【四章】思い出
俺がぐるぐると出せもしない答えを必死に探し求めていると、耳を劈く鳴き声によって、物思いにふけっていた思考が弾け飛んだ。
「カアーーーーッッ!!」
烏の鳴き声に驚き、視線をその方向へ動かす。ニケとミールが俺の前でちょこんと寄り添っていた。
「え・・・いつの間に・・・・・・」
驚く俺を無視して、ミールが軽く羽ばたいて俺の頭に飛び移る。
足の爪に額を傷付けられたのだが、もしかしてわざとだろうか。
「ホッホッホ」
ミールが愉快気に鳴き声を上げ、俺の髪を嘴で甘噛みし始める。次いでニケが肩に留まり、慣れた素振りで羽繕いをし始めた。
二羽共に、俺の体を止まり木扱いして居座る気まんまんだ。
「なんだよ・・・、あんなに・・・、探しても来なかったくせに・・・・・・」
動物の高い体温にほっとして、強ばっていた体に力が抜ける。
ニケの嘴が俺の頬を擦る。
俺がその場で俯くと、ミールが俺の腕に滑り落ちた。
なんとも言えない気分だった。
抱きしめても身動ぎ一つせず、ミールはその柔らかな体を俺に委ねていた。
「ポゥ・・・ホゥ・・・」
なんとも言えない、気分だった。
腹の底からマグマのように熱いものが噴き上がる。その熱い奔流に飲み込まれて身を委ねてしまいたい。
あぁ、だけど。
こんな所でみっともなく、泣きじゃくるのは恥ずかしいなぁ。
孤児院の皆は今頃、食堂で食事を摂っている頃だろう。
見渡すと俺が蹲っている通路は、人通りもなくしんと静まり返っている。
「・・・とりあえず、ここに居たらミールもニケも怒られるよな・・・」
目元を拭い二羽を抱いて、いつもの裏庭に足を運ぶ。
坊と毎日のように会っていたこの場所を、俺は無意識に避けていた。
俺の頭くらいある石に座って、ミールとニケを腕から解放する。二羽は自由になっても俺から離れず、膝の上で戯れていた。
二羽の頭を撫でながら、孤児院を囲む塀をぼんやりと眺めていた。
狭い塀の隙間から、よく坊と遊んでいた。
ここで待っていると息せき切ってやって来るものだから、自然と坊の髪はぼさぼさになっていた。それが気になる俺は、よく手櫛で整えてやっていたっけ。
そうだ、ジャンケンだけでテンションが上がって、くたくたに疲れたこともあったよなぁ。
坊のこと名前も、住んでる場所も、何にも知らないのに、院長に紹介したいと思っていたんだ。
馬鹿だなあ・・・馬鹿だなぁ・・・、俺。
坊に騙されたっていうのに・・・・・・。
ほんと・・・馬鹿だ・・・。
「アル・・・、大丈夫?」
おずおずと頭上から降り落ちる小さな声に、俺は顔を上げた。
マリーナが建物の物陰から此方の反応をうかがって、ゆっくりと足を踏み出す。
困惑という言葉通り、マリーナは困ったように少しだけ微笑んだ。
「朝ご飯、食べれてないよね?どこか調子悪い?パン、持ってきたけど食べれそう?」
さらりと空色の髪がマリーナの肩から落ちる。俺は目を瞬かせて、近くに垂れ下がったその綺麗な青に触れた。
「アル!?」
顔を真赤にさせたマリーナが驚いたのだろう、俺から顔を離した。拍子に俺の手が掴んでいた髪も遠く離れて行ってしまう。
「え、あ・・・ごめん。髪・・・、伸びたなって、思って」
鎖骨くらいの長さしかなかった髪は、今では彼女の胸くらいまで伸びていた。
「・・・そんなこと言ったら、アルだって髪、伸びたよ。後ろ髪、括れると思う」
指摘された通り、後頭部に手を回すと襟首にまで髪が流れていた。
いつの間に、それだけの時が経っていたのだろうか。
「まぁ、アルは魔法の訓練とかで色々夢中になってたもんね。はい、パン。食べて?」
マリーナが俺の隣に座り、持ってきたパンを半分に割いて寄こした。
もう半分を一口大に割いて彼女自身の口に運ぶ。
「ありがとう、マリーナ・・・」
「いいんだよ、私がアルと居たかっただけだもん」
半分になったパンを眺め、マリーナが食べる姿を横目に入れて、遅まきながら気が付く。
「もしかして、これマリーナのパン?」
指摘を受けて彼女は気まずそうに頬をかいた。
「アルの分、持って行こうとしたらララとミミに食べられちゃったんだ・・・。だから、私の分しかないの・・・ごめんね」
双子が俺の朝ご飯を卑しく奪い合う姿が直ぐに想像できた。
あの双子はいつか本気で叱られたほうがいい気がする。
意気消沈するマリーナの肩を叩いて、気にしていないことを伝える。
「いいよ、食堂に行かなかった俺が悪いんだから。逆にごめんなマリーナ。ありがとう、折角だからもらうね」
そう言ってパンを口に入れる。出来てから時間の経過したパンは、基本的にソースやスープに浸して柔らかくして食べなければ、固くて食べられた物じゃない。
止むを得ず、マリーナのように一口大に別けて口に放り込んだ。一口だけでも口の中の水分が奪われていく。
無言で咀嚼し続ける俺の足元で、地面に落ちたパン屑をニケとミールが嬉しそうにつつく。
必死な形相でパン屑を探すニケに癒されていると、不意にマリーナが笑い声を漏らした。
「ふふ・・・、美味しいねぇアル」
思わず手に持っていたパンとマリーナのそれを見比べた。確認する必要も無い、変わり映えしないカリカリに焼かれた普通のパンだ。
「マリーナ、このパン好きなの?」
俺は好きじゃないかなというあからさまな顔をして言うと、マリーナがまた可笑しそうな声を出す。
「アルと食べてたら、なんでも好きだよ。なんでも、美味しい。嬉しい」
ほんのりと頬を染めて、マリーナが笑む。
『おぃしい』
幼い子供の姿とは、似ても似つかない。
だというのに、あの悍ましくも懐かしい声が鼓膜を振動させた気がした。
「アルって、いっつも一人になりたいと、ここに来るよね。アルの世界に入って良いのか分かんなかったけど、アルは一人になりたくない時も、ここにいるんだね」
マリーナが食べかけのパンを膝に置いて俺を見た。
薄青、澄んだ空が両の眼で俺を捕らえた。酷似しているようで少し違う。
坊の瞳の方が、より濃い蒼だった。
「悲しい時も、嬉しい時も、困った時も、楽しい時も、辛い時も、幸せな時もアルが呼んだら、私はアルの傍にいるよ。だから、ね?無理しなくていいんだよ・・・アル」
マリーナが俺の手を握る。それは、とても柔らかく温かい。
俺の記憶に根深く残る手は、人の手ではなかった。
子供の手よりも何倍も大きく、赤い皮膚が覆う手は、驚く程に固く、指先は鋭利な爪が生え揃っていた。
俺を傷つけるのは簡単だった筈だ。
「あ・・・・・・」
俺の目からぼろぼろと涙が流れ落ちる。
坊と過ごした短い思い出の中に、確かに、あった。
信じたいと、信じられると思える瞬間があったのだ。
「美味しい」と言葉を交わした一時があった。坊は何時だって、どんな姿でも、俺の友であろうとしてくれた。
ラヴィーナに致命傷を与えた事実は揺らがない。けれど、俺と坊で過ごした日々は、誰にも否定出来ないのだ。
坊の手は、俺に傷を付けなかった。
坊は、確かに俺の友達だった。
静かに泣き崩れる俺を、マリーナは無言で抱きしめた。
「「ララもいるよ!」」
突如、双語のユニゾンが静寂に満ちた裏庭に木霊する。
いつの間に現れたのか、二人がそれぞれミールとニケを頭に乗せたまま、俺の両脇にしがみついた。
「こ、こら!ララ、ミミ、空気を読め!!」
少し離れた物陰から、ディックが身を乗り出した。彼の背後では、ネルが笑いを堪えている。
「空気は読むものじゃないですー」
「空気は吸って吐いてするものですー」
「「すー・・・おぇぇ!!」」
双子が俺の腕にじゃれつきながら、ディックに反抗的な態度で舌を出して言い返した。
見事な吐き真似にディックの額に青筋が生まれる。
「み、皆・・・、いつからいたんだよ」
俺は双子に両脇を挟まれた状態で事態を把握した。羞恥で顔が熱くなっているのを自覚しつつ、乱入者を一望する。
ディックが薄らと顔を赤らめて俺の視線を避けた。
何故だ!!
ネルが咳払いして眼鏡のブリッジを指で押し上げた。眼鏡が反射してキラリと光り、俺の目に攻撃した。
眩しい!!
「髪伸びたなってくだりの所からかな」
「ほぼほぼ最初じゃん!!」
俺が吼えるとネルは腹を抱えて笑いだした。
「わ、悪い。マリーナにちょっと遅れる感じでここに来たんだけど、雰囲気が既に出来上がってたからっっ!!でも、俺はそういうの、まだ早いと思うんだ!!俺達まだ子供だし」
ネルを庇う形で言い訳を口にするディックだが、最早何を言っているのか分からない。しかし、彼が盛大に勘違いしていることは理解出来た。
「なんのこと言ってんのかなあ!?多分、恐らく、確実に、勘違いしてるよなディック!!?」
「私は、アルとならいいよ・・・」
このままではいけないと言い返す俺を無視して、マリーナはぽっと可愛らしく頬を染める。
その表情、家族に見せるものじゃないよね?
嫌な予感、あるいは第六感と言えるものが働き、俺はそれに則って藻掻く。
「何が!?マリーナ、自分のこと大切にしろよ!?いや、なんの事か一切わっかんないけどっっ」
「アル五月蝿いねぇ」
「アル五月蝿いよぉ」
喚いて抗議し続ける俺に対して、双子は無情にも苦言を呈し、俺はがっくりと肩を落とした。
「はい、ごめんなさい。俺が悪うござんした」
「ーーそうだよ、アルが悪い」
ネルが目尻の涙を払い、笑いを引っこめる。
「だから、早く謝ってきなよ。先ずはそこから、始めよう」
誰に、とは態々言明しない。だが、俺にはそれだけで十分だった。
「謝りに行くのが怖いっていうなら、何時でも気合いを入れてやるよ」
ディックが自身の掌に向けて拳を放つ。ぱしんと軽い音がしてーー想定以上に痛かったのだろう、拳を受け止めた掌をふるふると振って誤魔化している。
「「謝れたら、お菓子あげるよぉ」」
双子が懐からぐしゃぐしゃに崩れたクッキーを取り出したので、俺はそれを無言で彼女達の懐に戻した。
自分達でお食べなさい。
「一人が無理なら、私も一緒に行くよアル」
俺はマリーナの手をもう一度握る。前髪の隙間から、マリーナの目が心配そうに揺れ、俺を見つめた。
擽ったい気分で俺は笑った。
「・・・うん、大丈夫、大丈夫だ。ありがとう、みんな。俺、頑張ってみる」
きっと、今みたいに躓いたら、俺を引っ張り起こし背中を押してくれる皆がいるから、俺は「大丈夫」なんだ。
『だぁい、じょうぶ』
記憶に息づく坊が、そう言って笑った気がした。




