【三章】裏切り
主都アルメリアの孤児院は、魔王から世界を救ったと語られる聖女直々に手懸けられている。
質素倹約を掲げ、聖女自身が身銭を切っていた。貴族からの寄付は微々たるもので、基本的に権力争いを避けて寄付金を断ることが多い。聖女が莫大な財産を所有しているからこそ出来る荒業である。
アルメリア領主はこの地での活動を認め、孤児院の管轄は形式上領主で通っているが内実は聖女の孤児院であり、領主による支配権が無いことに変わりなかった。
英雄豪傑たるメンティーラ・バールハイトを掌中にしたい貴族は国内外問わず存在する。しかし、孤児院は彼女にとっての『聖域』であり、無理に押し掛けた所で聖女の心象を悪くするだけであった。手をこまねいてばかりいた貴族が強行を謀る前に、彼女は老猾さを披露した。
「私は聖女としての責務を全うし、そしてこれからも聖女の威信を貶めることないよう努めることを誓いましょう。だからこそ、今後も変わらず中立な立場で世の人々の為に粉骨砕身したいと思います」
ユースベリア前王の謁見の場で宣言すると、周囲の制止を振り切り、その足で他国へと渡ったのである。
そうして長い年月、各国を巡り聖女と言わせしめた力で人々を癒し、多くを救ってきた。聖女の名は世界にあまねき、献身的活動は人々の心を打ち、各国から高い支持を集めた。
前王、貴族達は悟る。
自身の利を求めて聖女を手に入れれば、彼女の不興を買い、この国をさっさと見棄ててしまうだろうことを。それは自国の愚行を世界中へ広めるのと同義であり、各国からの批難は免れない。
この行動は、彼らへの牽制であり、警告でもあった。
聖女を失う危険を回避すべく、彼らは不干渉を暗黙のルールとした。
故に、国の重鎮は孤児院を『聖域』と呼ぶ。
聖域からは今日も、子供達の笑い声が溢れていた。
窓からさす眩いほどの陽射しに、ラヴィーナは身動ぎ、数拍後覚醒した。
見覚えのない部屋ーー木造の寝室にはラヴィーナが眠っていた寝台とドレッサー、その上に花瓶が置かれ鮮やかな花が生けられている。
見知らぬ場所で目覚め、ラヴィーナは警戒して身を起こした。
武器を探すが、部屋の中に愛用の剣さえ見つからない。そして、自身が白のワンピースを着用していることに気付き、ラヴィーナは眉を顰めた。
今までのラヴィーナは、意図的に男装をしていた。
女物の衣服は敬遠していたと言っても過言ではない。女の姿のままでは、冒険者であっても軽んじられるだろうと髪を切り、男物の衣服に袖を通して活動していた。それ以外の理由もあったが、ラヴィーナは拳を握って下腹部の痛みをやり過ごした。
頭を振り、憎い記憶から目を逸らす。立ち上がろうとして、動きを止めた。
ラヴィーナの頭からざっと血の気が引く。
「・・・・・・そう、だったな・・・」
ラヴィーナは右足があっただろう場所を見やって、自嘲気味に口端を上げた。布団をかけられた下肢には、右足だけ膨らみがなかった。
ぼんやりとしていたラヴィーナの脳裏に孤児院での任務から、魔物との攻防が駆け巡り、失った右足の意味を思い出した。
打ちひしがれるラヴィーナの頬に幾筋もの涙が流れる。
噛みしめた唇、握りこんだ拳から血が滲む。
「何故」とラヴィーナの心が悲痛に叫んだ。
全てを、失った。
今まで築き上げた冒険者としての立場と未来の崩壊する音が聴こえる。がらがらと自身が立っている足下が崩れ、ラヴィーナは堕ちた。
どれだけそうしていたか、不意に部屋の扉がノックされる。
ラヴィーナは緩慢な動作で目元を拭った。唾を飲み込み「どうぞ」と平坦な声を出して入室を促す。
「ーーーおはよう、ラヴィーナ。どうかしら、体調の方は?」
入室した聖女は穏やかに微笑んだ。湯気を立てるスープを運び、ドレッサーの上に置く。
「もうそろそろ起きるかと思ってね、栄養満点のスープを作ってきたの。食べられるかしら?」
カチャカチャと音を立てて準備を進める聖女を、ラヴィーナは睨み付けた。
ラヴィーナはこの世の全てが、理不尽にラヴィーナを傷付ける世界が、憎たらしくて堪らなかった。
「いくら私の力でも体力の底上げはできないわ。さ、一口でも食べて早く元気になってちょうだいな」
ラヴィーナの前に出されたそれを、反射的に跳ね除けた。皿の割れる音が高く響き、聖女の衣服に熱いスープが染みわたる。
不愉快だった、何もかもが。
「誰がお前の作ったものなど口に入れるか!!お前、お前のような裏切り者が作ったものなんてっっ!!」
ラヴィーナの怒りが爆発した。
指さして激昂するラヴィーナを前にしても、聖女は静かに割れた皿を片付けるだけで、こちらに対して何のアクションも返さない。その姿を目にして更に怒りが込み上げたラヴィーナは、聖女を責めたてた。
「お前が聖女のはずがない!!世紀の大罪人め!!」
どれだけ口汚く罵っても無言を貫いていた聖女が、この言葉に反応を示した。
「ーーそれは、どういう意味かしら」
聖女から立ちのぼる気迫に、ラヴィーナは一瞬放心した。
が、瞳に力を込めて聖女を見据える。
聖女の裏切りが、巡り巡ってラヴィーナをここまで堕としたのだ。
しかし、それは八つ当たりに近いものだと、冷静な思考を続けるもう一人の自分が諌める。
だが、ラヴィーナは止まらなかった。
否、止まれなかった。
胸に巣食う怒りが、絶望が、様々な気持ちが混ざりに混ざって吐き出さずにはいられなかったのだ。
身勝手に、我儘に、見苦しく、浅ましいこの醜い姿を他者に曝け出すつもりの無かったラヴィーナは止まれない。
「貴女の所にいる、あの白髪の子供・・・・・・」
止まり方を知らない、無知で幼稚な人間だった。
「ーーーアルレルトは、今代の魔王なんだろう!!」
鬱積した想いをのせて言葉を吐いた。
それが真実だと、ラヴィーナの直感が告げていた。
あの魔物は食べることを、甚振ることを目的とせず、純粋にアルレルトの傍に居た。あの夜、アルレルトに忠誠を誓い、守護せんと動いた魔物を瞼に描く。
それらの行動の真の意味を理解したラヴィーナは、戦慄したのだ。
魔物が人間に忠誠を誓うなどあり得ない。それがあり得るとするなら、相手は人間ではない。
魔王ーー魔物を統べる王。
歴史上では、魔王の命によって魔物の軍勢が押し寄せ、幾つもの国が滅んだ。このことから読み取れる通り、その存在は惨忍で、また享楽を好み、人間を目の敵にしている。
魔王は過去、数百年の間隔をあけて、或いはそれよりも短期間で偶発的に誕生した。魔王の姿形は過去の伝聞に残ってはいない。しかし、魔王の誕生に必ずと言っていいほど魔物が凶暴化、或いは増殖した。それを前兆として、各国は魔王討伐に力を入れる。
同時に神の戯れか、魔王が誕生すると決まって『聖女』と、そして『勇者』が現れた。彼等は魔王討伐にあたっての切り札であった。
言うなれば、悪を倒す聖女や勇者は『善』であり、世界の命運を握る存在である。
それがどうして・・・、聖女が魔王を飼っているのか。
これを「裏切り」と言わずして、なんと言う。
魔王を討伐してからも、世界を渡って人々を救い続け、「真の聖女」とまで褒めそやされた眼前の女の裏切りが、許せるはずもなかった。
「お前が耄碌して聖女としての判断も鈍ったというなら、私が魔王を殺す!!」
感情のまま、言葉通りにラヴィーナが寝台から出ようとすると老女が止める。その手つきは乱暴で力強く、今の弱りきったラヴィーナが抵抗しても適わなかった。抵抗も無意味に終わり、結局は寝台に戻ることになる。
彼女は、若草色の目をラヴィーナに向けた。
侮蔑でも嫌悪でもなく、そこにあるのは、無だった。
「あの夜の質問に、答えてあげましょう」
低く落ち着いた声がふる。それは、意識を失う手前、ラヴィーナが抱いた疑問を指していた。
「ーーー私は聖女ではないわ。でも、安心なさいな、あの子が魔王となった時には、私が殺すと決めているから」
ラヴィーナは相手が何を言っているのか、理解出来なかった。しかし、彼女の真剣な顔つきに冗談でも、嘘でもないことを悟る。
「聖女じゃないって・・・、どういう意味なんだ・・・。何故・・・、アルレルトをここに置いている。いつ、他の子らに危害を加えるとも分からないのに」
疑問が津波の如く押し寄せる。
森の中で、聖女としての彼女と、眼前に立つ彼女が「ブレた」瞬間をラヴィーナは思い出していた。
何を考えているのか毛ほども理解出来ず、ラヴィーナを心配するその口で子供を「殺す」と言う。正面に立つ女が未知の生物に写り、気味悪ささえ覚えた。
混乱をきたした人間そっちのけで、聖女と崇められた女は暫し、宙を舞う埃を目で追って、ゆっくりとラヴィーナの右足へと視線を移した。
ラヴィーナはかっと頬が赤まるのを感じた。
羞恥だ。
その視線は多くを語らず、だからこそ、もはや唯の醜女に過ぎないラヴィーナを底へと叩きのめす有効な手段となった。
醜態を晒している自覚があった。それだけに、対等な立場にもなれない事実が、自身を更に憐れにさせた。
「・・・・・・それは、貴女が答えを見つけたらいいわ。あの子も、私も、逃げないのだから」
彼女は弁明もせず、責めるでもなく静かにその緑の目で見据えた。
まるで、ラヴィーナの方が懺悔に訪れた罪人になった気分だった。
赦して欲しい。
だが、罰される恐ろしさと救われたいという傲慢さが顔を出す。
海のように凪いだ瞳は、ゾッとするほど綺麗で、そしてチリチリと焦げ付くように強い。
品定めの色が濃いそれに、思わずラヴィーナは顔を伏せた。
瞬間、負けたのだ、と思った。
これでは子供の癇癪でしかない。
いや、初めから癇癪以外の何物でもなかった。
本音を言ってしまえば、魔王だとか聖女だとか、それこそ世界への裏切りも何もかも、どうでもよかった。目を逸らしたくなる現実から、逃げ出す為の口実に過ぎない。
生きる気力もプライドも粉微塵にされてまで、強くあれるわけが無かった。ただ理由をつけて、死ぬ方法を探していただけだ。
子供を殺そうとすれば、死なせてくれると思ったのだ。
もう、終わりたかった。
「ーー貴女の手で答えを探しなさい。死ぬなんてみっともない真似をしてガッカリさせないでね」
聖女はラヴィーナの弱さを見透かした。見透かした上で、釘を刺した。
「何故だっ!何故助けたっっ!!貴女は分かっていたはずだっ!あの森で、私が魔王に気付いたことすら!!何故生かした!それとも、このように無様に成り下がった私は、脅威でないとでも!?」
犬のように吠え続けるラヴィーナに向かって、聖女は一笑した。
とても優しい、柔らかな笑みだった。
「救いたいと思ったからよ、貴女も、アルレルトも、みんなを・・・」
「ーーー・・・・・・っっ」
傲慢なまでの慈悲の心に言葉を失くす。
ラヴィーナの頭に聖女の骨張った手が乗せられた。その手が静かにラヴィーナの髪を梳く。
「私を憎んでも構わないから、先ずは生きるということをしなさい。・・・別の者に食事を持って来させるわ」
そうして、彼女は割れた皿と共に部屋を出て行った。
布団を手繰り寄せて包まり、ぎゅっと目を閉じた。
弱い自分自身との向き合い方なんて、知りたくすらなかった。
開け放たれた窓から、庭を駆ける子供達の笑い声がわく。
『聖域』でラヴィーナだけが涙を流した。




