第三話 2 〈少年の知らない二人の約束〉
――1――
「貴様を、私の弟子にしてやる」
部屋に入ろうとしたら、ヒイナさんのその言葉を聞いた。
入り口で思わず立ち止まったわたしは、
「……よかった」
そう呟いて、微笑んだ。
とっても嬉しかったから。
あの時の約束をしっかりと守ってくれたことが。
そしてわたしは思い出す。
少年が気を失ってからのことを。
――2――
わたしは露天風呂から上がった後、前以ってヒイナさんから借りておいたお金でビンの牛乳を買った。風呂上がりに飲むのがわたしの習慣なのだ。
バスタオルを巻いたまま、わたしは腰に手を当て仁王立ちをし、壮大にそれを飲む。
「んん~~っ! やっぱりお風呂上がりの一杯は最高です!」
ちょっと今までのキャラとは違う事を言ってみた。
ビンを回収ケースに収めた後、わたしは浴衣に着替える。薄い青の簡素な長襦袢だ。
お風呂に入ったのは四日ぶりだった。盗賊に捕まってから、体すら洗えてもらえなかったから。あまり言いたくないけど、四日もお風呂に入ってないとさすがに臭いがキツイ。だから一緒にいたあの少年には、あまり近づかないようにしていたりする。
「……もう、大丈夫だよね」
念のため、わたしは再度自分の体の臭いを嗅ぐ。
大丈夫。石鹸の良い香りしかしない。この宿屋は結構良質な石鹸を扱っているみたいだ。
「ちょっと長湯しちゃったし、早く戻らないと二人が心配しちゃう」
一応わたしは今まで捕まっていて、一応これでも一国の王女。余計な心配は掛けたくない。
だから早足で部屋に戻る。
と、扉を開けたら部屋の中にはヒイナさんしかいなかった。あの少年の姿が見当たらない。
わたしは、二つあるベッドの片方に腰を掛けているヒイナさんに声を掛けようとして、
「……え?」
もう片方のベッドに寝かされている少年を見つけた。
眠っているようだけど、ただ眠っているにしては少し違う。
まるで熱病に侵されている病人みたいに、その体はピクリとも動かない。よく見れば息も荒いし、額には汗が滲み出ている。頬も若干赤みを帯びていて、額の上に置いてある水気を含んだ布が決定的だった。
「彼は、どうしたん、ですか……?」
「……」
「ヒイナ、さん……?」
途切れ途切れの問い掛けに、返事はない。
ヒイナさんに視線を向けると、彼女もまた、今までとは違う表情をしていた。何だかとても疲れているような、今までの印象からは絶対に想像できないような顔をしている。
空気が重い。ただ事じゃないとわたしは思った。
多分、あの少年の身に何かが起こっているんだ。
「一体、どうしたんですか!」
わたしは思わず大声を上げていた。ちょっとだけ、何も言ってくれないヒイナさんにむかついたから。何も知らないまま一人のん気に風呂に入っていた自分が、無上に腹立たしく思ったから。
すると、この時ようやく彼女はわたしに視線を向けた。
けど、その瞳には何もなかった。
「大丈夫だ。魔法などと言う慣れない事をやって、ちょっと疲れただけだ」
そしてその言葉にも、力はなかった。
とても大丈夫だとは思えない。ヒイナさんも。少年も。
「……どこが」
ふるふると。わたしの中から熱い感情が込み上げてくる。
そして、
「どこが大丈夫なんですか!」
本当の事を言わない彼女に、わたしはついに本気で怒鳴りつけていた。
「誰がどう見たって大丈夫じゃないですよ! 一体どうなってるんですか!? 何で彼はこんなにも苦しそうに眠っているんですか!? 何でヒイナさんはそんなにも疲れてるんですか!? 何で――ッ!?」
「――分かった!」
わたしの怒声は、ヒイナさんの更に大きい怒声に遮られた。彼女はわたしに掌を向けて、
「そう怒鳴るな。頭に響く。言われなくとも、ちゃんと話すさ」
――3――
「彼に力の結晶を使ったって……それ、本当ですか?」
ヒイナさんから事情を聞いたわたしは、言葉を失った。
力の結晶とは、今や幻の結晶とまで言われている超高級の宝石だ。とある大富豪が鉱山を丸ごと買い取った為、宝石としての価値が上がり、もはや王族や貴族のような大金持ちにしか手に入れられなくなった大宝。
そんな物を冒険者の彼女が持っていたと言うだけでも驚きなのに、それをあの少年に飲ませたなんて、もはや驚きの領域を越えている。
「ヒイナさんは知らないんですか? 力の結晶の副作用を」
「知っている」
「じゃあ何でそんな危険な事をッ!」
「奴に力を与えるためだ」
「力を与える前に、そのやり方じゃ彼死んじゃいますよ!?」
「死にはせん。死なせはせんさ」
「……」
強情な態度を崩さないヒイナさんに、わたしは言葉を止めた。これ以上何を言っても返ってくる返答は同じだと思ったから。
(一体、この人は何を考えてるの……?)
力の結晶は超高級品であるのと同時に、特殊な力を得られる軌跡の宝石でもある。だが、力の結晶の使用は多くの国で禁止されていた。
その理由は、使用した場合の生存確率が五パーセントにも満たないからだ。
100人それを使用して、無事生き残れるのはたったの五人。一昔前まではそこそこお金を持っていれば手に入れられた物だ。そんな色々な意味で危険な物に国が規制をかけない訳がない。
わたしは一回溜め息を付いて、
「力の結晶の使用はとても危険なんです。『1217エフェクト事件』。十二年前、軍事増強のためにディアル独立国が行った、騎士団員500人による力の結晶の集団投与。その結末は力の結晶の副作用により476人が死亡。この事件から、5パーセントなんて言う数字が出たんですよ?」
この話は世界的にとても有名だ。まともに学校に行っている者なら誰でも知っているだろう。それほどまでにこの事件は大きく、話題になったのだ。
「子どもにしては歴史に詳しいな」
「このぐらいは常識の範囲内です。ともかく、このままじゃ彼は死んでしまいます」
「……」
それは自覚しているのか、ヒイナさんは黙り込んだ。わたしは少年の額に乗っかっている布を退けて、そのまま額に掌を当てる。
「熱はざっと見積もって三九はあると思います。でもこの調子だと、放っておいたらもっと上がると思います」
額の汗の量も半端ではない。これでは少年の体力が持たない。
「こうなったら、魔法で何とかするしかないですね」
ヒイナさんはあまり魔法は得意ではないと言っていた。幸いわたしは治癒系の魔法は得意だし、魔力量にもそこそこ自信がある。
「やってしまった事を今更追及するつもりはもうありません。そんな事をやっている時間があるのなら、彼に治癒魔法を使っていたほうがマシですから」
彼女とこれ以上話し合っても埒が明かないと悟ったわたしは、浴衣の袖を捲くって治癒魔法の準備を始める。両の掌で合掌し、わたしが魔力を集めだすと、
「治癒魔法は無意味だ」
「……え?」
突然放たれたその言葉に、わたしは疑問の声をあげた。
「力の結晶の副作用は、どんなに強力な治癒魔法を掛けても決して治らない。薬草を使っても同じ。理由は分かっていない。私たちに出来るのはせいぜい、奴の体力と栄養分を魔法で補充してやる事ぐらいだ」
これは病ではなく、力を得るための試練だとヒイナさんは言った。治癒魔法は効果がない。私たちに出来る事は、試練を受けて苦しんでいる少年を援護する事ぐらいだと。
「何ですか、それ……」
「力の結晶を使った際の生存確率が低いのは、これも関係している」
そうか、とわたしは思った。魔法や薬草が効果ないのでは生存確率も下がるに決まっている。それはつまり、インフルエンザに薬が効かないようなものなのだから。
「だがまあ、これは私一人じゃ無理だったようだ。思った以上にきつい」
「……当たり前です。相手の体力や栄養分を回復させる魔法は、自分のそれを送り込んでいるんですから」
治癒魔法は、魔力を使い、体の細胞を一時的に活性化させる事で、傷の再生速度を驚異的に速くするものだ。プロの術者だと、けが人に掛かる負担も殆どない。
だが相手の体力や不足している栄養分を回復させる魔法は、魔力で相手と自分を繋げ、自分自身の体力と栄養分を送り込んで回復させるもの。それを発動した術者は魔力・体力・栄養分の全てを消費してしまう。
本来この魔法は二人以上で行うもの。一人が体力・栄養分を送り、もう一人がけが人と送る者を魔力で繋げるのだ。そうする事で多少は術者の負担も減る。
だがヒイナさんはそれを一人でやっていた。おそらく、体に相当の負担が掛かってしまう事を覚悟の上で。
そして、それはある決意の現れだと言える。
(この人は、本気で彼を助けようとしている……)
言葉だけじゃなかった。無責任に力だけを与えた訳じゃなかった。
自分の身を犠牲にして、力を全力で振り絞って、一つの命を救おうとしている。
その事にわたしは少しほっとして、同時に決心した。
「さっきはごめんなさい。何も知らないのに勝手な事ばかり言って」
「別に謝る必要などない。貴様の言っていた事は全て正しいのだから」
「ありがとうございます。……それよりもヒイナさん。まだ魔力は残っていますか?」
「ん? ああ、一応まだ残ってはいるが……って貴様、まさか!」
ヒイナさんの顔色が変わったが、わたしは構わず言う。
「そのまさかです。わたしの体力と栄養分を使ってください。何故だかわたしも、彼を死なせたくありませんから」
「本気か……?」
「はい」
「辛いぞ?」
「分かっています」
「しんどいぞ?」
「覚悟はできています」
「本当に、いいんだな?」
「はい」
何度も何度も確認を取って、わたしの最後の言葉を聞いたヒイナさんは、肩の力を抜くように溜め息を付く。いや、呆れたように、の間違えかもしれない。
「だが、一つだけ約束をしろ。もう無理だと思ったら絶対に言うこと。分かったな?」
とても真剣な面持ちで、ヒイナさんは言った。それにわたしは無言で頷き、
「じゃあわたしからも一つ約束してください。彼に力を与えるのなら、最後までちゃんと与えてあげること。いいですか?」
わたしのその言葉を聞いたヒイナさんが、何故か驚いたように目を大きく見開いた。だが、そっと息を吐くと彼女は口元で軽く笑い、
「ああ、分かった。約束する」
そうして、わたしとヒイナさんは高熱と言う試練に耐えている少年を援護する為、一人の魔力を使い、一人の体力と栄養分を送り込んだ。
――4――
それから三日が経った。
朝だ。山の向こうが輝き出した頃には、既に少年の熱は下がっていた。
「もう大丈夫そうだな。平熱に戻れば熱が上がる事はない。奴もそのうち目覚めるだろう」
ヒイナさんは立ち上がると、自分のバッグの中から着替えらしき物を取り出す。
「お風呂に行くんですか?」
「ああ。この三日間入ってなかったからな。貴様も来るか?」
「いえ。わたしはここで彼が目覚めるのを待っています」
「そうか。なら奴が目覚めたらそこに置いてある食べ物を渡してやってくれ。腹減ってるだろうからな」
「はい」
わたしは視線を部屋に一つだけあるテーブルに向けて、その上に置いてある木の籠を見つけるとそう返事をした。
部屋を出て行こうとしたヒイナさんだったけど、扉の前で不意に振り向いて、
「ああそれと、本人にはこの事は言うなよ?」
「この事?」
「力の結晶の副作用で三日間寝込んでいたって事と、その間私たちが介抱していたって事。奴には『力の結晶の副作用で、一晩だけ寝込んでた』とでも言っといてくれ」
なんで? とわたしが言い返す前に、彼女は部屋から出て行った。
そしてその20分後に少年が目を覚まし……。
――5――
「あ、アイラちゃんおかえり」
「ただいま、です」
部屋に入ったわたしは、少年に軽く挨拶をしてからヒイナさんの隣に立った。少年が再び籠の中にある食べ物に食い入るのを見計らって、少年には聞こえないように小さな声でヒイナさんに聞いた。
「どうして本当の事を彼に言わないんですか?」
「? 本当の事?」
「副作用で三日間ずっと寝込んでたって事とかをです」
「あーその事か。それはな……特に理由はない」
「え? 理由ないんですか?」
「ああ。いちいち説明するのも面倒だし、説明したとしてもその後がもっと面倒だ。色々追及してくるに決まってる」
それはそうだろう。いきなり『お前この三日間死にかけてたんだぜ?』とか言われて、はいそうですかで終わる人などそうそういない。
「第一、教えなくてもいいだろ。もう終わった事なんだし」
「でも、シュウジさん死にかけたんですよ? 副作用のせいで。やっぱり言った方がいいんじゃないんですか?」
命が危機に晒されていたのだ。例え終わった事だとしても、本人に黙ったままと言うのは色々まずいだろう。とわたしは思う。
「……確かにそれは言えてるな」
わたしの意見を聞いてヒイナさんは腕を組んで考え込んだ。
そして数秒後。
「ふむ。貴様の言うとおり、この事は伝えた方がいいのかもしれないな。……まあそのうち私から伝えておくさ」
「今じゃダメなんですか?」
「ダメじゃないが……、今はそんな気分じゃない」
この三日間の看病のせいか、さすがのヒイナさんでも疲労の色が表情に濃く出ていた。それはおそらくわたしも同じだろう。魔法などで抑えてはいるものの、もう体が限界だと悲鳴を上げているのが分かる。
(確かに、こんな状態で長話はしたくないですよね)
「分かりました。それじゃあこの事に関しては、ヒイナさんから後で彼に伝えると言う事で」
「ああ」
わたしの言葉にヒイナさんは同意し一回頷く。
「あれ? 二人でなにコソコソ話してるの?」
「いえ。別に何でもないですよ」
訝しげな視線を向けてくる少年に、わたしは笑顔でそう言った。




