音楽の弔い
寒い時期、敬三は肺炎が原因で死んだ。入院してからあっと言う間だった。藍子は何の感情も湧かなかったが、葬儀に駆けつけた麗華には改めて憎しみが湧いた。
喪服に包まれた麗華は白磁器のように青ざめた顔をしている。大きな目から涙が溢れんばかりで、見る者全てが彼女に感情移入をしもらい泣きしそうだ。さながら喪服を着た西洋人形である。どうせ葬儀が終わったら、おじいちゃまが亡くなったのと泣きながら清彦の胸に飛び込むに決まっているが。
重しが一つ取れた、藍子は敬三の死をそう感じた。姉の百々子も特に悲しみはないようだ。しかし楓は敬三の臨終から通夜までずっと泣き通しだ。彼女の悲しみのエネルギーに藍子は驚きを禁じ得ない。楓は感情が薄く、たやすく心を動かすこともない。その楓が泣いているのだ。
告別式の日、楓は早くに起きて台所に立つ。敬三が好きだったローストビーフを焼いている。俵型のおにぎりを作り、敬三の好物ばかりを重箱に詰め、三途の川を渡る敬三への弁当にする。
敬三の告別式は社屋での社葬にした。鵜飼アルミ建具製造の作業場を片付け、鯨幕を下げた。会社は敬三の命である。ここ以外に弔いの場所はない。
死期を悟った敬三は一つだけ自身の葬儀の希望を口にした。
「焼香中に読経はいらん。麗華と百々子のピアノで焼香してくれ」
偉大な音楽家を父に持ち、更には親から受け継いだ財産をその才覚で何倍にもした敬三はこの土地の名士でもあった。取り引き先の社員、近所の者、弔問客は引きも切らない。形ばかりの読経が済むと、会場に持ち込んだグランドピアノで麗華が演奏をした。弔問客は麗華の美しさに息を飲む。
「あのお孫さん、モデルなんですって」
人々は麗華を盗み見しながら焼香をする。
麗華が小一時間弾いたところで百々子と交代する。どっしりとした体型、意志が強そうに硬く結ばれた口、同じ孫でもずいぶん違うなと弔問客は内心冷笑した。百々子はピアノの前で一度こうべを下げ、祖父の敬三に哀悼の意を示す。
百々子は椅子に座り、鍵盤に手を置いた。弾いたのはショパン作『別れの曲』だ。
百々子の演奏で弔問客の焼香の手が止まる。敬三を喪った悲しみが人々の胸に重くのしかかって来た。これが同じピアノから出た音色か。先ほどの美しいだけの孫娘が弾いたピアノは子どものおさらい会程度だ。しかしこの奏者の演奏はどうだろう。自己の憂いと向き合い、人々の悲しみに寄り添う。千の悔やみの言葉よりも、雄弁に敬三がこの世にいないという現実を人々に突きつけた。
百々子は生前敬三が好きだった楽曲も演奏した。難易度の高さで有名な、リスト作『ラ・カンパネラ』。この曲は敬三の気に入りと言うだけではない、彼にとって有名音大卒の孫娘が『ラ・カンパネラ』を弾きこなせる事が自慢だったのだ。
もはや弔問客は焼香どころではない。アルミ建材作業場で弔い合戦のように始まったピアノ演奏。敬三の肉体は滅ぶとも、彼の生き様を語るには十分な葬儀であった。
焼香が終わる頃を見計らい、百々子は演奏を終えた。彼女はやはり硬く口を結び、遺体が安置された祭壇を見据える。物心ついた時からずっと麗華との競争だった、それは鵜飼保二の末裔として生まれたからには避けられない宿命である。百々子は自分の中に流れる血を受け入れた。
百々子は椅子から降り、祭壇に向かって深く礼をした。百々子にピアノをやらせた事、それは敬三の愛情故なのか、自分の夢の押し付けだったのか今となっては分からない。ただこれだけは言える。若き百々子にとってピアノこそが人生だ。人と競うとか点数を気もするとか、そんな事は百々子はとっくに凌駕していた。
勝った負けたに拘っていたのは藍子だけだった。




