【四章】生きる、ということ
車椅子に座り、ラヴィーナは外の景色を眺めた。いつの間にか世界は次の季節へと移ろうとしている。瑞々しく新緑に充ちた葉は黄色や橙に染まり、自身と同色の木々が増えていた。
時の歩みは残酷に、しかし、平等に誰も彼にも与えられ、自然の恵はラヴィーナにも贈られた。そよ風になびく髪は、何時かに比べて遥かに伸びている。
長く動きを忘れた身体は、木の枝のように細く、骨の浮きでた脆い姿がただ情けなさを煽った。
穏やかな気持ちとも違う、まるで夢でも視ているような、心と頭に薄壁一つ挟んで今日も一日が過ぎていく。着慣れたワンピースの裾が風に揺れ、乱れた裾をエレナが甲斐甲斐しく直した。
「風、気持ちいーね」
子供の高い声を耳に入れながら、話す気力も湧かず首肯する。
嘆かわしくも、碌に一人で身動きを取ることが出来ないラヴィーナの為に、自ら進んでエレナが介護にあたっていた。子供の割には強い力で介助するエレナに助けられながら、ラヴィーナはどうにかこうにか日常を送っている。
初めはベッドから起き上がるだけで体力を使い果たしていたが、少しづつ離床の時間を増やして漸く散歩出来るまでに回復した。
それでも歩くことが出来ないのだから車椅子にも、己よりも遥かに幼い子供にも依存せずにはいられない実情だ。
エレナに押されて中庭の一角へと訪れた。時間帯のせいもあるだろうが、人通りは少ない。
中庭と言っても、四方を回廊が囲んでおり、猫の額程度の庭に彩り豊かな木々が植えられているだけだ。しかし、子供にとっては十分に駆けることのできる広さである。
ラヴィーナはぼんやりと建物の隙間から流れる風に身を任せていた。
聖女に吼えたあの日から、何度となく朝日を迎えた。
初めは現実を受け入れられず、途中で理不尽な世界に怒りを抱き、そして、今は諦観の境地へと歩を進めた。ラヴィーナの涙は既に枯れ果て、心は砂漠のように渇いている。
一瞬だった。
片脚を失い、築いてきた経歴が脆く砕ける瞬間は、彼女の記憶に強く刻まれている。
何かを、誰かを、憎み、恨み、怒りを爆発させた所で、自身の感情が無意味な物であることを識った。憎しみ、恨み、怒ったところで失われた体が元に戻る訳では無い。
木偶に成り下がったラヴィーナは心を閉じた。思考し、感情を抱いた所で無意味で無価値な存在のままならば、ラヴィーナを形作るそれらは無用の長物に過ぎない。
『生きなさい』
身勝手に言い放った聖女はただ無言を貫き、“今”のラヴィーナについて触れることはない。
聖女の言いつけ通りに食事を摂り、排泄し、寝て、起きて“生きて”いる。だというのに、彼女はラヴィーナを救ってはくれなかった。
ラヴィーナはほとほと疲れてしまった。虚脱感も合わさり、身体が鉛のように重い。
瞼を閉じ、暫し外の喧騒に耳を傾ける。
孤児院の中は子供達の笑い声が溢れ、やけに耳につく。何が楽しいのか馬鹿みたいに大声を挙げる見えない子供達に不快感を膨らませた。
塞がったはずの足が疼き、ラヴィーナは歯を食いしばって痛みを誤魔化す。
痛みと共に白髪の子供が意識にのぼり、無意識に顔を顰めた。
アルレルトと名乗る子供は、今代の魔王だ。白髪赤眼という馴染みの浅い風貌の子供は、見た目以外はその辺を駆け回る子供らとなんら変わりなかった。
しかし、ラヴィーナの脚を食べた魔物さえ、彼の前では従順な獣に成り下がる。その異様さを言葉で表現しようとすると、この世にある言葉だけでは足りず、無理矢理並べたてたところであまりに陳腐で、目にした光景だけが鮮やかに記憶深く息ずいている。
魔王を飼い育てる聖女の意図は分からない。理由さえ説明する気が無いようで、ラヴィーナに答えを委ねたきりだ。
魔王もまた、ラヴィーナに近寄らず此方が話し掛けても普通の子供のように狼狽えるばかりであった。
膨らみを喪った脚を見て、反射的に強張る顔。それが徐々に色を失い、怯えをみせる瞬間が、ラヴィーナを酷くねじ曲がった愉悦に導いた。
魔王を見かける度に、ラヴィーナは接触を図った。気まずげに視線を逸らす魔王を何処か満足気に眺め、思うのだ。
『ざまをみろ』
ラヴィーナだけが知っている。
アルレルトが魔王であることを。子供のふりをしているがその正体は、残酷なまでの凶暴性をはらむ化け物であると。
何時まで無害の仮面をかぶり続けるつもりなのか、それが剥がされる瞬間を決して見逃すつもりは無かった。
魔王が困り果てる姿は、やけに胸がすく。
悩め、苦しめ、壊れてしまえ。
呪詛にも近い願望がラヴィーナの胸中を巡る。
だから、今日もまたラヴィーナはこの為だけに口を開く。
『 ーーおはよう・・・』
弱者を甚振る権力者のように、それでも感情を殺してすました顔で奴と向き合うのだ。
「ーーふふ・・・、ははは!」
次は一体どんなみっともない姿を晒すのか、考えるだけで愉快だった。
突如笑い出したラヴィーナに、傍らで見守る子供がどういった表情を浮かべているのかさえ、気にかける余裕はなかった。
目尻に涙が滲む。
自身の笑い声を耳にしながら、ラヴィーナの耳には子供達の声が響いていた。それらをかき消すように負けじと声を張り上げる。
「あははははははははは!!!」
ぽたぽたと雨がラヴィーナの服を濡らしていく。
冷たい雨は激しく、衣服はすぐに濡れそぼる。一風吹くだけで身体は冷え、悴んだ。
不意に、温かいものが頭を包む。
コトリ、コトリと一定のリズムが聞こえ、ラヴィーナは焦点の合わない目を彷徨わせた。
「ラヴィーナ、ラヴィーナ」
背後からエレナが囁く。
ラヴィーナの名前だ。
振り返ろうとしてエレナに制止され、子供の小さな手が目の前を覆う。
「目、瞑ってみて」
子供特有の高い体温を身に感じながら、抵抗することなく素直に目蓋を下ろす。
コトリ、コトリとエレナの心音が耳に心地好く届く。
既に笑い声は遠くに吹き飛んでいた。エレナがゆっくりと名前を繰り返し囁き、ラヴィーナは子供に還ったように相槌を打った。
「ラヴィーナ」
子供の柔らかい声音が耳朶を打つ。それは雨音よりも優しくラヴィーナの心に染み込んで行く。
「・・・・・・うん」
「ラヴィーナ」
「・・・うん」
「ラヴィーナ」
「うん」
素晴らしい言葉の雨に、潤いを渇望していた心が歓びの声を上げ、もっと、もっとと強請るように頷いた。
「「ラヴィーナ」」
二重にかかる不響和音に違いない呼び掛けに、ラヴィーナは瞳を開いた。
顔を出したのは不快感ではなく、興味だ。ラヴィーナを“ラヴィーナ”として見る人間が誰なのか確認したかった。
視界を覆っていたエレナの手は既に消え去り、光が暗闇に慣れた目へと矢を放ち、思わず目を細める。
薄ぼんやりとした視界でも、眼前に子供が立っていることが見て取れた。光が差し込み、揺らめく人影は時間をかけて確かな像を結ぶ。
ラヴィーナは絶句した。
光の加減とも思えた髪は、紛れも無く純白に煌めいている。その髪色の人物をラヴィーナは一人しか知らない。
何処からやって来たのか肩で荒い息を繰り返しながら、瞳には力強い意志が宿っていた。
燃えるような赤がラヴィーナを捉える。
「・・・ぁ・・・・・・」
言うべき言葉が見つからず、赤に飲み込まれラヴィーナは口を噤む。
決して逸らされぬ視線が久方振りに交り合い、直感的に理解した。
逃げをうつ身体を最大限の意志で縛り付けて彼と向き合う。
敢えて沈黙を貫くラヴィーナの前で跪くとその両手を取って懇願するように距離を縮めた。
「ラヴィーナさん・・・、ごめんなさい。ごめん、ラヴィーナ・・・・・・っっ」
“何を”とは問わず、彼の頼りなくも真摯な謝罪が心を撃った。
目を逸らし続ける彼に対して、ラヴィーナもまた逸らして来た。
それどころか、罪悪感を抱く相手に責任転嫁してまで被害者面を通してきた。
「~~~~・・・・・・っっ!!」
浅はかな行いに、ラヴィーナを羞恥が襲う。
分かっていた、理解していた。そしてそれさえも、きっとこの子は分かっていた。
分かって、いた。
アルレルトはただの子供だった。
魔王は、ラヴィーナの心に住んでいた。認めることを恐れていたのはラヴィーナの方だった。
逃げることを止めた子供は、ラヴィーナだけを置いて大人になってしまった。
「・・・・・・君は、悪くないよ」
ばらばらと纏まりない思考を制御できないままに、安っぽけな言葉を返す。
温度の無い声に、本心ではないと気付いたアルレルトがくしゃりと顔を歪ませる。
「~~・・・俺っ!ラヴィーナさんの手伝いするから、それで許してもらおうなんて思わないけど、俺で出来ることをさせて欲しい!!」
そう言い放つとラヴィーナの反応も待たずにアルレルトは駆けて行った。小さな背中を見送って、二度と走れない己の体を抱きしめた。
雨も笑い声も初めから降っていない。ラヴィーナの弱い心が視せた幻覚にすぎない。
前を向くべきなのだと、柔らかな陽射しが静かにラヴィーナの足下を照らしていた。
ラヴィーナの紹介文に「子供と赤ちゃんプレイをするヤバい女」と追記すべきか悩んでいる。
ラヴィーナ「鬼畜すぎわろわろ」
フォルス・ジンバ「おいでませ、不憫枠(被害者の会へ)」
※9/1、62話にイラスト挿入しました。




