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藍子の武者修行  作者: 山口 にま
第三章
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強制された恋人

年明け、藍子たち天水道場組は福島県いわき市に向かう。いわき市に天水道場が属する瀧田流合気道会の本部があるのだ。新年の挨拶を兼ねて各道場は演武を披露する。

夕方から新年会だ。藍子は年末から飲み続けていて酒はこりごりだった。大悟と紗羅をいわきに残し、藍子一人上野行きの特急に乗る。特急は空いていた。藍子は無性に清彦を思い出し、ライブで撮影した清彦の写真をスマートフォンで見た。

途中駅で乗客の乗り降りがあった。器量の良い若い女性が車両前方から歩いて来る。彼女はエメラルド色のイヤフォンを耳に差していた。綺麗な女の子だなと藍子は思う。彼女は藍子の数列後ろの席に一人で座った。

十分後、彼女が藍子の横を通り過ぎ、車両前方へと向かう。同年代の男が後ろからべったりと体を密着させて。ふうん彼氏連れか。さっきは一人で席に着いていたのに。藍子は訝しく思う。


志穂は改札で友人と別れると一人で特急電車に乗った。電車が駅を離れ、暫くすると見知らぬ男が志穂の隣に座った。こんなに空いているの何で隣に座ってくるのかしらと不安な気持ちになる。志穂が飲み物を買いに行きがてら席を移ろうかと腰を浮かせると、男は志穂と共に立ち上がった。志穂の腰に固いものが当たった。志穂が目を落とすと、それは志穂の脇腹に突きつけられたナイフだった。ナイフの光を見て、志穂は全てを理解する。男は志穂に性行為を要求しているのだ。男は射抜くような目の志穂を睨み付ける。体を差し出すのか、殺されるのか。志穂には二つの選択肢しかない。男はナイフを握っていない方の手で、志穂の手首を強く握る。手首の痛みで志穂の目の裏に涙が滲んだ。男に引っ張られるように志穂は通路に出た。男は志穂の背後に回り、彼女の腰に当てたナイフを隠すように自分の体を密着させた。傍目にはカップルがいちゃついているように見えるだろう。この後志穂は強制された恋人にならねばいけないのだが。


男は志穂を歩かせて、車両の接続部にあるトイレに向かう。志穂はトイレに近い車両を選んでしまった事を死ぬ程後悔した。男は一度辺りを見渡すと志穂をトイレに押し込んだ。

トイレの中はアンモニアと消毒液が混じったような臭いがする。鏡の中には泣いている志穂がいた。こんな下劣な男と交合させられ、終わったら私は元の自分には戻れないだろう。見知らぬ男にいたずらされるのはこれで二度目だった。非力で抗議の声一つ上げられず、脅しや暴力で男に組み敷かれるしかない。

 志穂は知らぬ間に嗚咽を漏らしていたのだろうか、男が黙れと言わんばかりに志穂の頬に刃物を当てた。志穂は激しく喉を痙攣させながら唇を強く結ぶ。最早志穂には泣く権利さえない。鏡には泣き濡れた志穂と、志穂の頬にナイフを当てながら後ろ手でトイレのドア閉めようとする男、二つの顔が写っていた。志穂は穢されていく自分の姿を鏡で見ながら陵辱される事となる。


志穂と男はここで三人目の登場人物に気づく。鏡には三白眼の女が映り込んでいた。鏡越しに志穂と男は顔を見合わせる。男がドアを閉める前に、藍子もトイレに入っていた。彼女は志穂の背中にべったりと張り付いた男の行動を不審に思い、二人を追って来たのだ。

藍子は勢いよくトイレのドアを全開にした。男は反射的に藍子にナイフを振りかざした。藍子は三白眼のまま男に向かって行く。

次の瞬間にはナイフは藍子の手に渡り、男はトイレの外に放り出される。藍子はうつ伏せに倒れた男のそばに膝をつき、男の肘に逆関節技をかけた。男は足をバタつかせるも藍子の縛めから逃れることは出来ない。藍子は男の肘を固め続けながら大声で応援を呼ぶ。しかし車両へ続くドアの防音効果故か、はたまた藍子達に関わりを持ちたくないのか、誰も助けには来なかった。

「私がこいつを押さえつけておくから誰かを呼んできて」

藍子は志穂にそう命じるが、志穂は困った顔をして立ちすくんでいるだけだ。この女性には知的障害があるのだろうかと藍子は思う。


やがて騒ぎを聞きつけて車掌がやって来た。

「この男が刃物で女性を脅して暴行しようとしたんです!」

藍子は男を押さえ込んだまま車掌に訴えた。今頃になって野次馬が遠巻きに藍子達を見に来た。

「警察に通報します」

車掌は先頭車両に飛んで行く。

「被害届を出しますか?」

藍子が聞くと志穂は力強く頷いた。そして吐息のような声で

「ありがと」

と言った。ここで藍子は気づく。彼女は聾唖なのだと。


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