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藍子の武者修行  作者: 山口 にま
第九章
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私は行かない

 しかし大いなる不安を抱えているのが聾唖学校組である。天水は「各師範に伝達」とは言うものの本当に他道場が聾唖者を受け入れてくれるかは不明である。天水の聾唖者に対する考えは「特別扱いはしない。社会に出たら辛いことが多いのだから道場で甘やかしても仕方がない」だ。対して美紀は「社会に出たら辛いことだらけだからこそ習い事では彼らに寄り添い、今のうちに社会でやって行ける強さを身につけさせなければ」だった。


 平日の稽古が終わった後、志穂達は美紀の元に集う。

「せんせい・・・」

志穂はそれだけ言葉を絞り出した後、例によって携帯電話の画面を見せる。

「ろうあ者に理解のある師範は美紀先生以外にいるのでしょうか?本当に他の道場でろうあ者を受け入れて貰えるのか心配です」

対して美紀は自分の携帯にこう打ち込んだ。

「天水先生はなんておっしゃっているの?」

「他の先生にろうあ者の事を伝えたから大丈夫だと」

志穂は打ち込んだ。藍子と大悟、そして紗羅もその話し合いに加わった。

「私からも改めて他の先生にお願いしてみるわ。せっかくここまでやったのだから黒帯を目指しましょうね」

と美紀。志穂は今年の六月に初段の審査を受ける予定なのだ。藍子は美紀の携帯画面を覗き込みつつ、

「あーあ、美紀先生だけでも残って下さったらなぁ」

と本音を漏らす。聾唖学校組は藍子の言葉に大きく頷いた。

「でも天水先生を一人でインドに行かせるわけにもいかないでしょうし、道場が閉まるのは仕方ないですよね」

藍子がそんな愚痴を言うと、美紀は困惑した表情を見せた。そして自分の周りに集まった門下生を見渡してから、

「私はインドには行かない」

と驚きの発言をするのだった。一同は瞠目するも、大悟だけは落ち着いている。

「天水先生の単身赴任ですか?」

紗羅は聞いた。美紀は

「単身赴任って言うか・・・・天水先生はお一人でインドに行かれると思うわ」

とまるで他人事のように答えた。藍子は一縷の望みに縋るように

「じゃあ美紀先生がこの道場の責任者になって頂けないでしょうか?」

と頼んでみた。美紀は言いにくそうに、

「今は事情があって埼玉県の実家にいるの。障害がある弟がいてね。ここの道場の運営までする余裕がないのよ。勿論落ち着いたらどこかの道場で指導のお手伝いはするわ。志穂ちゃん達がそこに来てくれれば嬉しいわ。ちょっと待って貰ってもいいかしら。ごめんなさい。無責任なようだけど」

と言って頭を下げた。

「そんな無責任だなんて」

藍子は美紀の言葉を否定する。美紀に障害のある身内がいたとは初耳だった。だからこそ彼女は志穂達に親身だったのだろうか。


退館後、藍子と大悟は並んで駅に向かう。紗羅は自家用車で帰宅だ。前を歩く聾唖学校組は手話でのお喋りに夢中だった。藍子は

「もしかして天水先生達・・・・」

離婚か別居をしているんじゃないか、と言いかけるがその疑問を口にすることが出来ない。しかし大悟は藍子の言いたいことは分かっている。

「天水先生が単身赴任になってもおかしくはないと思っていたがな」

「大悟は美紀先生がインドに行かないって言っても驚かなかったもんね」

「まあな。上手く行っていないようには感じていた。天水先生と美紀先生はいつも別々に道場に来ていたし、一緒にいても他人みたいだった」

「私も美紀先生は天水先生と一緒に暮らしていないんじゃないかって思っていた。先月、大宮で美紀先生とばったり会ったんだ。美紀先生は実家に寄るって説明していたけれど、明らかに帰宅途中って感じだった」

「二人とも強い人なんだけれど、強さの種類が違うよな。天水先生は剣みたいな鋭い強さはあるんだけど、美紀先生のは梃子でも動かない強さと言うか、鋼のような強さと言うか」

うん分かる。藍子は同意した。そのまま二人は黙った。藍子は前を歩く三人に気づかれないように涙を拭った。

「ショックだった?」

大悟は気遣う。

「何だか家を失くすみたい。天水先生がお父さんで、美紀先生がお母さんだったのに」

「そうだな。俺も親が離婚した時に同じように思ったわ。住む場所はあるのに、もう家がなくなったみたいだった」

「門下生が子ども達だとしたら、もう私達はみなしごだね。どこにも行き場所がない」

大悟は藍子に手を伸ばし、一度だけ藍子の頭を撫でた。

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