8.相部屋
ルミは大垣駅で電車を乗り換え、午前中のうちに京都駅に到着した。
駅北口のロータリーには田舎では考えられない程沢山のバスが周回し、どのバスに乗ればいいのか悩んだが、制作会社からの手紙に添付されていた宿への案内を読み返し、「烏丸今出川」へと向かう市バスに乗った。
今回制作会社で出演者向けに用意してくれた宿は、京都御苑と同志社大学の近くにあった。京都御苑は木々に囲まれた落ち着いた雰囲気のある場所だったが、同志社大学のキャンパス前には、過激な文言の記された巨大な看板がずらりと並んでいた。
一九七〇年の日米安保条約自動改定後、学生運動は年々衰退化しているが、先鋭化した一部学生による小競り合いはまだ全国各地で起きていた。大学の敷地内からはどこからともなくアジテーションの声が響き渡り、警察車両が時折学校の前の通りをゆっくりと走行していた。
宿の案内に書かれていた住所は「室町通り下ル」となっていた。しかし、京都の住所の見方が分からないルミは、室町通りは見つけたものの、徒歩で何度も南へ北へと往復し、途方に暮れていた。歩き疲れて額に汗がにじんできた時、ようやく今回の宿である「旅館紫水」と書かれた古びた看板を見つけた。
見た目は旅館というよりも下宿という感じで、玄関の戸が開くと長髪の若い男性が頭を掻きながら外へ出ていった。
ルミが玄関をくぐると、割烹着を着た老婆が駆け寄ってきた。
「どちらさん?」
「今日からこちらでお世話になる、小野田ルミといいます」
「ああ、映画関係の人でしたっけ?」
「はい」
「ちょっと待ってな」
老婆は小さな眼鏡で目を凝らしながら台帳をめくると、「ああ、この人やな」と小声でつぶやき、ルミを手招きした。
「姉さんの部屋は二階の『紫陽花』やね。小畑さんという方と相部屋ですわ」
「わかりました。よろしくお願いします」
「あ、そうそう、お風呂とトイレは共同だからね。お姉さん、こういう場所の使い方は学校できっちり教えられてきたと思うけど、一応言うとくわ。周りな人が不快な思いをしないようにきれいに使ってくださいな」
老婆は眼鏡に手を添えながらルミを怪訝そうに見つめると、そそくさと廊下の奥へと消えていった。
ルミは足を踏むたびにきしむ階段を昇ると、『紫陽花』という名前の部屋札がすぐ目の前にあった。
相部屋と聞いていたので、失礼のないようにノックしてからゆっくり扉を開けた。
このあたりの礼儀は、部活動でしっかりと先輩たちから仕込まれていた。
扉の向こうには、胡坐をかきながらスケッチブックに絵を描いている女性がいた。
茶色に染まった長い髪の毛先にくるくるとパーマをかけ、眉毛はほぼそり落とされ、目の周りにはタヌキ目のような付けまつげがあった。これまでファッション雑誌やテレビでしか見たことのないような風貌の女性は、スケッチブックに手を置き、けだるそうな目でルミを見つめた。
「いらっしゃい。あなたはどちら様?」
「今日からこの部屋で一緒に泊まらせていただく、小野田といいます」
「小野田さんね。私は小畑礼子。よろしくね」
「小畑さんですね、よろしくお願いします」
「ところで、ずいぶん若いけど、まだ高校生くらい?」
「はい。年末に上映される映画に出演するためにここに来ました」
「ああ、ひょっとして『旅の歌』?」
「え? ご存じですか?」
「うん、だって私はこの映画の美術スタッフとして参加してるから」
「ええ? 奇遇ですね?」
「ほかにも何人か、映画のスタッフがここに泊まってるわよ。制作会社で借り切っているのかもね」
「そうですか……じゃあ、映画でも色々とお世話になると思います」
礼子は深々と頭を下げるルミに対し、口に手を当ててクスクスと笑っていた。
そして、その後何事もなかったかのように再びスケッチブックに鉛筆を走らせ始めた。
「あの、何を描いてるんですか?」
「映画セットの原画よ。このスケッチを元に大道具にセットを製作してもらうんだ」
「へえ~……どんなシーンを描いてるんですか?」
「ちゃんと人に見せられるよう状態になったら、見せてあげる」
礼子は言葉は返してくれるものの、ルミの顔を見ず、ずっとスケッチブックに向き合っていた。
その時ルミは、礼子の背後の壁に取り付けられた時計を見て、思わず「あっ!」と声を上げた。
「どうしたの?」
「いや、今日の午後には出演者が全員集合することになってるんで」
「集合って、どこなの?」
「うーん……賀茂大橋下の河川敷って、どこなんだろ?」
「ああ、それなら同志社と御苑の間の道路をまっすぐ行けば着くわよ」
「え? そ、そうなんですか」
「早く行っておいで。私も絵を描くのに気が散らなくて済むからさ」
礼子は相変わらず顔を伏せ、ひたすら鉛筆を動かしていた。しかも、ルミを邪魔者扱いするかのような言いっぷりにはちょっと腹が立った。ただ、昨日の夜行列車で乗り合わせた少女のような腹立たしさは感じず、どことなく憎めない感じがした。
ルミは礼子の言う通りに、同志社大学や京都御苑の間を突っ切るように続く今出川通りを歩き続け、出町柳の交差点を通り越すと、鴨川にかかる大きな橋が姿を現した。
欄干には「賀茂大橋」と書かれてあった。ルミは橋の上や周囲、更に橋の真下も見回した。すると、鴨川の河川敷に撮影機材を抱えた数名の男性と、ルミと同年代と思しき少女たちが輪になって打ち合わせをしているのが目についた。
彼らこそが「旅の歌」の撮影クルーであろう。
ルミは全速力で河川敷へ駆け下り、打ち合わせの最中のクルーたちの輪の中に入り込んでいった。
「集合に遅れてすみません、オーディションで選ばれた小野田ルミと言います」
ルミが息を切らしながら口を開くと、周りの人達は冷めた目つきでルミを見ていた。
「ああ、小野田さんね。監督の上野です、よろしくね。悪いけど、ここまでの説明は隣にいる子達に聞いてね」
監督と名乗った上野という赤いベレー帽を被った髭面の男性は、抑揚のない話し方でやんわりとルミを注意した。ルミは申し訳なさそうに頭を下げると、ここまでの説明内容を確認しようと、隣にいたショートカットの少女に話しかけた。
「あの、すみません。私が来るまで、どんなお話があったったんでしょうか?」
「大まかなストーリーと、配役と、それぞれの役についての説明かな。撮影は明日からこの場所で行うんだって。主役の女の子がここに到着したら、私たちはその子に駆け寄って暴言を吐いて、最後には乱暴を働くの」
「……はあ?」
「私たち、不良グループの役なのよ」
にこやかな顔で話す少女の話を聞き、ルミは面食らった。
まさか、映画出演のため親の反対を押し切って、電車を乗り継いで京都まで遠征して、与えられた役が主人公をいじめる不良だったなんて……。
「そうそう、私たちがいじめてる途中で大学生が仲裁に来るという設定なんだけど、その大学生役が、今をときめく俳優の赤城明なんだって。私達の役柄はチョイ役でつまんないけど、赤城さんに直に会えるなんてなかなか無いことだよ? これだけでも、この映画のキャストに申し込んだ甲斐があったわよね。撮影終わったら、サインもらっちゃおうかな~」
少女は嬉しそうな表情で、足元に置いていた手提げ袋から台本を取り出していた。
「あ、そう言えばあなた、まだ手提げ袋をもらってないよね? 映画の台本や私たちが撮影に着る服も入ってるから、アシスタントさんからもらってきてね」
「ありがとう」
ルミは頭を下げると、打ち合わせをするスタッフたちの周囲を旋回するかのように歩いていたアシスタントの男性に声を掛けた。
「あの、遅れて到着した小野田と言います。私の手提げ袋はありますか?」
「ああ、小野田さんね。はいこれ」
アシスタントはぶっきらぼうな口調で、持っていた手提げのうち一つをルミの胸に押し付けるかのように渡した。
ルミはアシスタントの不躾な行為に腹が立ったが、とりあえずは手提げの中身を確認した。そこには、台本のほか、ルミが撮影本番で着る洋服も入っていた。
「な、何なのよ、これ……!」
袋から洋服を取り出したルミの顔は、突如青ざめた。




