【三章】産声
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地獄へと繋がる穴に封印の証として大岩をそこへ充てがう。地面が揺れる程に重い音を響かせて、ピタリと岩が穴に嵌ったのを確認し、張り詰めていた緊張の糸を弛めた。
岩の向う側ーー地獄の使者もとい、魔物の気配は一切感知できない。
何倍もある大岩は、流石に魔物の力をもってしても砕かれることは無いだろう。
ラヴィーナは、意図的に笑みをかたどった。
まさか孤児院から抜け出した子供の跡を追っていたら、こんな大物を引当てるとは。誰が予想出来ただろうか。
半端に知恵のある魔物であったことが幸いして、たった1人の子供を犠牲にしただけでこの地に封じる事ができた。
本来であれば計画を練りに練って、何十人と共闘して倒すべき相手にこの成果であれば十分過ぎる善戦だ。
否、勝利と言っても過言では無い。
聖女だった老婆の協力を得る代わりとして、彼女が守護する孤児院へとラヴィーナが派遣されたのは、ここ最近の話しだ。
冒険者ギルドと街長から選別された精鋭部隊であり、そんな私達に任された仕事が魔物退治では無く、子供の遊び相手であることに殆どの者が不満を抱いていた。
しかし、何の冗談だ、と憤っていた不敗を誇る戦士さえも、純粋無垢な子供達を前にして立ち所に陥落していったのだから笑えない。厳つい男達の強面がデレデレと気味悪く崩れる様相は、悪夢として魘される日々を送る程度には、笑えない。
勿論、任務は任務と気持ちを切り替えてラヴィーナも子供の相手をしていた。
そんな折、距離を取る一部の子供達の中に、あの子はいた。
裏庭で烏や鳩と戯れるーー珍しい髪色と瞳を持つアルレルト。毎日毎日、彼が街の子供と密かに遊んでいたのは把握していた。
今日も遊んでいるなと裏庭での様子を遠くから窺っていると、アルレルトが突如塀を乗り越えて孤児院から脱走したではないか。
慌てて跡を追い、孤児院へ収監しようとしてーーー止めた。
犯罪を犯してもいない、ただの子供達を監禁し続けることがどれだけ哀れなことか理解していた。
それならば、目の届く範囲で少しのガス抜きはさせてやらないと何時どこで爆発するか分かったものでは無い。
聖女の庇護の下でしか生きていけない子供らだ、早々馬鹿なこともすまいと考えて見守った。
それがどうして、貧民街を堂々と闊歩したかと思えば、森へと入っていくではないか。
運が悪いことに、その地域の検問所は、貧民街の治安の悪さと森に蔓延る魔物の獰猛さ故に設けられていなかった。
森へと続く道はある程度整地されているが、実際にこの道を利用する者は、魔物の討伐を依頼された冒険者か、食うに困った貧困層か、命知らずのどちらかである。
幸いにして、魔物や魔獣は基本的に自身のテリトリーから出ることも無い。
万が一、森から出てきたとしても、一番の被害に遭うのは貧民街の連中である。
彼等が襲撃を受けている間に、他は守りを固め攻撃の準備を整えることができるという寸法だ。貧困層はこの街にとっての必要悪、敵への撒き餌でもあった。
これらが防衛システムの全てでは無いが、今回はそれが禍した。防波堤がない為に、子供達は無防備にも森へと足の歩みを止めなかった。
流石に待ったをかけようとした所で、子供らを無視して小型の魔物や魔獣が襲撃してくる。
何故、か弱い子供では無く、ラヴィーナに敵が集中するのか。疑問と焦燥を感じながらもそれらを屠り、走る。
ようやくアルレルトのいる場所へ近付いた時、ラヴィーナは瞠目した。
アルレルトの前にその四肢を折り頭を垂れるーーー狒々と虎を半分に混ぜたような、複雑怪奇な魔物がいた。
その光景は、理解の範疇を超えていた。
違う、脳が現実を拒絶したのだ。
魔物が人に忠誠を誓うその姿が何を意味しているのか、遅ればせながら気付く。
考古の憂いをはらうのであれば、人類の未来は、今、まさにラヴィーナの選択にかかっていた。
そして、ラヴィーナは選択した。
経験に裏打ちされた枝分かれする選択の末に“今”に繋がる未来を。
『俺達は幸せになる過程にあるんだ、決して可哀想なんかじゃない』
何時だったか、アルレルトの言葉が脳裏を掠める。ラヴィーナは、くくっと皮肉な笑みを浮かべた。
「ーー・・・なんだ、やっぱり可哀想じゃないか」
しかし、幸いにして無駄死にでは無いだけ、彼は運が良いのだ。
ラヴィーナは思いを断ち切るように頭を振ると街へと足を向ける。
世界に闇が降り、梟の鳴き声が遠く聞こえる。
夜は人間には分が悪い。闇夜に潜む獣も魔物も夜目がきき、オマケに狂暴的になる。
一刻も早く森から抜け出してギルドへ経緯を報告しよう。
『グヴオ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォォォォォォォァ』
空気を震動させるソレは、産声を連想させた。
ビリビリと鼓膜を突き破られたような錯覚を抱き、我知らず耳を塞ぐ。咆哮は世界への悲憤慷慨に満ちている。この身を引き裂く様な狂気を纏い、生物の怖気を震わせた。
木々に隠れていた獣が覇気にあてられ、ドサドサと落下する。
ラヴィーナの額から、緊張の汗が流れた。
月が出ていなくとも、魔物の復活を遠目にハッキリと視認した。
出られるはずがないとたかを括っていた。あの大岩も魔物の足止めにすらならなかったらしい。
ラヴィーナにはもう、戦う為の魔力も残ってはいなかった。
余裕にみせかけたあの戦いは、己の力量と魔物の行動を計算した上での全力であった。
悪足掻きする程度も戦えそうに無い状態で、あの魔物とやり合う気概も正義感さえ湧かない。
此方の存在に気付いていないうちに、さっさと避難すべきだと身を翻す。
瞬間、背筋に冷たいものが走った。
ラヴィーナは、振り返ると同時に後方へ飛んだ。
眼前に飛び込んできたのは、狒々の感情が失せた顔だ。
自然の悲鳴が耳に届く。
ラヴィーナが先程まで立っていた場所は、魔物の攻撃により地面が抉られていた。地面に深々と残る爪痕に、ラヴィーナは口元を引き攣らせる。
目覚めてしまった。
先程までの、攻撃することに対する躊躇も罪悪感さえ吹き飛んだ魔物は、抑えていた狂暴さを解き放っていた。
やはり、先程の咆哮は産声だったのだ。
人への情を捨てた、獣の産声だ。
魔物はただ無言で黄色く澱んだ眼差しを向けていた。
先刻まで大事そうに抱えていたアルレルトを手放したようで、だらりと腕を下げている。
言い様のない焦燥感と警鐘が鳴り響く中、ラヴィーナは魔物と距離を取る為にジリジリと後退る。
「やぁ・・・・・・先刻ぶりだね。どうやら良い夢が見れたようでなによりだ。まぁ、私にとっては災難としか言い様がないがね!」
軽口を叩きながらも、ラヴィーナの全身は冷や汗がとめどなく流れる。笑みを浮かべているが、心臓の鼓動が「早く逃げろ」と彼女を急き立てていた。
剣先を地面に引っ掛け、目潰し代わりに土を魔物へ向けてはらう。それが見事に魔物の顔面に命中し、ラヴィーナは瞬時に『逃亡』へと行動を転じた。
だが、それは成功しなかった。
気付けば、ラヴィーナは地面に倒れていた。
何が起こったのか訳が分からず、ただ砂や土の冷たさと枯れ草の湿った臭いに戸惑いを覚えた。何に足を引っ掛けたのか、落ち葉をぐしゃりと握り潰し、命に関わる失態にもどかしい思いで足に力を入れる。しかし、起き上がる為の動作もかなわず、土を擦る感触が伝わる程度しか機能しない下半身に目を向けた。
「あ・・・・・・・・・」
あるはずの足が無かった。
唯一残った左足が、無様に通常の動作として立ち上がろうと地面を力なく擦っているのが滑稽にうつった。
太腿から水のように血が広がり、地面に染みをつくっていく。ラヴィーナは暫し、理解出来ずにポカンと脚を見て、笑おうとして失敗した。
目を背けるなと訴えるように、ちくちくとした針を刺すような感覚から、それは次第に伝播して激痛となりラヴィーナを襲う。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あああああああぁぁぁっっっ!!!!」
地面を転がり、足を抱える様に丸くなる。だが、ラヴィーナの両手は右足を抱き込むことすら出来ず宙をかく。どっと流れる血と脂汗、襲いくる鋭い痛みに視界がチカチカと明滅する。
わなわなと震える唇に色は無く、言葉を紡ぐには相当の気力を要する痛みに、ラヴィーナはギリリと奥歯を噛んで耐え忍んだ。
鼻から息をするのも困難で、みっともなく肩で息をして全ての痛みを誤魔化そうと懸命に努力する。
霞む視界にラヴィーナの蒼白い右足があった。
ラヴィーナは、それを追い求めるように無意識に腕を伸ばす。
治癒師が居なければ治るはずも無いそれに精一杯、指を向ける。
間に合えば、もう一度、身体の一部として取り戻せるかもしれない。この痛みから逃れることができるかもしれない。願望というかすかな可能性にラヴィーナは縋った。
あともう一息で指が届くという所で足が宙に浮く。
「え・・・・・・・・・」
ぷらりと血を滴らせながら離れる足につられて、視線もあがる。
あの魔物が、汚いモノを触るようにラヴィーナの足を、足だったものを摘み上げていた。
そこから先は、いやに緩慢な動作だった。
まるで、ラヴィーナにまざまざと見せつけるかのような、ゆったりとした動作で狒々が口を開ける。
「ぁ・・・・・・やめろ・・・・・・」
嫌な予感に身震いし、ラヴィーナは抵抗の言葉をこぼす。しかし、わななく唇からは小さな音しか発することは出来なかった。それは小さな抵抗で、もはや抵抗といえるものですら無かったのかもしれない。
足を摘む狒々の腕が上がり、喉を反らせてーーー・・・・・・・・・
ずじゅっ、ずじゅりゅっ
ーー血を吸い取ってーー
くちゃっくちゃ、にちゃ
ーー肉を食みーー
ボリッボリッ
ーー骨を噛み砕くーー
ごくんっ
ーーラヴィーナの足を飲み込んだーー
ラヴィーナは、それを黙って見ていることしか出来なかった。
『まぁ、じいぃぃぃぃ』
兇悪な笑みを湛えて魔物は言い放つ。
べぇろりと垂れた舌から、食べかけの足首が落ちた。それは茫然自失の状態になっていたラヴィーナの前まで転々と跳ねて、血の軌跡を描きながら返ってきた。
ラヴィーナの精神は、限界を迎えた。
「うわああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
私の足が・・・っっ私の、私がっ、食べ、られ、た・・・っっ!!
既に、ラヴィーナが身に纏う虚勢という鎧は剥ぎ取られ、彼女は身一つで魔物の前に倒れていた。
『あひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ』
愉悦混じりの笑声は、ラヴィーナの絶叫をかき消して夜のしじまに木霊する。
にたにたと下卑た笑みを浮かべ、魔物がすいと手を・・・ーー返り血で穢れた手をラヴィーナの細首へ伸ばす。
「ぐぅ・・・・・・っっ」
幾分か加減された力でゴツゴツと太い指が首にかかり、ラヴィーナを絞め上げた。縊り殺すことも容易に違いないこの魔物は、直ぐに終わらすことを良しとしなかった。
喉を絞められ、じわじわと息苦しさがつのり開閉を繰り返す唇は、酸素を取り込もうと努力して「あ・・・、あ・・・・・・」と意味の無い呟きだけを洩らす。無意識に魔物の腕を掴み、引き剥がそうと藻掻くが、それは微動だにせずただ苦しさが増しただけであった。残された脚がぷらぷらと所在無く宙を揺れた。
ラヴィーナは悟る。
自身のちっぽけな人生が今、この瞬間に幕を閉じるのだと。
彼女の白い頬に涙が伝い、諦念と共に死を覚悟したその時ーー・・・・・・
「ーーー楽しそうだな、其処な獣よ」




