【三章】傷付いたソレはもう癒えない
「ーーー楽しそうだな、其処な獣よ」
嗄れた声がラヴィーナの耳朶を打つ。
「ぁ・・・・・・・・・」
声を発した人物は、闇にその身を溶かし姿形すら捉えることが叶わない。
草木を掻き分け、此方へと歩み寄る音が四方から幾重にも鳴りはためく。その音に、勝鬨にも似た高揚感と希望を抱かずにはいられなかった。
窮地からこの身を救う者の姿を求め、目を凝らす。
雲間から差す月光が地上へ届いた一瞬、ラヴィーナの頬に生暖かい赤が散った。
ぼとっと大きな物体が、草むらに落下する。
その音が耳に届くと同時にラヴィーナの足は、地面に帰還した。しかし、片脚が無いことでバランスを崩し、無様に倒れ込む。
衝撃に切断された足が激痛を訴え、意識が遠のいていく。
「ぐぅぅぅぅううぅぅぅう!!!」
血を流し過ぎた状態で正常な思考を保てず、まとまり無く記憶が揺り起こされた。
ーーー両親の顔、年の離れた弟、平穏な日々・・・・・・
傷が、疼いた。
「おい、気をしっかりもて!!」
身動ぎ一つせず地面に横たわるラヴィーナに掛けられた野太い声が唯一、彼女を現実に縫い止めた。
硬い背中に担ぎ上げられ、定まらない世界にようやくラヴィーナは絶体絶命の窮地から脱したことを認識した。
ゴツゴツと筋肉に覆われた巨躯は、遠くから眺めるばかりで触れたことが無い。男にしか手に入らぬ、女には到底追い付けぬその背に無意識に爪を立てる。
ラヴィーナは顔を伏せ、ぐちゃぐちゃに踏み潰された激情を振り払うつもりでくぐもった声を発した。
「ギルド・・・マスター・・・、どうしてここに・・・・・・」
ユーリス・ディカーティオーーここアルメリア領のギルドマスターにして、上級冒険者である彼は、犬歯を覗かせ獰猛に笑った。
「よーしよし、そのまま何でもいい、喋ってろ。ちゃんと質問にも答えるから、意識だけは失くすな、死ぬぞ。救護班、重傷者1名、急げ!!」
わあわあと大声をあげる男達の声が膜に覆われたように遠くで聞こえる。
激痛すらも、人肌を感じる安堵が勝ち、どこか現実味が無い。
ユーリスによって喧騒から少し離れた木の根まで運ばれ、太い幹に身体をもたれさせる。
「・・・あの、魔物は・・・・・・」
「何処に」と続ける前に、武装した男が此方に駆け付ける。
「対象が子供を連れて逃亡しました!!その後を『紅蓮』が追っています!」
「逃亡」という言葉に、ラヴィーナは体を強ばらせた。
あの魔物が街へと出れば、どれだけの人間が餌食となるか。考えるだけで身の毛がよだつ思いだった。
冒険者のラヴィーナですら太刀打ち出来ず、死にかけたのだ。助けが来なければ、あと一歩という所でこの世界と永遠の別れを告げるはずだった。
「想定内だ、チェカの指示に従って魔物を追え!!絶対に俺達で蹴りをつけるぞ!」
「はい!!」
ユーリスが指示を飛ばしている間に、ローブを目深にかぶった老婆がラヴィーナの傍に寄る。
老婆ーー・・・・・・『聖女』が微笑みをたたえて、ラヴィーナの頬をカサついた指でなぞった。しかし、若草色の瞳が苦しげに細められる一瞬をラヴィーナは見逃さなかった。
「さぁ、大丈夫よ。私達が居るから、もう大丈夫。よく頑張ったわね・・・・・・」
柔らかいラヴィーナを労る言葉は、昂った精神を落ち着かせた。
聖女の触れる部分から温かいものが流れ込み、ラヴィーナはゆっくりと目蓋を閉じる。
彼女に身を委ねて、そう長くはかからなかった。
ラヴィーナを苛んでいた痛みが引き、眩暈や息苦しさが空気にとけたように霧散する。ラヴィーナはようやく森の瑞々しい空気を吸い込むことができた。
ゆっくりと息をつくラヴィーナの背を聖女がさする。
動作の一つ一つに優しさが滲み、温もりが全身を包む。表現しようのない感情に唇の端が意図せず震えた。
潤う瞳を誤魔化す為に、視線を右足に向ける。痛々しい傷を見れば、感傷等吹き飛ぶだろうと考えていた。
些か意味合いは違えど、それは確かにラヴィーナの予想通りであった。ラヴィーナはゴクリと唾を飲み込み、信じられない思いでそこを見ていた。
傷口から、新しい肉芽が盛り上がり、ゆっくりと塞がれて行くではないか。
これが聖女の力なのかと驚愕を隠せず、切断された傷口を凝視していた。完全に切断面が真新しい皮膚で覆われてから、ラヴィーナは目の当たりにしたことがにわかには信じられず、そこへ指を這わせる。触れれば刺すような痛みが一瞬走る。しかし、その痛みも先程までと比べれば、ささやかなものだ。
衣服や地面に付着した血痕が無ければ、ついさっきまで血を滴らせていたとは到底思えない。
「ーーとりあえずは、応急処置ということで痛みは取ったけれど、正直言って本当に状態は良くないわ。直ぐに安全な場所へ移りましょう」
聖女の皺だらけの手が離れる。
咄嗟に、ラヴィーナの元から去ろうとした彼女のローブの裾を掴んだ。
聖女はぱちくりと目を瞬かせて、予想外の行動を取ったラヴィーナに若葉のように青々とした視線を寄こした。
「・・・・・・いぇ・・・、それよりも状況の説明を・・・。お願い、したい・・・」
小さく頭を振り、聖女に願う。
何も知らないまま、自分だけ爪弾きにされることを厭うた。弱者となることをラヴィーナ自身が良しとせず、事の帰結を見届けることが今、唯一通せる意地だった。
聖女は、ラヴィーナが譲らないと悟ると諦めの溜息をついた。
「分かったわ・・・、私達も情報の擦り合わせが必要でしょうね・・・。でも、筋は通さなくてはね、先に約束したのはギルドマスターさんだから、彼から説明をしてもらいましょう。さ・・・・・・一緒に彼女を街まで運んでちょうだいな、ギルドマスターさん」
「分かってるよ」
部下達に指示を飛ばし終えたユーリスが、ラヴィーナを再び背中に乗せる。
「じゃあ、院長さん頼む」
ユーリスの言葉に聖女は一つ頷くと何事か詠唱した。
松明の灯りでギリギリ足元が見えるといった視界がより明るく、色が着いたようにひらけていく。
「・・・・・・これは・・・」
聖女の掌から、蝶の鱗粉のようなものがキラキラと輝き、あたりを照らす。それは、風に舞上がり霧散するかと思われたが、ラヴィーナ達の傍に漂い続けた。
「夜道は暗いと怖いでしょ?これなら、皆も歩きやすいし戦いやすいわよねぇ。因みに、魔物はコレだけで近寄れないから、お得な技なのよお。お得って良いわねぇ、私好きよぉ」
聖女はコロコロと笑い、なんでもないといった風に告げる。
「た、戦いやすい所では無いと思うのですが・・・・・・」
月が出ているとはいえ、木々が鬱蒼と茂り、月光は中々地上にまで届かない。幾人かの冒険者らが松明を掲げても闇は強く、此方の隙をついて飲み込まれるのではないかと恐れを抱くほどに濃く、深い。
それらが聖女の御業で視界は明るく照らされ、先に見える闇が和らいでいく。
「『紅蓮』もそうだが、『聖女』もとんでもねぇってことでもう流しとけ。突っ込むだけの時間が無駄だと、俺は最近学んだばかりだ・・・・・・」
ユーリス含め、他の冒険者もうんうんと無言で頷き同意を示す。
この一団が規格外の存在にどれだけ驚き呆れたのか、説明を受けずとも想像がついた。
それでも、ラヴィーナはまるで森を散歩しに来たのだと言わんばかりに優雅に前を歩く聖女を唖然とした面持ちで眺めた。
「・・・・・・何処から話せば良いだろうな・・・。くそ、こんな時チェカがいれば楽なんだが・・・。・・・・・・お前達を孤児院に配属した後、俺達はギルドと憲兵隊、防衛軍と共に協力して、この街の守りを固めていた。で、協力を仰いだ院長さんと『紅蓮』がスルリカの生存者に接触しに行ったんだ・・・なんなら、そいつを餌に誘い寄せないかと考えてな・・・。胸糞悪い話しだが、やってみる価値はあった」
ラヴィーナは、相槌をうつ。
ユーリス達に孤児院への派遣を命令された時、大体の説明を受けていた。
正直、意識不明の重体であったフォルスに囮になれと説得するのは、ユーリス達でさえ避けたかったことだ。それを率先して「自分であれば治癒も施せる」という利点を推して立候補したのが聖女であった。
聖女がそこまで言うのであれば、敢えて反対する者もいない。
聖女の意見が通るとなし崩し的に『紅蓮』も彼女の護衛として旅立ち、瞬く間にフォルスを口説き落とした。
「さぁ、急いでフォルスさんを連れてアルメリアへ帰りましょうって準備していた時にね・・・、ーーー来たのよ」
「来た・・・・・・?誰が・・・」
ユーリスの背に揺られ、思案するが思い浮かぶ人物はいなかった。
「人ではないの。もしかしたら、貴女も会ったかもしれないわね、アルレルトのお友達に・・・。アルレルトは彼らをミールとニケって呼んでいるのよ。その子達には、実は私も遊んでもらったことがあってね、アルレルトに危険が迫った時には、私のもとへ来るようにとお願いしていたの」
ラヴィーナは本日何度目かの驚愕に声を失った。
アルレルトが相手していた鳩と烏のことだ。しかし、アルレルトは街の子供と隠れて遊び始めた為、その後、2羽を見かけることは無かった。
まさか、アルレルトの危険を察知して聖女のもとへと助けを呼びに行くとは、誰が想像できようか。それをたかだか鳥如きが出来るのか、という疑問を抱かないではないが、事実、その鳥が聖女の元へと飛びたったのだから納得せざるを得ない。
「ま、そんなこんなで早馬で即帰るって報せが届いてな。同時に最近の孤児院の様子を確認して欲しいと相談を受けた。ラヴィーナ、お前が逐一報告書を上げてくれてたから、直ぐに分かったぞ。魔物は、餓鬼に化けてやがった」
金に近い蜂蜜色の髪、海を連想させる澄んだ青い瞳を持つ「坊」と名乗る幼子がアルレルトと遊んでいることを、たわい無い日常として報告していたのをラヴィーナは思い出す。
坊の正体にいち早く気が付いたのは、フォルスであった。
魔物が次に人へ化けるとしたら何になるのかーーフォルスは頭を働かせ、そして一つの可能性を導き出した。
「ま、被害者のフォルスの旦那が言うには、魔物が関わった人間ーー若しくは、食われた被害者に成り代わるだろうってよ。それについては、俺達も同意見だ。道でただすれ違った人間よりかは、腹に入れた奴らの方がより、姿形を覚えてるだろうからな、色んな意味で」
フォルスは、化けるなるばフォルス自身か、若しくは魔物と同居していたフォルスの幼なじみ、最後に坊の誰かではないかと予想した。
「可笑しい話だろ、前提を考えると、共に何日か生活していた集落の奴ら全員に化ける可能性があったんだ。だけど、フォルスの旦那は、何か感じるものがあったんだろうな。次に化けるとしたら女の姿以外に『坊』という子供の可能性が高いと言いやがった」
『ーーー・・・多分、ですけど。あの化け物が興味を持った人間が居るんです。1人は、リヤン・・・俺の幼馴染み。2人目は俺、最後に坊。奴はリヤンに対して嫌悪を、俺に対しては憎悪、坊には、食欲にみせかけた嫉妬の感情を向けていた。憎悪の前では嫌悪も眩むと言うのか分かりませんが、奴はリヤンになった。さて、次は誰になるのか、何の為になるのかを考えると・・・・・・坊だと、俺は思う』
フォルスが化け物ーー女を監視していて気付いたことがある。
女は、確かに坊へ何某かのよからぬ想いを抱いていたが、時折その瞳に妬みがチラついていた。それは決まって坊が両親に抱かれている時であって、家族としての淡い幸福を彼等が纏っている時であった。
魔物には知恵がある。人との生活に紛れ込むのであれば、注目を浴びる女でも、憎しみや厭わしい男でもなく嫉妬の奥に潜む、羨望の眼差しを向けていた坊であろうと推測した。
「結局、奴が予想した通りだった。ーー・・・・・・えれぇべっぴんがこの街に来たって騒動がつい最近、起きた。それも一瞬のことだったがな。そのべっぴんさんも噂だけ残して煙のように消えっちまった。俺達の間では、そいつが始まりだったと考えてる」
女が消えたと同時に坊が現れた。
この出来事を別個と見る輩は愚かだ。
関連付けたその先の答えは、もう言葉にするまでもないとラヴィーナは唇を噛んだ。
「情報を集めた上で、俺達は決意した」
「ーーーこの街で決着をつけるってな」
その結果、アルレルトを囮としたこと、孤児院へ派遣されたラヴィーナ達に意図的に情報を回さなかったことは、多くの者を守る為に必要な決断だった。




