【三章】微睡み
ああ良かった。ようやく・・・。
水に沈む身体は、服が巻き付き思うように動かない。安堵で弛緩した身体が抵抗することもなく深く、深く闇に落ちていく。
波紋に揺れ沈む視界に、・・・がこちらに手を差し伸べようと必死に身を乗り出し、周囲の者から押し留められているのが朧気に映る。
切羽詰まった・・・が妙に俺の心を掻き乱した。
俺は・・・間違っていたのだろうか。
最後の最後に見たかったのは、そんな悲愴な姿ではなく、笑顔を浮かべるお前が良かったのに。
ーー・・・いるから、自由におなり。
世界中の・・・を淘汰して、君に永遠の・・・を。
だから、どうか・・・・・・生きてくれ。
「君に会えたことが1番の・・・だった」
言葉は音にならず、空気を孕んだ泡が口から零れるばかり。
視界は暗く、意識は遠ざかっていく。
そうか、これで・・・なのか。
口端が緩く弧を描く。
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水底に沈んだ俺の体は、何かに縫いとめられているように動かない。それもあってか、体にエビやカニ、果ては魚が俺の体をつまんでいく。
痛みはなかった。
ただ、意識だけはあって、海中生物が俺を食べていくのを呆けた顔で見ていた。
暫く経って、俺は骨だけになった。
自分という存在が食べられ、白骨化していく様を傍観していた。
後悔や絶望等の感情は湧かなかった。
ただ一つ、早く終わることを願った。
だというのに、俺はまだ水底でたゆたっている。
俺は消滅せず、水底まで届く光の波状や、骨に張り付く貝を眺める日々を送った。
それにも見飽きた頃、移動出来ないか試してみる。だが、やはり身動きが取れなかった。
俺は諦めてまた地上に思いを馳せた。
沢山大事なものが、あそこにあったような気がした。
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どれだけの長い時を送ったろうか。
気づいた頃には、俺の骨も魚も水中世界すらも無くなって、俺は暗闇に包まれていた。
自分自身が上を向いているのか、下を向いているのか、はたまた立っているのか、それさえも分からない。
視界一面が黒く塗りつぶされ、何処か懐かしささえ感じる。
黒一色の世界に意識だけが浮かび、存在自体が曖昧になっていく。
このまま長い眠りについても良いかもしれない。
そうして、俺は瞼を閉じた。
「ーーー・・・・・・」
闇が揺れた。
俺は細く目を開けて、周囲を確認すると再び目を閉じた。
何かが混ざった気がしたが、闇は口を閉ざし続けている。
「ぁー・・・、み・・・ぃ・・・」
今度は些かハッキリと耳に残る。
それは声だった。
子供特有の高い声音が耳に届く。
何処か聞き覚えのあるような・・・。
いや、気のせいだろう。
直後、重みをはらんだ闇を切り裂くように声が響く。
「・・・見ぃつけた!!」
目の前に子供が立っていた。
蜂蜜色の髪をくしゃくしゃにして、子供が喜色を浮かべる。
俺は唖然としてその子供を凝視した。
見覚えのあるような気がしたし、ないような気がした。
思うように思考回路が繋がらず、見下ろしたか、見上げたかした子供を俺は拒絶した。
ーー来るなっ!!ーー
俺の言葉に呼応するように闇がうねり、子供に襲いかかる。子供は抵抗できずに、闇へと飲み込まれた。
一部始終を見て、何故か俺の胸奥が騒めき、きゅうっと胸が締め付けられた。
俺は頭を一つ振り、気を取り直して眠りについた。
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草の青臭い香りが鼻につき、俺はゆっくりと起き上がった。
先程までと打って変わって、世界は色に溢れていた。
太陽が降り注ぎ、辺り一面を照らしていく。草原が風の悪戯で揺れ、鳥が囀り兎達が戯れ合う。
俺の傍らに女性が座っていた。彼女は俺が起き上がると、読んでいた本を閉じた。
「・・・起きた?よく眠ってたわね」
頬に浮かぶそばかすも気にせず堂々と顔を上げ、彼女は俺の目をしっかりと見て微笑んだ。
何処かで見たことのある顔だ。
確かめるように、俺は彼女へと手を延ばした。
「ーー人の記憶を踏み荒らすものではない。いくら、君といえどもね」
後ろから、俺の目を覆う手が伸ばされる。
俺の体はまた動かなくなり、男の手を払い除けることができなかった。
「大分深い所まで潜り込んだものだ。あまり、ふらふらするものじゃない。ほら・・・ーー君の迎えが来た」
目元を覆う手が外されると、俺はまた闇の中に放り出された。背後を振り返るが、男の姿は見あたらなかった。
「やっと見つけた!ほら、・・・あっちに行こう!!」
代わりに先程の子供が俺の手を掴み、頭上を指差す。
俺は眉間の皺を深くした。
上に・・・?
この何も見えない中、どうして上に行かないといけないんだ。
もう、諦めてしまえばいい。
俺には何も無いのだから。
「だって・・・は、あの場所が好きなんでしょ?何も無いわけないよ。大丈夫、絶対思い出せるよ!今は、疲れちゃっただけだよ」
あの場所・・・、思い出す?
俺は、何か忘れているのか?
一体、何を・・・・・・?
そして、俺はようやく目の前の子供が、俺の名前を呼んでいることに気が付いた。
「うー、そこまで忘れてるの?じゃあ、僕のことは?」
首を横に振ると子供は泣きそうな顔をして座り込んだ。
俺は思わず、そのくしゃくしゃにはねた髪に手を延ばした。すると、犬のように頭を掌に擦り付けてくる。
一瞬、どうすれば良いのか戸惑ったものの、俺は無言で坊の希望通り髪を梳いて撫でた。
「ア・・はね、よく僕にこうしてくれたよ」
俺を呼ぶ名前の部分がどうしても、ノイズがかって聞き取れない。それでも、坊は気にすることなく、言葉を続ける。
「でもきっと、・・ルトのほうがこうされたかったんじゃないかな」
俺は坊の撫でる手を止めた。
誰かの手が、俺を繋ぎ止める手が視えた。
「髪、すいてくれる人がいたんでしょ?」
ーーあ・・・ーー
「思い出した?アルじゃあ、帰ろ」
大切なモノが沢山あった。
大切にしたい人が沢山いた。
会いたい家族がいた。
俺は坊に手を引かれて上を目指す。
俺には、会いたい人が沢山いた。




