第十一話:最初の花
陽菜の花を。
その言葉だけが、頭の中に残った。
夜風が吹く。
チューリップ畑が静かに揺れていた。
「……見つかってないの」
旅人は小さく首を振る。
「咲いた場所にはなかった」
「消えたってこと?」
「わからない」
旅人は写真を鞄へ戻す。
「でも、ないんだ」
その声は妙に空っぽだった。
ひなはなんとなく、その写真をもう見ちゃいけない気がした。
陽菜。
旅人の娘。
世界で最初に咲いた少女。
もし本当にその子が最初なら。
この世界は、一人の少女から始まったことになる。
「……恨んでる?」
気付けば聞いていた。
旅人がひなを見る。
「誰を」
「陽菜ちゃんを」
旅人は少し目を丸くした。
それから、困ったみたいに笑う。
「そんなわけないだろ」
即答だった。
「むしろ逆だ」
「逆?」
「俺はあいつを置いて生きてる」
その言葉が重かった。
旅人は静かに空を見上げる。
「だから探してる」
ひなは胸が苦しくなる。
この人はずっと。
娘に会うためだけに旅をしてる。
終わった世界を。一人で。
「……見つかったらどうするの」
旅人は少し黙った。
そして小さく言う。
「わからない」
風が吹く。
チューリップの花弁が舞った。
「でも、一回ちゃんと話したい」
ひなは目を伏せる。
その時だった。
『おにいちゃん』
小さな声。
黄色いチューリップが揺れている。
『かなしいの?』
旅人が目を細めた。
「……お前ら、本当にうるさいな」
でもその声は、少しだけ優しかった。
ひなは思わず笑ってしまう。
「笑うな」
「だって」
「ガキに慰められてる」
「二回目だね」
旅人は顔をしかめる。
でも少しだけ、空気が軽くなった。
ひなはチューリップ畑を見る。
小さな花たち。きっともう戻れない。
それでも。
ここに“いる”。
「旅人」
「ん?」
「花って、なんで咲くんだと思う」
旅人は少し考える。
それから、静かに答えた。
「……本音じゃないか」
「本音?」
「人間が最後まで隠してたもの」
風が吹く。
白いチューリップが揺れた。
「言えなかったこと」
赤。
「欲しかったもの」
黄色。
「諦められなかったもの」
青。
色んな花が、月明かりの下で揺れている。
「だから花が違う」
旅人の声は静かだった。
「咲く花は、その人間そのものだ」
ひなは息を呑む。
お母さんの青い花を思い出す。
静かな花。優しい花。
まるで、お母さんみたいだった。
「……じゃあ私も、いつか咲くのかな?」
ぽつりと呟く。
旅人がこちらを見る。
その目が、少しだけ揺れた。
「咲かない」
「なんで言い切れるの」
「お前は違う」
「だから何が」
旅人は答えない。
代わりに、ひなの手を見る。
「……お前、まだ一輪も持ってないだろ」
「え?」
「自分の花」
意味がわからなかった。
でも旅人は、それ以上何も言わない。
その時だった。ざあ、と風が吹く。
チューリップ畑が一斉に揺れる。
そして。
花たちが、一方向を向いた。
まるで何かを見ているみたいに。
旅人の顔色が変わる。
「……ひな」
「なに」
「静かにしろ」
空気が変だった。
風が冷たい。
チューリップたちが、ざわざわ揺れている。
次の瞬間。
遊園地の奥から、鈴の音みたいな声が響いた。
『――見つけた』




