【二章】髪が・・・髪が言うことを聞かないんだ
小鳥の囀りと院長の「朝ご飯よー」という呼び声に、アルレルトは覚醒した。
ハァハァと草原を走り抜けたように息を荒らげ、心臓は落ち着きなく拍動する。
なんだか妙な夢を見た気がして、普段ならもう少し布団の中で微睡むところを、早く夢の残滓を消してしまいたくて急いでベッドから飛び降りた。
広間は子供達の寝室として使用されている。
ある程度歳を重ねると相部屋、個室という形で自分の部屋を与えられる。ちなみに、寝室は子供といえども、男女で分けられていた。
我らが男子の薔薇園では、まだ布団の中で夢を見ている者、既に着替えて食堂へ向かう者と様々だ。
俺は布団から体を起こしているものの、眠たいのか中々立ち上がらない半覚醒状態の子供達をせっついて食堂へ向かう。流石に、完全に寝ている子供を起こすのは労力を払うので院長に任せた。
食堂では院長と数名の世話人がくるくると踊るように動き回り、朝食の準備をしている。
院長も大分いい年齢だと思うが、動作は機敏で無駄がない。
先に起きた子供らは、既に自分の席でスタンバイしている。
「あら、皆さんおはよう。アル、他の子も起こしてくれたのね、ありがとう。さあさ、自分の席に座りなさい」
院長に「おはよう」と返して着席する。
右隣には既にネルが待機しており、欠伸を噛み殺していた。身なりにある程度気をつけるネルも、その真っ直ぐな髪が寝癖であらぬ方向にはねていた。
きっと自分も同じようなものなのだろうと、無意味にもその白髪に手を伸ばす。
視界に映る老いたような髪色に、思わず口元が歪んでしまう。
それでも、これは「院長とお揃い」だ。
目を瞑り、数拍して再び毛先を見つめ、やけになって髪をかきあげる。
大好きな院長と同じだと思い込んでも、好きになれないものは好きになれない。
俺のような髪色の子供は見たことがない。
瞳の色も真っ赤な血のようで、周囲が怖がるのも仕方がない気がした。
周囲と言ってもアルレルトを知る街の人々は、「珍しい色だ」と表面上受け入れてくれている。
だが、旅人等の街の外から来た人達からは、気味が悪いという目を向けられる。
その度に、自身の異端性を認識させられた。
物心ついて初めて院長と手を繋いで外を歩いたことは、忘れられない。
初対面の、俺を見る街の人々の顔といったらなかった。
まるで恐怖や畏怖といった感情をたかだか3歳の俺に向けたのだから。
院長が人々とすれ違う度に、「どう?私とお揃いの髪でしょ。私に似て美人になるわ」なんて冗談を交えて俺を紹介してくれなかったら、泣いていたかもしれない。
付け加えるなら、若い頃の院長の似顔絵を見たが、可もなく不可もなく平凡な容姿であった。
それを知っていたので「イケメンになれないのか・・・」と逆にショックを受けたくらいだ。
実際、口に出していた。
3歳の俺の無礼さは、とどまる所を知らない。
とにかく、動物から慕われるこの特性は、見た目と併せて人々から恐れられると考えていた。
だって、皆と違う。
まるで人外、化け物だ。
だが、院長の働きかけのお陰で、徐々に皆から受け入れられた。
孤児院に捨てられて、いや、院長に出逢えて俺は運が良かったと心底思う。
街へ出稼ぎに行く年長者がゾロゾロと起き出して、食堂は一気に騒がしくなった。
「ネル、今日は何して遊ぶ?」
「ん・・・特に予定は無いかな。本でも読もうかと思って。途中にしたままの読み物があるんだ」
目元を擦りつつネルは答えた。
ネルは勉強することが好きだ。
というか、下手したら勉強しかしていない。
知識を身に付けることは決して悪いことではないし、孤児にとっては、知識こそが武器だ。後ろ盾がないからこそ、希望する仕事に就きたければ、知識と人脈を駆使する必要がある。
ーーーという建前なんて関係ないんだろうなぁ・・・。
馬鹿らしいほど、ネルは呼吸するように勉強しているので、純粋に学ぶことが好きなのだろう。
家庭学習ではなく、専門的に学べる学園に院長は通わせたいと考えているようだ。
俺もそれが良いと思う。
こんな田舎町(といっても周囲に比べれば栄えているが)で一生を終えるよりかは、王都で研究職にでもついて国に貢献して欲しい。
その未来がとてもネルに合っている気がする。
きっと毎日いきいきしながら、本を片手に研究をしているんだろうなぁ。
「ふーん・・・、じゃあ俺はウル爺の所で仕事の手伝いでもしてよっかな」
「アルは勉強しなくて良いの?今すぐじゃなくても、10歳にでもなれば、仕事先を探していくことになるのに」
「だからこそだろ。ネルに教わって、文字と生活に支障ない程度で計算もできるようになったし。俺、自分の個性を活かして将来は畜産とかに手を出したいと思ってたから。手伝いついでに今からウル爺のとこで家畜の世話とか学んでおきたいんだよ。楽だぞ〜、皆俺のこと好きだから」
ウル爺は院長と同い年らしく、俺の個性を知った院長が「将来の為になれば」と彼を紹介してくれた。
ウル爺は寡黙な人でいつも厳しい双眸で俺を見ている。
森林近くで牛や豚等の家畜の世話をしているウル爺の手伝いは大変だ。
正直、家畜よりウル爺の扱いのほうが難しい。
家畜は良いんだ。皆俺のこと好きだから。
最初の頃は、口数の少ないウル爺とどうコミュニケーションをとればいいのか頭を悩ませたほどだ。
しかし、日々の積み重ねによるものか、ウル爺の雰囲気も少しだけ柔らかくなった気がする。
まあそれも、「お茶飲む?」という質問に「ああ」と返答してくれるようになった程度の進歩だけれど。
まるで熟年夫婦のやりとりに思い返しては地味にへこんだ。
あれ?何でだろう、物悲しいものを感じる。
「アルって本当に思考が現実的だね」
あんなに懐く動物に対して、それを利用するアルの思考にネルは思わず呆れる。
「ここの環境だと将来のことしっかり考えておかないと。こんなに良くしてくれる院長に顔向けできねーよ」
「ま、アルは院長のお気に入りだからね、そりゃそうか」
「お気に入りって・・・、インチョーはそんなのしない。皆平等に愛してくれてるだろ」
実際、院長は皆に平等に接している。
誰か1人に傾倒したら孤児院として成り立たない。
子供心としては院長の、いや、誰か一人の特別になりたいけれど、院長は皆の院長だ。
我儘は言えない。
そういうことが分からない小さい子達は、よく自分と他の子どちらが好きかと問い詰めて院長を困らせている。
皆それこそ「自分を1番」に挙げて欲しいが、院長は困って笑うのみで、その質問には絶対答えない。院長は自分自身にも、俺達にもとても誠実な人だから、その場しのぎの言葉はかけない。
院長を困らせて、自分達も「捨て子」なのだと改めて実感してしまうことが嫌で、こういった質問はしないのが孤児院内で暗黙のルールとなっている。
「うーん、なんて言えばいいんだろ・・・。確かに院長は皆に平等だけど、アルには、皆と違ってこう・・・。本当に優しい」
「いや、ふわふわ〜〜。全然わっかんないよ」
暫く頭を捻って考えていたが、上手い説明が出来ないと悟ったようで、皆が食堂に集まるとさっさと説明を放棄してネルは朝食を食べだした。
此奴もなんだかんだでゴーイングマイウェイな人間だ。
深く突っ込むような内容でもないので、俺もネルに倣ってパンを口にした。
食事を終えて自分の分の食器を片付けると、出来る範囲で身嗜みを整える。
出稼ぎに行く時なんかは、口を酸っぱくして「第一印象が大事ですからね、今日1番の自分を相手に見せなさい」と院長は言う。
正直、耳タコだ。
しかし、緩くカーブしている髪は、寝起きも相まって梳かしにくい。俺はそうそうに諦め、櫛を持って院長を探し求める。
「院長、忙しい所ごめん。髪が全然言うこと聞かなくてさ。これからウル爺のとこ行くから手伝ってくれないかな」
院長は外の洗い場でお漏らしした子供達のシーツや下着を洗濯していた。
さっきまで食堂で子供達にご飯の世話をしていたと思ったが、良く働く人だ。
年齢を考えれば隠居したり、病に伏せる人も多いはずだが、彼女はパワフルだ。
それでも、手伝いを年長者や世話人がしてくれるので楽なものだと本人は喜んでいる。
院長はその場を世話人に任せ、俺の髪を梳いてくれた。
「あらあら、今日のアルはいつにも増して頑固者ねえ」
「俺じゃなくて、俺の髪がね。ほんと困るよ、何時もは手櫛でなんとかなるんだけどさ〜」
院長の言葉にきっちりと訂正しながら頷く。
「あらやだ、本当に今日はダメみたい。アル、いっその事、髪にタオルでも巻いて行く?」
困ったわと院長も苦笑して、綺麗なハンドタオルを用意してくれた。
「も、何でもいいや。おかしくない程度にお願い」
クスクスと院長に笑われながら、タオルを頭に巻き付けられる。余ったタオルの両端を後ろで縛って終わりだ。
傍から見たら、土木作業している大人達のような見た目になった。
これで院長の許可が下りるなら、困った時は今度からタオルを巻き付けよう。
「残念だわ。タオルを付けちゃうとアルの髪が全然見えないんだもの・・・」
何故か院長が嘆いているが、もう今日はこれで通すぞ、何がなんでもだ。
固い決意のままに、院長へお礼を述べてウル爺の所へ向かった。