【四章】下界の女神2
自室に戻った男は考えを巡らせる。
どうすれば、あの毒婦を鳥籠の中に閉じ込めたまま、輝く美貌を鑑賞し続けることが出来るのか。
思考の闇に飲み込まれていた男は、微かに部屋の扉がノックされていることに気が付いた。
『誰だ』
執事が会いに来たのだろうか。
私が女を「切る」覚悟がついたか、確認をしに。
思い至ると無性に腹立たしくなり、発する言葉も鋭くなる。
しかし、扉の向こう側に立つ人物は臆すること無く、どころか笑いを漏らす。
『ーーやぁだ、怖いわあ。入っても宜しくて?ご主人様』
自身へと向けられた女の言葉に、ぞくりと背筋に冷たいものが走る。
女に対する恐怖、愛憎、歓喜が入り交じる。
キィィと扉の開く音がやけに耳についた。それは天国への福音か、はたまた地獄の門を守護するケルベロスの舌なめずりか。
その音がやけに男の心を揺さぶり翻弄した。
扉から入り込んだ女は、男に微笑んだ。
『私、あのお部屋に閉じ込められていたの。出してくだすってありがとうございます、ご主人様』
ぺこりと頭を垂れる女の足元は、血でドレスの裾が染まっている。白地に赤、固まった黒のグラデーションが綺麗に彼女を飾った。
『ーー・・・・・・お前は、何を考えている・・・』
男の問に、女はゆっくりと瞼を伏せる。長い睫毛が彼女の目元に影を作った。
一つ一つの仕草が艶めかしく、視線が吸い寄せられる。
ーーー絡め取られるーーー
『・・・私が恐ろしいの?ご主人様』
女は問に答えることなく、男の核心をついた。
『あぁ、恐ろしい・・・。あのように惨いことを面の皮一つ変えずに実行できるお前が恐ろしく・・・・・・』
睫毛が震え、星々が煌めく夜空がゆっくりと姿を現した。
そうだ、この瞳に捕らわれたのだ。
『ーーー愚劣極まりないことに、お前の美しさに愛おしい感情がついてまわる』
男は机に手を着いて項垂れた。
もう彼女を手放すことが出来ない。
その事実に、浅ましい欲望が男のプライドを踏み躙る。
それでも尚、喉から手が出る程に欲しているのだ。
『・・・直に、国からの使者が来て・・・・・・、お前を捕縛するだろう』
逃亡した領民によって、女が犯人であると周知されたことだろう。
男も逃げ道は無い。
獣の枷を解いたのは、男自身だ。その罪を問われることもまた、描く必要も無い未来だ。
『ーーあら、そう・・・。案外、早かったわねぇ』
女は視線を宙に投げ、言外に「つまらない」と肩を竦めた。
『〜〜お前はやり過ぎた!!自由を認めたのは私だが、何故あんな・・・っっ、あんな惨いことが出来る!?答えろ!!』
はぐらかすことは許さないと指を突きつける。
『・・・・・・それを聞いて、ご主人様はどうされたいの?過去は消えないわ、聞くだけ無駄でなくて?さぁ、私を引っ立てるのでしょう、何かで縛り付けたら如何が?それとも、また監禁をご希望?』
反省の色の無い女に、男は絶望をおぼえた。
絶対的な『悪』だと理解していても、女を逃がす術を・・・と、矛盾した思考が巡る。無駄な足掻きに過ぎないそれを女は見透かしているのだろう、言い訳も悔恨も見せず淡々としていた。
瞬間、男にとっては突拍子もない考えが顔を出す。
本来人であればありえない事だ。
しかし、平静を保つ女を前にすると、その突拍子もない考えが真実であるような気がしてならなかった。
『お前は・・・、死にたいのか・・・?』
恐る恐る男は口にした。
そして、呼応するように女もまた口にする。
『ーーご主人様は、私を生かしたいのね』
今まで噛み合わなかった会話が成立した。
恐らくは、この時、漸くお互いの本心に辿り着いた。
『あぁ・・・そうだ、私はお前を殺したくない。だから、頼む。生きてくれ。お前が許すなら、私が何もかもを手配するから』
『酔狂な人ね、私を逃がすなんて・・・それこそ、後悔しても知らないわよ?』
男はゆるりと首を振る。
籠の鳥に出来ないなら、せめてこの美しい女に生きていて欲しかった。
少しでも、永く。
切実な想いをのせて無言で訴えていると突如、女は男の体に縋った。
女の瞳からぽろぽろと涙が零れ落ち、男の肩を濡らす。
微笑を消し、悲痛な面持ちでただ泣き縋る女を咄嗟に抱き締める。
『ーーーー・・・・・・・・・っっ!』
男の体に風穴が開いた。
比喩に過ぎないそれが、真実に思えるくらい男の中心に春荒が吹き荒れる。
歓喜の嵐だ。
女の弱りきった姿は、出会ってから初めて目にするものだった。腕に収まる小さな体が更に男の庇護欲を煽る。
これは、私のモノだ。
離してはならないと本能が叫ぶ。
『・・・・・・私が悪かったのです・・・っ!この世界が憎い、幸せに生きる人々を見ていると「どうして、私だけが親に売られたのか」と、憎くて憎くて堪らなくて・・・・・・っっ!!気が付けば、感情のままあんなにも恐ろしい罪を犯してしまっていました』
女が震えながら、身の内に巣食う狂気を吐露した。悔恨を述べる女の背を擦りながら、男はようやく聞きたかった言葉が耳に届き、安堵していた。
『ーー後は、私に任せてくれるな?』
念押しすると女は静かに頷いた。
女を無事、安全な場所へと逃がすまでが大変であった。
あの後、急ぎ部下を集めて女と似た背格好の者を探し、屋敷まで訪れた国の使者に突き出した。罪人の替え玉として用意した人間には、多額の金を詰んでいる。
拷問にかけられ死刑に処されるだろうことも合意した上で、女に成り代わってもらった。
女のように美しくは無い。だが、他の人間にバレることもそうそうあるまい。
事が鎮火するまで、女には祖父が所有していた山間の別荘で身を隠してもらうことにした。幾人かの使用人を送り込んだので困ることもないだろう。
国の使者には金を握らせたが、矢張り男も咎に問われることにかわりない。それでも、金が効いたか減刑されたもので、領地の幾つかを国へ返還すること、爵位の降格、毎年国から齎される補助金の減額等々の制約の元、謹慎処分の通達があった。
減刑と言っても生温い内容ではないが、命があるだけ運がいい。
更に女も上手く救けることが出来たとなれば、上等であった。
しかし、問題が発生した。
別荘へ移った女が居なくなったのだ。女だけではない、使用人全員が殺されていた。
この報せを持ってきたのは、アルメリア領の人間であった。屋敷の所有権が男にあると知ると、被害者についての情報を知りたいと連絡が入ったのだ。
アルメリアの人間とやりとりをしていて判明したのが、彼等は変異種と思われる魔物を追っているという事であった。
そして、殺された人間は13人。その中に女の姿は無かった。女のことに関しては口を噤み、相手の欲しがる情報だけを与えた。
女が生きているかもしれない。
本来であれば、絶望的な状況だ。
だが、彼女が簡単に殺されるとは到底思えなかった。
男は直ぐに行動した。
自身の残った権力を総動員して、女を捜し回った。
その結果が、今、男の手によって握り潰されている手紙に記されていた。
苛立ちのまま、男は薄くなった頭髪を掻き毟る。はらはらと机に数本、髪が落ちた。
些細なことさえ、もう構っていられ無い。
女を守る為に男はここまで堕ちた。その結末が、愛する女の死であるなどと認められるはずがなかった。
女が魔物に食われ、魔物と同化し人々を襲っていたという荒唐無稽な話しを信用することも、それこそ肯定することも出来るはずがない。
「やはり、私自らが探すしか・・・」
ブツブツと今後の計画を立て直していると、控えめに書斎の扉がノックされた。
「誰だ」
夜中の訪問者に警戒心も露わに鋭い声を発した。背後の窓を振り返り、闇夜に人の姿が無いか確認するとカーテンを引く。
扉の向こう側に居る人間は、怯えた調子で話し始めた。
「あ、ご主人様・・・・・・灯りが漏れていたので、何かご入用は無いかと伺いました」
扉の隙間から、女とは似ても似つかないメイドが恐る恐る顔を出す。
夜中であるにもかかわらず、まだ部屋に上がっていなかったのかメイドはお仕着せのままだ。
見たことのない顔に、自然と眉間に皺が刻まれる。
男の不信感を感じ取ったか、メイドはあたふたと両手を振って弁解し始めた。
「すみません、こんな時間帯に!!私最近この屋敷にメイド見習いとしてやって来ました!まだ慣れないこともあって、中々今日の分の仕事が終わらず、ついさっきまで居残って働いていたんです。自室に帰ろうとしていたら、このお部屋から灯りが漏れているのが分かりまして、もし必要でありましたら最後にお飲み物でも・・・と思い。すみません・・・」
徐々に語尾が小さくなり、最後にはしおしおと俯くメイドは、見習いと言うだけあって確かに若い。
俯いてしまったが、見目もそこまで悪くなかった。
男は舌舐めずりしてメイドに中へ入るよう促した。
女を別荘へと移してから身辺が慌ただしく、快楽を求める暇も無かった。女を失った喪失感と苛立ちをぶつける相手が欲しかった。
メイドと言えど、夜中に男の部屋に訪れる馬鹿が悪い。これもまた、無知な者への学びになるだろうと内心で言い訳して手招きする。
鈍感にも小首を傾げながらメイドは男の元へと駆け寄ってくる。扉が確りと閉められたのを確認してメイドの両手首を捕らえた。
「な、何を・・・っっ!?」
そのまま机の上に肉の薄い身体を力にものを言わせ押さえつける。細い手首を片手で抵抗出来ないように封じ、もう片手でお仕着せの裾をたくし上げた。
「ははっ!!間抜けが、こんな時間に男の部屋へ入る貴様が悪いんだ」
驚きで目を剥くメイドを無視して服の上から身体のラインをなぞる。抵抗を見せていたメイドも直ぐに大人しくなった。
瞳に涙をたたえて懇願するようにヒタリと男を見据える。
「あ、あの・・・、て、抵抗しません!しませんからどうか、どうか酷くしないで・・・・・・っっ」
男の身体の下で震えるメイドからは、既に手向かう精神は消え失せていた。その姿に溜飲を下げ、弱者を支配する優越感に浸る。
「物分りが良いな・・・素直な奴は嫌いじゃない。ほら、服を脱げ。メイドとして、奉仕してもらおうじゃないか」
黒のドレスにフリルがふんだんにあしらわれたエプロンの裾をぐいっと引っ張りこの場で脱ぐよう催促する。
メイドは顔を赤らめて目を瞑った。
「ぬ、脱ぎます・・・あの・・・、お願いです。脱いでいる間、どうか後ろを向いてくれませんか?」
「そう言って逃げるつもりじゃないだろうな」
視線で威圧するとメイドはより身体を縮こませた。ゆるゆると首を振り、逃げる意志は無いと示す。
「ーーふん、だったらとっとと脱ぐんだな」
せめてもの情けでメイドから距離を取り、背中を向ける。
机の上でゴソゴソと動く気配、暫くして衣擦れの音が耳に届く。
男は頭の中でどのようにこの少女を甚振るか想像し、静かに下卑た笑みを浮かべた。この瞬間、男は確かに女のことを忘れることが出来た。
蝋燭の灯りが部屋を満たし、二つの影が揺らめく。男は漠然とその影を見ていた。メイドらしい影がゆっくりと机から立ち上がり、違和感に気付く。
影が異様に長い。
いや、長いだけでなく男の骨格のように肩幅が広い。
即座に振り返ろうとした男の首に、冷たい刃が添えられる。
「振り返っちゃ、だあめだってば。かあわいぃ女の子が着替えてんだからなー」




