むまのきつ
四天王の中で最強なのは?
まずは当然ながら本家本元の四天王であろう。彼等は仏法を守護し帝釈天に仕える守護神なのであり、東に持国天、南に増長天、西に広目天、北に多聞天が配される。しかし彼等は神であるから別格。
人間界での最強はやはり源頼光に仕えた頼光四天王であろう。鬼退治で名高いリーダー渡辺綱、金太郎のモデルとなった坂田公時、妖怪である姑獲鳥から力試しをされた碓井貞光、そして我が友人の先祖である卜部季武。彼等は土蜘蛛や大江山の酒呑童子など多くの鬼を退治した英雄であり、実在したヒーローである。
四天王の中で最弱なのは?
それはもちろん我々である。
リーダーは私、頓阿。そして兼好、浄弁、慶運。人呼んで和歌四天王。
知らない? 知らなきゃ<和歌四天王>でググれ、ちゃんと出てくるから。
時代は南北朝時代の始め。二条為世の門下にいた四人だ。
最弱とはいえ我々も四天王と呼ばれる存在。言霊の力を借りて世を揺り動かさんと日々悪戦苦闘しているのである。
そんな我々の中で、おそらく君たちも知っているであろう人物が一人だけ居る。
それは「兼好」、『徒然草』の兼好法師だ。彼は頼光四天王の卜部季武の子孫でもある。
蛇は寸にてその気を現す、兼好は幼少より言葉を操る才に長けた。
過日、師の元で歌会が催され我々四天王は世俗の宴を避け離れの一室で雑談をしていた。そこで私は兼好に先だって宮中で聞いた話をしたのである。
「兼好、具氏宰相中将を知ってるか?」
「ああ、クソ真面目な男だな」
「そうだ。そいつにな、資季大納言入道って奴がな、自分の学才を誇って“お前が聞くような事は何でも質問すれば答えてみせる”と言ったそうなのだよ」
「最近、多いねぇ、そういう奴」
「ああ、学問の道は見せ場が少なくてな。出世の糸口を見つけようと皆必死でもあるんだ。それよりもな、その具氏はな“学問的な事は何もしておりませんので、尋ねるような事もありません。大変つまらない事なのですが、よく分からないことがありますので、それを聞いてもいいですか?”と言ったんだ」
「あいつらしいな」
「それを聞いていた周囲の人がな。“折角だから、陛下の前で勝負を”と余計な気を回してな」
「ほうほう」
「そこで具氏が聞いたのは、幼い頃に聞いたのですが、まったく意味の分からない言葉があるのです。『むまのきつりやうきつにのをか中くぼれいりぐれんどう』とはどういう事でしょうか」
「ははは、大納言入道困っただろうね」
「いや、“これはつまらない事過ぎて答えようがない”とか、なんとか言ってね。結局、負けを認めて後で宴会に招く約束をしたんだそうだ」
「それは二人に気の毒な事をした。歌の意味なら俺に聞いてくれりゃあ良かったのに」
「何!お前は意味を知ってるのか?」
「ああ、知ってるもなにも、それは俺が子どもの頃につくったもんだ」
「なんだと!それでどういう意味なんだ?」
「まぁ、焦るな。順番に説明していこう。仁和寺の南に“ならびの岡”って場所があるの知ってるだろ?」
「ああ、あるな。ああ、お前、そこに桜植えて将来の墓にする予定らしいじゃないか」
「ありゃ、昔遊んだ想い出の地でな。仁和寺から遠い方を一の岡、近い方を二の岡と呼ぶんだ。おそらく二の岡が訛って仁和、そこから仁和寺となったんだな」
「仁和寺の由来はいいよ。問題は“むまのきつ”だ」
「“むまのきつ”は、つまり<馬が来た>ってことだ」
「馬?!」
「ああ、二の岡にな、馬と綽名される男が来たんだ。父親が右馬の介、おまけに顔が馬面、あそこは馬並」
「それが“むまのきつ”、<馬の来つ>だな」
「ああ、残念ながらそいつは尻の据わりが悪くて乗馬はからっきしでな。あるとき、馬から落ち、その時の怪我が原因で死んでしまった」
「その後に<りょうきつ>、これは<龍来つ>だ。このとき龍と綽名された奴が来たんだ。青龍寺に縁のある坊主でな、腹這いになって本を読んでいる様が龍に喩えられたのだろう」
「ほほう」
「そいつはな、獣避けの穽に落ちて死んだのよ」
「そりゃまた」
「そこで俺は歌に詠んだのよ<馬の来つ 龍の来つこの 二の岡の 中くぼれいり ぐれんどう哉>」
「馬が来て龍が来て二人とも<中窪れ>つまり穴に入り<ぐれんどう>つまり転倒して死んだ、って事だな。あんまり良い出来じゃ無いな」
「まぁ、昔の歌よ。しかしな、ここには仕掛けがある。馬と龍が出てくるものと言えば何だ?」
「ん、干支か?」
「そうよ。干支の順番は子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥。もし馬が来て、龍が来てだとすると順番が逆だし一つ飛ばしだ」
「まさに<中窪れ入りぐれんどう>か!」
「そういう仕掛けよ。これが幾らか短縮されて市井に広まったわけさ」
「それを幼い時分に具氏宰相中将が聞いたって事か」
「ああ、クソ真面目な男だけにいつまでも気にしていたのであろう。アイツはくだらない言い争いに勝つことよりも、本気で誰かが謎を解いてくれることを望んでこれを聞いたんじゃないかねぇ」
「そうだねぇ」
我々はそう言って肯き合ったものの、具氏に真相を伝えに行こうとは思わなかった。謎は謎のままにしておいた方が美しいからである。
兼好が葬られた“ならびの岡”に関してこのような歌が伝わる
ちぎりおく花とならびの岡のべにあはれいくよの春をすぐさむ『兼好法師集』
結婚の約束を花と並んで“ならびの岡”に述べて、私が死んで野辺に送られ逝く夜まで、どれほどの春が過ぎてゆくだろうか。掛詞を駆使した、そういう歌である。
ならびの岡は今は双ヶ岡という名になり、兼好の墓は後にそこから程近い長泉寺に移された。
“むまのきつ”で始まる謎の文句に関わるエピソードは『徒然草』135段にある。しかし兼好は我々の前に披露した謎の答えを書き残さなかったので、謎は今でも謎のままである。