四万六千日は悲しみの日
七月九日、今年も四万六千日がやって来た。清彦と麗華が出会ってしまった辛い日だ。住職に「身の丈に合わない願いは叶わない。その願いを叶える事で不幸になるのならば、観音様は願いを叶えてくれない」と説教された事を思い出す。藍子は日没後、就職活動の帰りに観音寺前を通りかかった。観音への願いはやはり就職の事だ。賽銭箱に小銭を投じ、就職の内定を願った。境内にはほおづきや食べ物を売る屋台がひしめき合っている。藍子が人の波に揉まれて境内を歩いていると、複数の和太鼓の轟が境内に響いた。藍子は人を掻き分けて和太鼓の奏者を見に行った。奏者は鯉口シャツと股引に身を包んだ四人の男女だった。四万六千日に観音に奉納する和太鼓。鼓膜よりも体で聴く音だ。藍子はいつしかパンプスの足で拍子を取っていた。
あ、これだったら。藍子は閃いた。和太鼓が終わった後、藍子は観音堂に取って返し、もう一つの願い事をした。
四万六千日のご利益か、藍子の就職は決まった。紗羅が「こんな会社」とこき下ろした生活家電を扱う非上場会社である。家が競売に掛けられても何とか生きていける。百々子は「生徒さんを取る」と宣言した通り、居間のグランドピアノを使って週末はピアノレッスンだ。最初は一人だった生徒もすぐに三人に増えた。
藍子の大学の文化祭は秋であるが、七月には既に文化祭実行委員会は立ち上がっていた。去年の文化祭では、合気道の演武の後に和太鼓部の演奏があったのだ。藍子は実行委員会を通じて和太鼓同好会と連絡を取り、放課後の学食で待ち合わせた。
「私達は合気道の演武を文化祭でやるつもりですが、一緒にやりませんか?」
和太鼓同好会の男女は藍子の提案に顔を見合わせた。藍子は趣旨を説明する。
「実は部員に聾唖者がいて、普段の稽古も太鼓を号令代わりにしているんです。演武中に和太鼓が鳴っていたら聾唖の人も拍子が取りやすいし、見栄えもするし。どうでしょうか?」
「あ、それいいかも」
女子の方が声を上げた。男子学生も
「じゃあ合気道の人達がステージ上で、僕達が下で和太鼓って言うのが良いかな?」
と前向きだった。
「ありがとうございます。師範に相談してから詳しい事を決めさせて下さい」
藍子は笑顔で礼を言った。
藍子は平日の稽古で早速自分の計画を美紀に話してみた。平日の稽古は美紀が担当で、天水は来ない。
「面白そうね」
美紀は言った。そして
「ただこの道場の責任者は天水先生だから天水先生の許可を取ってね」
と念を押した。
「分かりました」
藍子はそう答えるも不安である。天水は合気道の変質や変形を何よりも嫌う。「新しい事を取り入れすぎると合気道が合気道ではなくなる」それが彼の持論だ。鳴り物付きの演武など天水が許すだろうか。
「美紀先生から天水先生に口添えをして頂けると助かるんですが」
藍子が頼むと美紀は少し困った顔をして、
「先ずはあなたの口から頼んでみなさい」
と命じた。




