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藍子の武者修行  作者: 山口 にま
最終章 天水師範の修行
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ダラムサラ

バスは早朝ダラムサラに到着していた。標高一八〇〇メートル。中国人民解放軍のチベット侵攻から逃れたダライ・ラマ十四世を始め、十数万人のチベット難民が暮らす村だ。チベット亡命政府の官庁もこの地に置かれている。

朝靄に包まれた九月のダラムサラは肌寒い。天水はバスターミナルに近いホテルに滞在した。ホテルのスタッフは皆チベット人だ。ホテルの窓からえんじ色の法衣に身を包んだチベット僧を見ることが出来た。

 朝夕の勤行はゴンパと呼ばれるチベット僧の僧院で行われる。何百もの僧侶が集まり、むせ返る香の煙の中、法螺貝や太鼓の音とともに経を読んだ。本堂に隣接する広いバルコニーには多くのチベット人が集まり、それぞれ数珠を繰って祈りの時間を共にする。一人のチベット人が天水に薄いクッションを投げて寄越した。天水は軽く頭を下げてからクッションに座った。


ダラムサラ滞在で天水の一番の目当てはチベット医学暦法学研究所、メンツィカンへの来訪だった。メンツィカン内部は薄暗く、リノリウムの床が古い日本の小学校を彷彿させた。ここの医学コースではアムチと呼ばれるチベット医学の医者を、暦法コースでは月齢に沿ったカレンダーを作成し仏教行事の日取りを定める占星術師を養成しているのだ。

 「タシダレ」

天水はチベット式の挨拶をしてメンツィカンの事務所に入った。自分は日本の薬剤師資格を持っていると前置きし、

「聴講生のような立場でチベット医学を学ぶことは出来ないでしょうか?」

とチベット人職員に相談した。職員は天水の顔を穴の開くほど見つめ、

「ジャーパーニー?」

と尋ねた。

「イエス」

「いつまでダラムサラにいるのか?」

「ダラムサラには一週間しかいませんが、デリーには数年いるつもりです」

「ふうん。聴講生とは言わずにメンツィカンに入学してみたらどうだろう?試験は難関だが外国人枠を利用すれば受からない事もない」

「いや、そのご提案は現実的でなく・・・・」

メンツィカンの試験はチベット語でなされる。入試に突破するだけで一生が終わりそうだ。

「何故だ?あなたは薬剤師ではないか。医学の事は分かっているだろう」

「私が学んだのは西洋薬学です。それにメンツィカンの入学には年齢制限があると聞きましたが」

「うむ。一応二十四歳までとなっているがそれは話し合い次第だ。メンツィカンを卒業して一年間のインターンを経ればアムチ(チベット医学医)になれる」

そう目の前のチベット人はこともなげに言うのだった。

天水は職員の導きで薬草工場を見学した。工場内は漢方薬屋のような匂いがする。チベット人の男女が床に車座になり、薬草の選別をしていた。天水が挨拶をすると、彼等も笑顔で挨拶を返して来た。


ダラムサラは多湿な土地だった。毎朝のように霧が出て、日中小雨が降る。それでも雲間から光が差すとインドらしい強い太陽が大地を温めるのだ。

一週間のダラムサラ滞在は天水の気持ちを明るくした。常に天水を苦しめた喘息はダラムサラでは出なかった。こんな空気の良いところでチベット人達に囲まれて医学を学べたら、そんな願望が天水の中で頭をもたげた。しかしそれは余りに非現実的だ。メンツィカンの卒業には最短で五年かかる。卒業後天水は何歳になっているだろうか。そして卒業後の就職はどうするのだ。とても一時の熱情で決心出来る物ではない。一介の駐在員に過ぎない天水は、予定通りデリー行きのバスのチケットを購入した。

参考文献 小川康著『僕は日本でたったひとりのチベット医になった ヒマラヤの薬草が教えてくれたこと』



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