【三章】色がつく世界
ーーーさて、これからどうしたものか。
前回、集落にいるほとんどの住民を食べ殺して回ったせいで、腹は空いていない。
無闇に殺す事を目的に、地上へと下りるのも面倒だった。
ハッキリ言ってしまえば、人との共同生活に飽きがきていた。
腹が空けば餌は食う。しかし、それ以外で人と関わりを持つのは、もう面倒だ。
無論、必要であれば人の世に紛れ込みはするが、積極的にそうしたいと思えなくなった。
これらの変化は何に起因するものなのか、考えた所で無意味だ。
早々に森や山に身を潜めようと伸びをした所で、動きを止める。
感じたことの無い力を察知し、肌が粟立った。力が放出されている場所に見当をつけ、幼子の姿でそこへと向かう。
周囲の建築物より比較的立派な、教会にも酷似したそこから、力の波動を感じる。
庭で幾人かの子供らが駆けて楽しげな声をあげている。誘われるように建物の裏へと回れば、地べたに座り込んでいる子供を見つけた。
息をするのも忘れて魅入った。
それだけの衝撃を、その子供から受けた。
風に揺れる白髪は、穢れを知らない無垢な印象を抱かせる。前髪から覗く鮮やかな紅には、意志の強さが宿り、神聖さを一段と強めていた。
新雪のように柔らかな白に、何故か郷愁にかられ、胸が締めつけられる。
ザワザワと胸が落ち着きなく脈を打ち、我慢ならずに声を掛けていた。
「なにしてるの」
ばさばさと慌ただしく鳥が羽ばたいて行った。
驚いたようにきょろきょろと声の出処を探す子供を此方へと誘導する。
目前に来た子供は、赤い双眸をこちらに向けた。
息を詰めて、子供の出方を窺った。
無遠慮な視線が上から下まで身体を這う。
だが、不快感が湧くことは無かった。
突然の闖入者に訝しげに彼の眉がひそめられた。
しばらくして、害はないと判断したのか子供は口を開く。
「俺、アルレルト。ここに住んでるんだけど、君の名前は?」
アルレルト、と何度も胸中で繰り返し呟く。
子供特有の高い声は、何処か知性も感じられて耳に心地良い。そして、このまま聞き入っていたいと思わせる程の魅力に満ちていた。
が、名前を問われて理性が縫い止められる。
そう言えば、己には、名乗るべき名など持ち合わせていなかった。
内に取り込んだ女や幼子の名すら知らない。
周囲に名乗る必要もなかった。
逆に言えば、他者の名を覚えるつもりもなかったのだ。
唯一の例外と言えば、殺し損ねたフォルスだけ。
名前など必要なかった。
世界はいつだって、自分とそれ以外であったから。それだけで完結する世界だった。
「んー、みんな、ぼうってよぶよ」
記憶の蓋を開けながら、子供の演技を続けていく。甘えたような媚びが含まれた声音は、無意識だった。
化け物であるとアルレルトに知られるのは、何故か、嫌だった。
「ぼうーー・・・ボウ・・・坊?かな・・・。坊は名前じゃないけど」
その後、何度かやりとりをして、己を「坊」と呼ばせることで決着がついた。
こういう時に名前が無いのは不便だった。
今までに呼びたい相手も、呼ばれたい相手も居はしなかった。だから、知らなかった。
「アルレルト」とまた胸中で呟く。
絶対に忘れたくない名前を大切に記憶へ刻む。
離れ難い。
子供らしい言い訳を並べ立てれば、アルレルトは嬉しそうに微笑んだ。
人間の美醜など、どうでもいい。だというのに、初めてその美しさに目を奪われた。否、美しさとは縁遠いのかもしれない。それとも、コレこそが人間の言う美しさなのだろうか。
彼の微笑みに、言葉を無くして魅入ったのは事実だ。
アルレルトに言われるがまま、子供遊びに興じる。
愉しげに揺れる肩、溌剌とした顔つきに、空気にとける笑い声の全てが新鮮な心地にさせた。
気分の良い時間は、あっという間に過ぎた。
名残惜しい。
アルレルトと再び会う約束を取り付けて、その場をあとにした。
あの人間は、なんだろうか。
あの子供は。
僕の心を強く揺さぶる、あの少年ともう少しだけ話していたい。
あぁ、でもまた会える。
心が踊る、落ち着かない、悦ばしい。
表現し難い複雑な感情は、今までに抱いたことのないものだ。
過去、人に興味を持ったのは女とフォルス、たったの2人だけ。
そして、アルレルトに対するそれは、過去の2人に向けたものを超越している。
何度も会って本当の子供のように遊んでいるうち、アルレルトに強い執着を抱くのは必然だった。
「坊、こっちおいで」
自分の呼び名は、既に聞き慣れたものになっていた。
素直にアルレルトの傍によると、手櫛で髪を整えられる。
毎日毎日、早くアルレルトに会いたくて慌てて人化するものだから、髪を整える暇も無かった。
この少年は存外、身嗜みというものに厳しい。こうやって手櫛までしてくる始末だ。
最初にされた時は驚いたものだが、今では安心感が先にたち身を委ねている。
優しい手つきで髪を梳いて、綺麗に出来ると最後に頭を撫でられる。
「ん、これで良し!」と及第点を出すと、アルレルトがニカリと屈託なく笑った。
彼がいるから、この街は輝いているのかもしれない。
そう馬鹿らしいことを考え付く程、アルレルトが笑うと世界が明るく感じられた。
彼は、下の者への扱いに長けていた。
僕の前で「お兄さん」ぶっているのだろう
彼が望むなら、いくらでも可愛らしい幼子から従順で純粋な弟だって演じられる。
「さぁ、今日は何して遊ぶ?」
本当は、傍に居られるだけで十分だった。
でも、理由が無ければ、人は直ぐに僕を切り捨ててしまうだろう。
僕だったらそうする。
利用価値のない者は、排除して然るべきだ。
アルレルトは、この建物から出にくいようだった。
暇を持て余しているからこそ、僕の相手が丁度いい暇潰しになるのだろう。
では、暇つぶしにさえならなくなったら、もう僕は不要になってしまう。
そんなのは嫌だ。離れたくない。
彼に見限られないよう、有用性を示さなければならない。
高い攻撃力を見せたらいいのか?それとも、彼を不自由にしている縛りを壊せばよいか?
いや、ダメだ。
アルレルトに化け物であることをバレてしまったら元も子もない。それだけは、何があっても忌避すべきだ。
そうだ、遊び相手の役割を忠実に果たせば、今後も彼は僕を必要にしてくれるのではないだろうか。
じゃんけんもしりとりも、なそなぞもアルレルトを繋ぎとめられるなら全力で取り組んだ。
そして、アルレルトが笑う度にこれで間違っていないのだ、と自信を持つことができた。
彼に必要とされたい、もっと共にいたい。欲は日増しに強くなる。
いっそのこと、孤児院で一緒に住めれば早いのに。
残念ながら、試しに「建物の中に入りたい」と強請ってみたら素気無く断られた。
外に出られないから、とアルレルトは頻繁に外の状況を訊いてきた。問われるまま、見たままを伝えると彼は黙考して、声をかけても暫く何の反応も示さない。
自身を取り巻く環境に思うところがあるのだろう。
アルレルトはこの地を離れるという禁を破るつもりはないようで、鬱屈とした日々を送っていた。
せめて、気分が紛れるものを与えたい。
アルレルトが望むなら、金も女も食べ物も命も全部を捧げるのに。試しに奪った金を出したら酷く怒られた。
金では彼を満足させられないらしい。
冷静に考えれば、外出が出来ないのに金を渡されても嬉しくないに決まっている。怒られて当然だ。
なら、金以外の何かだ。
アルレルトと過ごす時間以外は街中を、森中を駆けずり回って探した。
踏み慣らされた道を外れた森の中、そこを発見したのは偶然としか言い様がない。
牙を向いて力の差も分からず襲ってくる下等な魔獣を捻り潰して拓けた場所に出る。
一面に咲きほこる花に「これだ」と思った。
風に煽られて揺れる花弁、雪のように降るそれらに視界が一瞬白く染まる。風に運ばれて花の甘い香りが届くと、瞬時に息を止めた。
白い花の匂いにつられて、蜂型の魔物がふらりと訪れる。
それは熱心に花弁にまとわりついていたが、茂みから黒狗の群れが襲いかかり、魔物は呆気なく奴等の腹に収まってしまった。
花によって誘われた獲物を黒狗が餌食にしているようだ。
よくよく観察すれば、精神安定や睡眠促進の効能がある珍しい種類の花であった。中々育ちにくく、ここまで群生しているのも珍しい。
本能としてそれらを理解した黒狗が、この地を守ってきたのだろうか。
花々に隠れてそこ此処に人間や獣等の骨が点在している。
ーーー邪魔だなーーー
アルレルトに見せるにしろ、渡すにしろ、コイツ等の縄張りであるなら気安く案内することもできない。
となれば、やることは1つしかない。
奴等の前に姿を現すと、臨戦態勢に移るその犬面に拳を振るう。それだけで獣は目玉を散らして地面に埋まった。
仲間を殺された狗共が、急所である首に噛み付こうとするのを前足で跳ね除け、頭を踏み潰す。ゴキッと骨が砕ける音が足元から響く。ぐちゃりと砕けた骨から、中身が飛び散った。
踏み心地は最悪だ。
骨が邪魔して足裏をチクチクと刺すものだから、腹が立ってびくびくと痙攣を起こしているその胴体を掴み、襲撃する仲間へと振り下ろした。
「グゲェッッ!!」
振り下ろして棍棒替わりにしたソレは、中身を撒き散らして真っ二つに折れてしまったが、しっかりと相手を地に沈めた。
ぽいと投げ捨てて、さあ次はどうしてやろうかと狗共を見ると力の差に怯え、後退りし始める。
逃げられたら意味が無いので、慌ててその場に居た全ての息の根を止めて、茂みの奥に死体を放り捨てる。
花が群生しているおかげか、生臭い血の匂いも腐敗臭も気にならない。
これ程強い花の芳香であれば、アルレルトに気付かれることも無いだろうと安堵した。それになにより、この花自体が思考を鈍らせる。
使い方によっては、毒にも薬にもなるが問題無かろうと短絡的に考えを放棄した。
課題はどうやってアルレルトをここ迄連れて来るかだが、頭を捻ってみても、良い案は中々浮かんでこなかった。
とりあえず、ナゾナゾめいた文言で興味を引いてみようとしたが、「何言ってんだこいつ」という顔をされた。
こうなれば当たって砕けるしかない。
「一緒に見に行こう」と勢い良く腕を引く。
言い訳をさせてもらえるならば、僕達は一枚の塀を挟んでやりとりをしていたというのをこの時、すっかり忘れてしまっていた。
直後にアルレルトが悲鳴をあげたので、慌てて振り返ると塀に頭と肩を打ち付けて痛みに悶えていた。
直ぐに手を離さなかった報いか、彼に殴られた。
どうやら砕ける寸前だったのは、アルレルトの肩だったようだ。
決して傷つけたかったわけでも、貶めたかったわけでもなかった。
鬼気迫る顔のアルレルトに身体のくびれだとか出っ張りだとか・・・ーーー要するに人間では通れない狭さであることを注意された僕は、自身の失敗を悟った。
彼に嫌われることが、見捨てられることが、なによりも怖い。
アルレルトに殴られた事実と、彼の額に滲む血に狼狽えた。
普段温厚な彼から暴力を振るわれたことは、今までに無かった。そんな彼が思わず殴る程、僕に対して怒っているのだということに肝が冷えた。
そして、彼の額に滲む血、易々と流れる血に衝撃を受けていた。
人間の脆弱さを改めて目の当たりにして、掴んでいた手が震えた。
ほんの少し、力を加えただけで、アルレルトの細い手首は折れていたかもしれない。
彼に見捨てられる。
焦りながらも謝罪の言葉を口にすれば、呆れたような顔、それでも優しい手つきで頭をぽんぽんと撫でられた。
その行動は、彼からの最大の赦しであった。




