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【五章】世界に静寂を




ーーー白いーーー・・・




街灯や建物から漏れ出る灯りを頼りに周囲を見渡し、率直な感想を抱いた。

踏みしめる大地も其処此処にある建物も自然の力で純白の衣を纏い、ある種幻想的な光景に暫し茫然と佇んだ。

雪が周囲の音を吸い取りでもしたか、住宅街にあってなお、そこから切り離されて静寂があたりを支配する。幻想的な世界はしかし、人々を嘲笑(あざわら)い過酷な現実に姿を変えた。

息を吸う度に肺を切りつける鋭い痛みと手足から身を喰らわんとする寒冷が否応なしに襲いかかる。薄い衣を何枚羽織ったところで冷気は凌げない。口から吐き出される息の白さに、刹那、命の煌めきをみとめ唇を閉じた。

瞬きする間に自身の体に積もる雪を乱雑に払って再び歩き出す。

薄ぼんやりとした身体の感覚を拠り所に何とか足を踏み出す。遅々とした歩みでも、朧気に変わる景色に「生きている」という安堵が胸に広がる。

木の棒みたいに硬くなった腕に力を込めて、それを抱き締める。抱き直したそれの軽さに、心臓の弦がきゅうと鳴いた。



静寂と白。



己の向かう道さえも、歩んできた道のりも全てを残酷なまでに雪が飲み込んでいく。

泣き叫びたい程の苦しみも、胸に去来する不安、絶望、希望が口喧しく顕在しては、目の前の光景のように雪に埋もれていく。

その果てに一体何が残るのか。



絶望。


あるいは、希望か。



世界を真白く染め上げる銀雪に、己の心がか細い悲鳴を上げる。実際に口に出して叫んでいたかもしれない。周囲への嫉妬、暴言か、神への慈悲を(こいねが)うか、ただ憐れな己を慰める言葉だったのかもしれない。

しかし、この世界で私の叫びを聴く者は居ない。雪が音を吸い取り、私を孤独の淵に追い立てる。

何度となく祈り、祈り、祈り続けても神は私の願いを聴いてはくださらなかった。

私でさえも、聴こえないのだから。

頬に熱い物が流れ、瞬時に凍りつく。

涙さえも赦されない、神はそれも私から取り上げた。

しんしんと降り続ける雪を睨めつけ、足を前に向ける。




進む、ただひたすらに。




救いを求めてーー・・・




暫く彷徨い歩き、ようやく目的の建物へと辿り着く。力を振り絞り扉を叩き、声を張り上げる。



せめて、貴女に届いて欲しい。



私の声。



叫びを!!!



「ーー聖女様、どうかご慈悲を・・・っっ!!」



ゆっくりと扉が開かれる。隙間から差す室内の灯りが後光のように感じられた。温かな光を求め無意識に手を伸ばす。

自然と期待に縋る穢れた顔も、しかし、現れた人間を前に色が失われていった。


「聖女様は現在、旅に出ておりご不在です」


伸ばした手は、空中で静止する。

「え・・・・・・」

求めた光は消え、暗闇に突き放された。

ぽかんと口を開けたまま呆けた私に対して、ゆっくりと子供に読み聞かせるように女は言葉を繰り返した。

理解の悪い子供にでもなった気分だった。

真綿で首を絞められているような鈍い息苦しさ。遅れて自身が息を止めていたことに気が付く。

希望だけが私をここまで生き長らえさせた。

だというのに、()()()()()()私の声は届かないのだ。

唐突に、世界の上下が曖昧になって気付けば膝をついていた。

膝から伝わる切り付ける程の雪の冷たさがただただ辛かった。

「・・・・・・聖女様は、何時戻るかも分かりません。残念ですが」

浮浪者然とした人間が茫然自失気味に倒れたのだ。流石の相手も憐れに感じたのか、希望を捨てろと言外ににおわせた。

じわじわと言葉が身体に浸透していく。


まるで毒だ。


なんらの救いにもならない言葉の毒。非情な現実を突きつけるだけの優しさの欠片も無い告白(酷薄)

孤児院の前、全身に回る毒を無力にも享受するしかない愚か者が一人。

救いを求めることしか出来ない愚鈍が一人。


ーーしかし、それでもこの子の為に私は此処までやって来たのだからーー・・・


泣きも喚きもしない、体動さえもできなくなった我が子を女の前に差し出す。人形でも抱いているようだと疲弊した心が嘆く。

可哀想な赤ちゃん、痩せすぎた私ではもう十分なお乳も出ない。


「ではーー・・・、どうかこの子にお恵みを・・・・・・」


明日をも知れない命でも、せめて多少の喜びを教えてあげたい。

風の噂で聖女様はか弱き子供達を救い、育てているのだと耳にしていた。慈悲深き彼女であれば、きっと我が子に光を与えてくれるだろうとそれを支えに歩んで来た。


「ーーよく、貴女のように恣意私欲の為にこの門戸を叩かれる方がいます」


淡々と語る女性を見上げ、「あぁ、もう無駄なのだ」と悟った。ありありと私達に対する拒絶が向けられていた。

軽んじても、侮蔑でもない。

理性に乾いた瞳に私は口を噤んだ。

「助けて欲しい、恵を与えて欲しいと救いや物乞いをされに来られます。確かに、聖女様はお優しい方です。皆が聖女様に頼られる気持ちも分かります。ですが、聖女様は神ではない。私達と同じく人間であり、限界があるのです。この孤児院も今居る子供達を育てるので資金も物資も余裕はございません。他の方に回す余裕はないのです・・・、ご理解下さい」

頭を下げられても、胸に広がる痛みは無くならない。

相手の言う意味も理解出来る。救いの手は有限であり、私達はその手に選ばれなかったのだ。


「・・・・・・・・・」


もう、言葉も出なかった。

浮浪者にもちゃんと応対してくれた礼だけはしておこうと、お辞儀して背中を向けた。

行く所もない、ふらふらとした足取りで再び雪を踏みしめる。

「・・・貴女が行くべきは此処ではなくーー・・・・・・」

背後で女性が何かを言っていたが、雪が音を吸い込んでしまった。それに、聞き返したところで救いは無いのだから全部無意味だ。


そう、本当に無意味だった。


この道程も大きな意味をなさなかった。ただ我が子に苦しみだけを与えてしまった。

可哀想に・・・・・・、可哀想な私の赤ちゃん。

貴方が泣かなくなって、ミルクも口に出来なくなって、もう何日経っただろう。

貴方の小さな、小さな手が私の指を握り返さなくなったのは、何時だっただろう。

あぁ、私はお母さんなのに、どうして貴方を救ってあげられないんだろう。


赤ちゃん・・・赤ちゃん・・・、私の可愛い赤ん坊。


大好き、大好き、大好きよ。


ねぇ、お母さん貴方になんにもしてあげられなかった。ダメなお母さんだった。

沢山のお乳を飲ませてあげて、お腹いっぱいになって眠くてグズる貴方の背中を優しく撫ぜてあやしたかった。

温かな布団で寝かし付けて、貴方が起きた時に一番最初に「おはよう」ってふっくらとした頬にキスをしたかった。

こそばゆいと笑う貴方を独り立ち出来るまで見守りたかった。

貴方に沢山のものを見せたかった。

吸い込まれそうな青空の眩しさや隣合う人の温もり、笑い合う互いの息遣いの心地良さを教えてあげたかった。

沢山、沢山、愛してあげたかった。

でも、お母さん、何にも出来なかったね。

ごめんね、ごめんね、ごめんね・・・私の大切な子、大好きな子、私の宝物。

あぁ、貴方に出会えて一番幸せだった。それだけが、神様が私に与えてくだすったとびきりの幸福。

私がこの先どんな不幸にまみれても構わない。

貴方が生きて、笑ってくれたなら、それだけで幸い。

それ以上を望むことはないのに。


あぁ、なのにーー・・・・・・


お母さん頑張るから、貴方の為に神様の行いに背くこともなんだってするから。




ーーーお願いだから、もう一度、目を開けて・・・




「もし、そこのお姉さん、こんな夜更けに何処へ行くのですか?」



音の無い世界に突如、声が振り落ちた。ぼんやりと声の聞こえた方角へ顔を向ける。

まさか自分が呼ばれたわけではあるまい。しかし、同じく孤独な世界に存在する人物に興味を持った。

建物二軒分の距離をおいて男が立っていた。

男と断定するには、フードを目深にかぶり顔は見えない。だが、ローブを羽織っていても背格好と声で相手が〝異性〟であることは間違いようもなかった。

穏やかな低い声で男は私に問いかける。

「おや、赤ん坊も連れておいでる。こんなに寒いのに赤子を連れてどちらへ?」

何者かと警戒を抱くよりも、男の問に私自身も答えられず、振り落ちる雪に視線をさ迷わせた。

「・・・・・・何処・・・に、」

カサカサに乾いた唇から息が漏れる。白く染る息と共にこの子と空気にとけてしまいたい。


「行けば、良いんでしょう・・・・・・」


空気にとけられたなら、風に乗ってこの子に世界を見せてあげられるのに。

暖かな場所へと届けてあげられるのに。

一歩、二歩と男が距離を詰める。

男は腕の中で眠る赤ん坊を見つめ、少しして口元を弛めた。



「赤子に寒さは大敵です。行く宛てがないなら、一晩お泊めしましょう。さぁ、此方へ」



自身へと伸ばされた手に、信じられない想いを抱きながらも、私の選択は既に決まっていた。




ーー掴んだ手は、とても温かかった・・・




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