十 尊い
ピンポーン。
扉を開ければ、将太の母親が立っていた。十軒向こうに住む将太は幼馴染みとも言える存在で幼稚園から中学までは同じクラス。一学級しかないから当然なのだが。キトの三倍ほどもある大柄な体格なのに勉強もスポーツもでき、性格もいい。いわゆるスーパーマンだ。野球のスポーツ推薦で地方の私立高校に進学した。
当然親同士も仲が良く、特にキトの母親は将太に心酔している。決して比べられることはなかったから、キトも彼が好きで、気の置けない友と言ってもいい存在だ。
「夜分にごめんなさいさいね。キト君、大きめの鍋を借りたいの。 おでん、作りすぎちゃって」
キトが鍋を持ってくると、玄関を借りると言って踏み込んだ彼女は、厚いマットを敷いて鍋を置き、密封袋に入ったおでんを流し込んだ。
「お口に合わなかったら捨てていいから。ショウがいないと残っちゃって。どうせ処分するんだもん」
柔らかく笑って帰って行った将太の母。彼女は時々、そう、母親が入院する前からこんな気の遣い方をする。
「あの子は本当にいい子でね。ああいうのを尊いっていうのよ。まぁ、将ちゃんの存在が尊いから当たり前だけど」
母の口癖。居るはずのない母の気配を感じて、ふうとため息をついた。
「ねぇ、キト。 これも美味しいの?」
食事のたびにアクアブルーの瞳を嬉しげに寄越すエイラ。キトは慣れた手つきで鍋を温めつつ、カチャカチャと食器を準備した。
カレーとおでん。無様な食卓にふさわしいと自然に笑みが溢れる。エイラ用の小皿を準備し、ぬるいはんぺんを1つ。
そして気づいた。
将太とは、幼稚園から行き来し合う仲だ。もちつもたれつ。泊まったことも、食事をしたことも数えきれない。だから知っている。
将太の家のおでんは三角形の蒟蒻で、キトの家はぐるぐると巻かれた白滝なのだ。そして……、今日のおでんも白滝。
作り過ぎちゃったという優しい嘘が、今更ながらに喉を締め上げ、母が尊いと言った理由がじんと染み渡った。
そういえば……。こんな時に不意に思い出すものなのだ。
先日のしわくちゃになった五千円札。倹約家の父の財布に入っている最高額。付き合いの悪い父は、外で呑んでくることもほとんどなく、財布には五千円と小銭のみ。そうだ、父は小銭入れをひっくり返していたのだから、ほぼ無一文になって帰宅したんだ。
最近はクレジットも電子決済もあるのだけれど、それらを器用に使うことがない父が、ありったけの財産をたかが高校生の路上ライブに注いだのかと思うと、情けなく、嬉しく、そして恥ずかしもあった。
キトは嬉しそうにはんぺんの角に食らいつく妖精を見て小さく呟いた。
「尊い」
ぐつぐつと煮えたぎるおでんと、懐かしさと食欲をそそるカレーの香り。たった二つの混沌とした不可思議な食卓。乾いたスプーンが柔らかな妖精の薄水色のワンピースを映していた。




