chapter2-0
第三十八航空部隊は定時哨戒任務を終え、帰路についていた。
事前の気象観測よりも若干霧が濃い事を除けば、全ては予定通り、いつも通り、ただアルキディア連邦の前線上空を飛ぶだけのつまらない任務である。
開戦直後の大きな戦闘以降、両軍は常にジリ貧。決定打にかける攻撃の応酬を繰り返すだけで、両軍共にその領土を脅かした事は無い。
この哨戒任務も開戦当時から繰り返し行われている任務なのだが、敵影にお目にかかった事はほとんどないという。
しかし、万が一と言う事もある。もしその万が一の瞬間を見逃してしまったら、責められるのは第三十八航空部隊なのだ。と、壮年のベテラン機長は新米の副操縦士に苦笑を漏らした。
そういう物なんだろうなと、その操縦士は妙にのんびりとした面構えの同僚達を見てなんとなく悟った。
そして、今日もこうして月光の中をのんびり飛んでいる。
機内は静寂が鎮座していた。機長は鋭い眼光で前方を睨んでいるが、睨んでいるだけで、特に何かを見ているわけではない。観測データを記録するハードディスクは、航路やら気温やら湿度やら、特に役に立たない情報を、しかし一生懸命に刻み込んでいる。
自分も、このハードディスクのように勤勉になれたなら、このつまらない任務もやりがいのある物になっていたんだろうと副操縦士は考えた。考えて、すぐに頭を振った。
「こんな仕事で身を削るのは馬鹿らしい」
隣に座る機長に聞こえないように独り言ちた。
しかし、と前置いて彼は考える。こんな仕事でも、たまにはいい事がある。彼は体を前に乗り出し、機体の前方上を見上げた。
そこには、満月の中を飛ぶ、三機の白夜の姿があった。
「新型パーツのテストだそうだ。白夜はスタミナが命だからな、こういう哨戒任務はおあつらえ向きなんだと」
副操縦士の様子を見た機長が、視線を向けずに声を放った。
「自分、この部隊に入って初めて良かったと思いました。まさか、魔女と一緒に飛べる日が来るなんて」
嫌味も皮肉もなく、彼は素直にそう言った。機長が、ふんと鼻を鳴らす。
「ちょっと引っかかる所があるが、まあその通りだな。俺達のような部隊じゃ、魔女と一緒に飛ぶなんて出来ない事だからな」
パイロットは空軍の花形。特に魔女は、ミリタリーマニアにとってはアイドルのような存在である。いや、マニアでもなくとも、その空を縦横無尽に行く姿を見れば、感嘆の溜め息を漏らすのは必至である。田舎の弱小小隊では、並んで飛ぶのも恐れ多い。
彼もまた、そんな頭上の彼女達の姿に嘆息を漏らす一人であった。
「綺麗ですね……。いいなあ、自分もあんな風に飛んでみたい」
「綺麗ねえ……。一度戦闘になれば、あれほど恐ろしい者は居ないんだがね」
「心強いじゃないですか。敵の戦闘機を短機関銃で撃墜しちゃうんですよね? 彼女達が居れば、アルキディア空軍は安泰じゃないですか」
「そうかな……」
難色を示す機長に、副操縦士は怪訝な表情を作った。
「どういう意味です、それ?」
疑問を口にした副操縦士に、機長はゆっくりと視線を合わせる。その顔は無表情で、どこか薄気味悪い。
「魔女はな、帝国軍にも居るって事を忘れるなよ? しかも、向こうにはとびっきり凄い奴が居るからな」
「ああ、自分も聞いた事あります。確か、帝国空軍親衛隊の隊員で、通り名が付いているんですよね?」
地を這うような低い声の機長に、副操縦士は頬を引きつらせる。
「ああ、『黒鷹』だ。親衛隊『鷹の部隊』の所属で、真っ黒な箒に乗ってる事からそう名づけられた。電撃戦のプロフェッショナルでな、単機で一個中隊を易々と壊滅させる実力者だそうだ。彼女に出会った者は、誰一人生きて帰還する事は無く、その遺体は大口径の銃で撃ちぬかれて、文字通り蜂の巣になっているそうだ。そうそう、彼女はこういう月が綺麗な夜を好んで出撃するそうだ」
「ははは……。やめてくださいよ、そういうの」
副操縦士は笑みを浮かべているが、冷や汗が頬を伝っている。その顔を見やり、機長は満足そうに微笑んだ。
「まあ、それも激戦区での話だ。こんな辺鄙な所じゃ、黒鷹どころか魔女の一匹も……」
パッと、閃光が走った。
二人は言葉をすぐに引っ込め、光が瞬いた方向、自分達の頭上を仰いだ。二人の視線の先には、エンジンから煙を吐き出し、ユルユルと高度を下げる白夜の姿が。白夜はまるでスローモーションの様に降下し、偵察機の隣を過ぎてすぐに見えなくなった。
そして、
『敵襲!!』
と、数瞬置いて通信機のスピーカーがビリビリと震えた。
即座に、残りの二機の白夜は散開。機長は通信機と録音機のスイッチを入れ、ヘッドギアのマイクに叫んだ。
「敵襲だと!? 敵の数は? 機種は?」
『数は分からない。機種は、間違いなく箒だ。敵の魔女が出たぞ』
撃墜された白夜から、弱々しい声で通信が入る。どうやら、搭乗者は無事らしい。次いで、スピーカーからはマシンガンが弾丸をバラ撒く音と、パイロット達の怒号が響いた。
『くそったれ! 速いじゃねぇか! 白夜じゃ追いつけない!』
『被弾した、畜生! チクショウめ! わざとエンジンを狙いやがった、遊ばれてる!』
偵察機の二人は、唖然となった。戦闘機相手に物怖じせずに戦いを挑み、その圧倒的な力でそれをねじ伏せる魔女が、機先を容易く取られ、かく乱されている。通信機から聞こえてくるのは、悲鳴にも似た叫び。歴戦の勇士が、生娘のような声を上げている。
二機の白夜が空域を高速で行き交い、それらを敵の箒が高速で追いかける。味方の放った曳光弾が縦断し、しかし一発も当たらない。代わりに、敵が散発的に打ち込む弾丸が白夜の装甲を削り、周囲に白の破片を飛ばす。
そして、
『逃げろ、逃げきろ、全力で逃げ延びろ! そして本部に伝えろ、奴は……!』
その言葉を最後に、通信は途絶えた。白夜三機はことごとく撃墜され、そして空は静かになった。ハードディスクのキュルキュルという回転音だけが響く機内で、男二人は呆然としていた。
「……何だったんですか、あれ?」
「さあ、な」
とりあえず逃げなければ。機長はうわ言の様に呟き、機体を加速した。
刹那、機体の前に影が躍り出た。
「ひぃっ!」
と、そのシルエットに機長が短い悲鳴を上げた。
鳥のくちばしを連想させる、鋭利な衝角。幾重にも幾重にも折り曲り、接合部分に小型のブースターを付けた、独特な形状の翼。シャープな印象の機体に似つかわしくない、冗談の様に巨大なエンジン。
猛禽類を連想させるその『魔女の箒』は、それを用いる部隊の名前から単に『鷹』と呼称されている。
通常はシルバーの塗装が施される鷹だが、今彼らの目の前にあるそれは、全体につや消しされた黒が塗られている。
漆黒の機体に跨るのは、同じ漆黒の軍服に身を包んだ女性。彼女は月光を受けてキラキラと輝く長い金髪をシニヨンにまとめ、余った髪を風に遊ばせている。均整の取れた顔に、青い瞳は円らで、一見すると少女の様な純朴さと危うさを秘めている。
それでいて蟲惑的な真っ赤なルージュを引いているものだから、副操縦士は思わず、
「綺麗だ……」
と、素直な感想を漏らしていた。
その言葉が聞こえたのか否か、女性は左手に持った大口径のリヴォルバーを副操縦士の額にヒタと向けた。
そして、
『ごきげんよう、黒鷹ですわ。大人しく降参してくださらない?』
ペルーチア帝国空軍親衛隊鷹の部隊の要、黒鷹ことフェイ・ウルバニスタは優雅に微笑んだのだった。




