9.まさかの配役
打ち合わせが終わり、ルミは旅館「紫水」に戻ってきた。
部屋の扉を開けると、中にはだれもおらず、スケッチブックはテーブルの上に置かれたまま放置されていた。室内にはハードロックの激しいギター音が響き渡っていた。
ルミは辺りを見回すと、音楽は部屋の片隅に置かれたラジカセから流れていた。
「あ、おかえり。どうだった? 撮影は」
背後から礼子が大きなあくびをしながら姿を見せた。
「この音楽、何ですか?」
「ディープ・パープルだよ。知らない?」
「バンド名だけは聞いたことがありますが、曲は……」
「アハハハ、初めて聴いたんだ。私、ロックが大好きでね。創作意欲が上がらないときとかアイデアに詰まった時とかは、これ聴いて気分転換しているのよ」
礼子はそう言うと、首をかしげながらルミが手にしている手提げ袋に目を向けた。
「ところでそれ、何なの?」
「シナリオと、撮影用の衣装……です」
「ええ? 早速もらったんだ? どんな感じなの? 着てみてよ」
「……はい」
ルミは元気のない声で頷くと、手提げ袋から衣装を取り出し、その場で着替えた。
着替えを終えたルミは、くるりと一回転して礼子の方を向いた。
「ふーん、あなたの清純そうなイメージとはずいぶん違う感じだね」
「はい。私、主人公をいじめる地元の不良グループの役なんです」
「不良?」
礼子はタヌキのような縁取りの目を丸くし、口を手で押さえて笑い始めた。
ルミの服装は赤い星印の入った黄色い半そでのサマーセーターと、大きくすそが広がったデニムのベルボトムジーンズだった。サマーセーターの丈は短く、ジーンズとの隙間からお腹やへそがちらついていた。
「わぁ、かわいいおへそだね。顔もどこかあどけないし、不良役だけどぜんぜん不良っぽく見えないわよ」
「ですよね? 配役もこの衣装も納得いかなくて、打ち合わせの後でどうして不良役なのか、監督に直接聞いたんです」
「そしたら?」
「今回のオーディションって、実は不良役の子を選ぶためだったんですって。募集広告に『不良役募集』って出すと、本物の不良が来ちゃうからあえて書かなかったんですって」
「アハハハ、じゃああなたが選ばれたのは、不良じゃないけど不良っぽく見えるからってこと?」
「その通りです。審査用に送った写真、全然目が笑ってなくて、見るからにふてぶてしそうだから不良役にぴったりだって監督が言っていました」
「そういえばあなた、顔が全然笑ってないもんね。まるで藤圭子みたい」
「応募する時に送った写真では、自分なりにめいっぱいの笑顔で撮ったつもりなんですけどね」
「残念だけど、あなたはそういうのは苦手そうに見えるよ。実際、写真を撮ってもらった時、心から笑ってた?」
「い、いや……それは……」
「映画作っている人たちはね、そういうのをちゃーんと見抜いてるわよ」
「そうですか。だから私、不良役に……」
「何よ、ひょっとしてヒロインにでもなれると思ってた?」
「いや……でも、正直もっといい役をもらえると思っていました」
「残念だけど、この映画の主役は制作開始の段階で関口佐代子に決まっていたわよ。彼女、小学生の頃からドラマで子役をやったり舞台に出たりして、将来を嘱望されているのよね。制作側も、この作品を彼女の出世作にしようとしているのよ」
「じゃあ、最初からヒロインを募集するわけじゃなかったんですね」
「だと思うよ。多分、物語を盛り上げるためにピンチの場面を設定し、そのために必要な演じ手を募集した、ってところかもね」
礼子が腕組みしながら真相を話し続けるうちに、ルミはすっかり気落ちしてしまった。彼女は監督ではなく美術スタッフであるが、長く映画に携わってきたゆえに、言葉は信ぴょう性があった。
「ごめん、私、今日描いたスケッチ持ってこれから打ち合わせに行ってくるね。そのあとちょっとお酒飲んでくるから、帰りは夜明け前になるかもね。明日から撮影なんでしょ? 私のことは気にせずセリフの練習でもして、先に寝ててちょうだい」
「お酒ですか、いいなあ」
「この近くにロックがガンガンかかってる雰囲気の良いバーがあるのよ。京都に来てからはほぼ毎日そこに通ってるんだ」
「ロックかあ……フォークだったらいいのに。特によしだたくろうの曲のかかるお店なら」
「あ、このお店に行く理由は他にもう一つあるんだ。バーの常連に、かっこいいバンドマンが来てるの。ブラックモアみたいな端正な顔つきですごくかっこいいんだよ」
礼子は目配せすると、スケッチブックを鞄に入れ、笑顔で手を振って部屋を出ていった。ルミは自分の思いのままに自由奔放に生きる礼子をうらやましいと思いながらも、台本を手に早速練習を始めた。
関口佐代子が演じる主人公の奈美子は、親と生き別れて四国から親族の住む京都にやってきたが、転校先で合唱部に入ると天性の歌の上手さを見初められ、彼女が歌う時には人だかりができるほどの人気を得ていった。芸能関係者にも目を付けられ、将来は間違いなく歌姫になれると断言された。しかし、目立ちすぎる奈美子は学校の不良たちに目を付けられ、鴨川の河川敷に呼び出されて激しい乱暴を受けた。ここで奈美子は、近くの大学に通う赤城明演じる幸彦に助けられる――ルミが登場するのは、この河川敷でのシーンだった。
ルミは「不良少女D」という配役になっていた。
映画のエンドロールで、ルミは不良少女Dという名前で紹介されるのだろう。何だか中途半端な役柄で、他人に教えるのはすごく気恥ずかしい感じがした。
この映画、ルミの暮らす田舎町でも上映するのだろうか? 同級生や家族が見たら、失笑を買うのは容易に想像できた。
ルミは台本を手にすると、早速自分のパートの部分を探した。
前半は出番がなく、中盤辺りに差し掛かりようやく「不良少女」という名前が目に入ってきた。
A,B,C……と、不良少女役のセリフが続き、最後にルミのパートである「不良少女D」が登場した。
ルミは、台本に書かれた言葉を確かめるかのように一言一句ゆっくりと読み上げた。
「――歌姫になりたいやと? 田舎もんの癖に一丁前に偉そうなこと言うんじゃあらへんよ。生意気やで、あんた――」
読み上げた後、ルミは「あれ?」と呟き、頭を何度も傾げた。自分がセリフを読むと、あまりにも抑揚が無く棒読みになってしまっていた。東北人であるルミには、関西の独特なイントネーションや韻の踏み方が難しかった。
その時、突然部屋の扉が開き、宿の主である老婆が腰に手を当てながらツカツカと部屋の中に入ってきた。
「ちょっと、廊下まで音楽が聞こえとるで! 止めてくれへんか?」
「あ……ごめんなさい」
ルミは台本を読むのに集中して、礼子がラジカセのスイッチを切らずに外出していたことにずっと気づかないでいた。慌ててスイッチを切ると、老婆は顔に手を当ててため息をついた。
「あの人、私がなんぼ注意しても聞き入れてくれんのや……隣の部屋の人からも苦情が来てるから注意してるのに『年寄りにはロックの良さがわからないもんね』とか言ってヘラヘラ笑って、ホンマ不愉快やわ」
老婆は苛ついた口調で礼子への不満を口にし、部屋の外に出ようとした・
その瞬間、ルミはとっさに手を伸ばし、ドアを閉めようとする老婆の手をしっかり掴んだ。
「な、何するんや? いきなり……」
「教えて欲しいことがあるんです。ちょっとだけお時間いただいていいですか?」
ルミは手にした台本を、老婆に手渡した。
「この部分を、京都の言い回しで読んで欲しいんです」
「ふーん……ま、ええけど」
老婆は眼鏡を手で押さえて目を凝らしながら台本を睨みつけると、大きく息を吸い込み、吐き出すようにセリフを口に出した。
その言葉は、京都独特の柔かい雰囲気があると同時に、嘲笑と軽蔑を帯びてルミの心に響き渡った。
「どや? こんなんでええやろか? ホンマなら、こんな下品やなくてもう少し綺麗な言い方をするんやけどな」
「はい……」
「何や、元気ないなあ。ほら、大事な台本やさかい、ちゃんと返すわ」
老婆は笑いながら部屋を出ていった。
老婆が読み上げた自分のパートのセリフを聞いた後、ルミの胸は突如締め付けられたかのような感覚に襲われた。
「田舎もん」「一丁前に」「偉そうに」
セリフの一言一句が、全て自分自身に向けた言葉のように胸に突き刺さってきた。
山奥の農村から出てきた世間知らずの自分が、無知のくせに憧れだけで映画の世界に飛び込み、実力も無い癖に良い役にありつこうとしている――監督は、ルミという人間を知ったうえでこのセリフを割り当てたのではないか、と勘繰りたくなった。
「何でこんなに被害妄想になってるんだろう? とにかくセリフを覚えないと!」
ルミはふと正気に戻り、もう一度台本を開いた。そして、先ほどの老婆のイントネーションをなぞるかのようにセリフを読んだ。
読めば読むほど、ルミは胸が締め付けられる思いがした。
明日は早速、台本の読み合わせと、本番に向けたリハーサルがあるというのに……。




