かしい人間にはなれないと、端から諦めていた。最初からずっと言い訳をして逃げっぱなしだったのに、一度も逃げなかった紅を、身勝手な理由で苦しめた。恋宵の怒りは、里田の逃げと、子供染みた被害妄想に対してだったのだ。

 結局、扉を閉めて去って行くまで、彼女は謝罪の言葉もなにも言わなかったし、今にも零れそうにしながらも、ついに涙を流すことはしなかった。


 ◇


 沈黙を打ち破るのは、相当に困難なことのように思えた。いつもならその役割を自然に果たしてくれる彼女が、膨れっ面で鼻を啜っているのだ。彼女がそんなでは、聖だって乗るに乗れず、表情を窺うようにきょろきょろと目を泳がせるしかない。紅はやはりきつく握った掌を解けないままだったし、そんな重苦しい空気の中で口火を切る勇気も思い切りのよさも、真琴にはなかった。あとの三人が口を開く気すら見せないのは、単に面倒だからである可能性が大きいが、それでも多少気まずく感じていることは確かだ。極力静かに吐く誰かの溜め息が、あまりの静寂に、逆に耳に障る。それが一際大きく響いたあと、低く、誰かの鼓膜を震わせる気など毛頭ないかのように呟かれた声は、よく通った。


「直姫」

「……なんですか」

「さっき、なんであんな鎌かけたの」

「あぁ……あれ」

「えっ、ちょっと待って」


 何事もなかったように、なんでもないかのようにいつもの調子で話す直姫を、慌てて制したのは、聖と真琴だった。彼らは、未だほとんどの事情を把握しきれていないのだ。


「一昨日の放課後、北校舎で里田さんを見た人が……ってとこは、嘘なんですよね?」

「俺もそんなこと聞いてないよ? 鎌かけたって、どっから?」

「そのへんからほとんど全部、ですかね……」


 直姫の答えに、聖も真琴も、恋宵や紅までも、眉を寄せた。けろりとして答える彼女の真意も、根底の考えも、はじめから今までまったく読めないままなのだ。聖は、視線をさ迷わせた。


「えーと……直姫、いつから犯人わかってたわけ?」

「え、最初に話聞いた時ぐらいからですけど」


 一体全体、なにを考えなにを思っているのか、ほんの少し、小指の先くらいでいいから表情や態度に表してほしいと思うのは、間違いだろうか。今度こそ彼らは、思いきり顔を歪めた。


 ◇


「さあ直ちゃん、がっつりもっさり説明してもらいましょーか?」


 擬音というものは彼女に関してだけ、用途に意味はないに等しい。ニュアンスで、もしくはなんとなく面白いから使う。それが恋宵節なのである。

 まだ少し目尻を赤くしたり、唇を尖らせたりしてはいるものの、いつもの調子が戻ってきた恋宵が、腰に手を当てて直姫と向かい合った。その視線が注ぐのは、明らかな非難だ。


「いや、だって……確信はしてたけど、証拠もないのに言っちゃまずいかと思って……」

「だっても十手もないの! なんでもっと早く言わなかったの!?」

「十手って……」


 さっきまでの取り乱し方がああなだけに、普段通りにばっさりつっこんでいいのかもわからないし、その上、直姫は説教を受けている身だ。あまり強く出ることも出来ず、ぼそりと呟くに留めておいた。かといって、別の誰かがつっこんでくれるわけでもない。紅に至っては、聞こえていたはずなのに完全に受け流して話を進めようとしている。


「そうだぞ直姫! そしたらお前だって、そんな怪我をしなくて済んだかもしれないのに」

「えーでも……みんな薄々犯人分かってると思ってたんですけど……」

「でもも鱧もないってば!」

「鱧って……」


 三人のやりとりを聞いていた真琴が、顎に指を当てて言う。


「あれ、けど、直姫の怪我があったから、里田さんは犯人じゃないかもってことになったんですよね? あんな物持ち上げるなんて、実は意外と力持ちなんでしょうか……」

「紐で鉢植え吊るしてから石を入れれば、持ち上げなくても落とせるよ」

「あ、そっか……」

「むしろあの不自然な鉢植えがあったから、犯人は非力な人だろうって確信持てたんだけど」

「あぁ、底から真っ直ぐ落ちてきたから避けられたって言ってたよな……」


 里田が嫌がらせを仕掛けた方法は、様々あるとして、だ。そんなもの、彼女でなくても出来たに違いない。犯人候補に名前が挙げられていた他の二人である可能性だって、捨てるには十分ではなかったはずだ。直姫は、はじめに生徒会室に呼び出して話を聞いた時から検討がついていた、と言った。気になるのは、なぜそんなに早い段階で里田が犯人だと分かったのか、ということだ。

 状況は大雑把に、二手に分かれていた。早いうちから犯人の正体にぼんやりと気付いていた側と、そうでない側。前者は、直姫と准乃介、そして夏生だけだったようだ。


「とりあえず、あの三人以外だって可能性は、低いじゃないですか。もし、自分じゃない誰かが生徒会に目を付けられてるって分かったら、その人に罪を着せるために、わざとらしいくらい証拠を残すと思ったので」

「あぁ、それもそうだな……」

「あとはやっぱり、いやがらせの内容ですかね……。なんか、精神にくるやつだったり痛いやつだったり、あの手この手って感じだったんですけど。でもやっぱり、件数が増えるほど、女性の仕業って考えるのが妥当な方に偏ってきてて……詰めが甘かったんですよね」

「毎日休み時間のたびに、なにか見つけていた気がするからな……」

「サンプル数が多かったから、偏りがはっきりわかっちゃったわけっすね……」

「准乃介先輩も結構前から分かってました?」

「んー、なんとなく、ね。リップクリームで確信したかな」

「え、なんでっすか? あれこそ、誰にでも盗み出すチャンスあったじゃないですか」


 口を開けて首を傾げる聖に、夏生はちらりと視線を送った。流し目のままで溜め息を吐く。「な、なに」と、まず罵倒が来るかと身構える友人に、夏生は答えた。彼にしては珍しい、実に親切な対応だ。


「普通、リップクリームに針なんて思いつかないでしょ」

「えぇ、そうかにゃあ? 普段よく使う人なら、思いつくんじゃにゃい?」

「じゃ、あの三人の中で、そんなとこまで気を使ってそうなのは?」


 元剣道部員、いかにも体育会系の豊中と、紅に歪んだ好意を持つ玉川。どちらも、あまり外見に細かく気を配るタイプとは思えない外見だった。それに、里田は女子生徒だ。そんな嫌がらせを思い付くならば年頃の少女だろうと考えるのは、筋の通った話だ。

 それから、今朝の脅迫状も。同封された、無惨に切り刻まれた髪の束は、脅しに応じなければ明らかな悪意を持って危害を加える、それも、わざわざ紅の最大の魅力のひとつである、美しい長髪を狙うことを連想させる。少し短絡的ではあるかもしれないが、髪は女の命というほどだし、それが精神的に大きなダメージになるのをよく理解しているというのは、犯人が女性であることを示している気がしてならなかった。

 脅迫行為がそれだけだったとしたら、犯人の目的はわからないままだっただろう。紅に危害を加えたい、という、わかりきった漠然とした情報しか得られなかったはずだ。しかし髪の毛と一緒に入っていた脅迫状の内容から、やはり生徒会、特に准乃介から紅を引き離したい人、と考えるのが自然だということがわかった。そして、里田が准乃介の熱狂的な大ファンであることは、紅を嫌っているのではないかと噂が立つほどに、周知の事実だったのだ。


 直姫が犯人を特定できた理由は分かったものの、いまだに謎は残る。そんな根拠がいくつもあるのなら、わざわざありもしない証言をでっち上げたりしなくても、そのことを使って問い詰めれば良かったのではないだろうか。例えはっきりと口を割らなくても、紅への嫌がらせの事実と内容までは生徒会役員とごく一部の教師しか知らないのだから、どこかでなにかしらぼろを出したはずなのだ。もし相手がふてぶてしいまでに頭の回転の早い人物だったなら、逆にこちらが窮地に追い込まれていた可能性だってあった。

 その疑問をそのまま口にすれば、直姫は当然だとでも言うように、それこそふてぶてしく、言った。


「女子特有の嫌がらせだから分かったなんて、言えるわけないじゃないですか。じゃあなんでお前は分かったんだって話になるでしょ」


 それに、それだけじゃ決定打にはならないかなって。呟くように付け加えたが、つまりは、本当は女だということがバレる危険を恐れたのだろう。聖や真琴たちから見る限りでは、その心配はあまりないように思えることを、わざわざ口にする者はいなかった。直姫が眉を寄せる。


「先輩たちだってわかってたのに、どうせ同じような理由で言わなかったんでしょう。ずるいですよ、面倒な役回り押し付けて」

「そりゃー、だって……俺もほんとは女子なのかって疑われちゃったら困るじゃん?」

「身長186cmの細マッチョがなに言ってんスか」

「あ、先週測ったら188だったよ」

「まだ伸びんの!?」

「夏生なら、実は男装っ子って噂が立っちゃうかもにょろね」


 恋宵がそう言うと、夏生は聞こえるように舌打ちをした。これを言われるのが嫌で、黙っていたらしい。三人とも、いらない保身やらなにやらのためにあんな回りくどいことをしたというのだ。こっちは振り回されたんだから、このくらいの皮肉は言わせてもらって当然だろう、と聖が唇を尖らせた。


「右上とかもさーどうせほんとは適当なんだろ?」

「さあ……この間テレビで見ただけです」

「え? じゃあ防犯カメラは」

「ないでしょう」


 彼女の生意気なまでに堂々とした様子が、ある意味で功を奏したのかもしれない。あまりにも迷いや躊躇がみられなかったため、聖たちまであやうく信じてしまいそうになったくらいなのだ。紅と准乃介だけが再び、過剰な反応を示す。


「え? 嘘?」

「当たり前じゃないですか。ハリボテすらないでしょ。ほんとに見せろって言われたらどうしようかと思いました」

「な、なんだ、そうだったのか……」

「なんで先輩たちそんにゃ焦って……はっ! さては二人共、ここで授業サボってお昼寝してるにょろ?」

「そ、そんなことするか!」


 彼らが揃って慌てている本当の意味を、なんとなくでも理解したのは聖だけで、嫌な笑みを浮かべて目配せを送る彼に、准乃介は軽い睨みを返したのだった。



 ◇◇◇


 かくして、悠綺高校での生徒会副会長嫌がらせ事件は幕を下ろしたわけだが(後日、なぜか急に一人の女子生徒が、校風が合わないという理由を述べて転校した)、当の石蕗紅本人にとっては、全く関係のない疑問が一つ、残っただけだった。

 いつの間にか公認カップルである彼とも、客観的に見れば、特に以前より距離が縮まったというわけでもなく。独り言ともとれるような間と声量と声色とで、その名前を、彼女は呟いた。


「なぁ、准乃介」


 返事はない。返事はないが、彼が視線だけを自分に流していることは、その位置の高い顔に目を向けなくても分かっていた。反応のないことなど気にせずに、続ける。


「心配しているわけでは、ないんだ」

「……ん、」

「でも、直姫は……あんなだし、なにを考えているのかも、よく分からないだろう?」

「うん」

「なんだか、そっくりすぎて」


 主語がないのは、うぬぼれなどではなく、そんなものなくたって理解してくれると思っているから。あまり多くを話したい気分ではないのか、紅は、言葉を選ぶわけでもなく、しばらく口を噤む。気紛れに軽い溜め息を吐いてみたり、なにに対してだか、頷いてみたり。こんなマイペースな姿、榑松にだってあまり見せることはなかった。


「父上のことは、聞かないほうが、いいんだろうか」

「……多分、ね。それを隠すために、あんなことしてるんだろうし」

「……いつから、なんだろうな……」


 薄く笑って首を傾げる仕草は、ほとんど人に見せることのない、准乃介の困ったサインだ。紅はその顔を見るたび、いつもほんの少しだけ優越感を感じている。

 このことを、こんなふうに気にしているのは二人だけだろう(というより、きっと紅だけだ。もしかしたら、本人以上に)。しかしその後、彼らがそれ以上この話題に触れることは、なかった。


『なんだか、そっくりすぎて』


 誰にそっくりなのかも、知っているのは、二人だけ。

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