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第八話:咲いたまま歩くもの

 花畑の向こうで、“それ”は立っていた。

 人の形だった。でも人間じゃない。

 腕から蔓が垂れている。

 顔の半分は花弁に覆われ、身体中から色んな花が咲いていた。

 赤。白。黄色。

 無秩序に咲き乱れている。

 まるで人間と花を無理やり混ぜたみたいだった。


「……なに、あれ」


 声が震える。

 旅人は前へ出たまま、小さく舌打ちした。


「最悪だ」


「知ってるの?」


「ああ」


 その瞬間。“それ”が動いた。

 ぐしゃり、と花を踏み潰す音。

 首がゆっくりこちらを向く。

 花弁の隙間から覗いた目は、濁っていた。

 でも。

 完全に死んでる目じゃなかった。


『……あ』


 声。掠れた、人間の声だった。

 ひなは息を呑む。


「旅人……」


「下がってろ」


 低い声。

 旅人の首元の痕がじわりと光る。

 青黒い花弁がまた一枚落ちた。


『さ、み……し……』


 化け物みたいな姿のまま、“それ”は言葉を零す。

 花が揺れる。

 身体中から花粉が舞っていた。


「……咲き残り」


 旅人が呟く。


「え」


「俺と同じだ」


 ひなは目を見開く。

 でも違う。

 旅人はまだ人間だった。

 けれど目の前のこれは、人間の形を保てていない。


「どうして……」


「壊れたんだろ」


 旅人は静かに言った。


「咲ききれず、戻りきれず、中途半端になった」


 その声はひどく苦かった。

 まるで自分の未来を見てるみたいに。


『いた、い』


 咲き残りが一歩進む。

 花弁がぼろぼろ落ちる。

 ひなは思わず後ずさった。


 (怖い……っ!)


 でも、怖いだけじゃなかった。


『かえ、り……たい』


 その声が、あまりにも人間だったから。

 旅人が前へ出る。


「見るな、ひな」


「でも……!」


「これはもう長くない」


 旅人の声は静かだった。


「苦しいだけだ」


 咲き残りが腕を伸ばす。

 花の塊みたいな手。

 その指先が、ひどく震えていた。


『たす、け……』


 ひなは息を止める。

 旅人が腰のナイフを抜いた。


「っ!?」


「ひな、目閉じろ」


「やだ!」


 旅人が一瞬だけ振り返る。

 その顔が苦しそうで、ひなは動けなくなった。


「……こうするしかない」


『あ……あぁ……』


 咲き残りの身体から、花が溢れていく。

 限界だった。もう人間の形を保てていない。

 旅人は静かに近付く。

 そして。


「悪い」


 小さく呟いた。

 次の瞬間ナイフが、咲き残りの胸へ突き立てられる。

 ぶわっ、と大量の花弁が舞った。

 赤、白、黄色。

 色んな花が、夜空へ散っていく。

 咲き残りの身体が崩れる。まるで砂みたいに。

 最後に残ったのは。

 一輪だけ。

 小さな白い花だった。

静寂。風だけが吹いている。

 ひなは動けなかった。

 旅人はしゃがみ込み、その白い花を拾い上げる。

 そして苦しそうに目を伏せた。


「……マーガレット」


「え」


「優しかったんだろうな」


 その声が、ひどく寂しそうだった。

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