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ゴースト・ライト  作者: イマジンカイザー
第十二話《終》
26/30

『お前を許す。』

ようやっと、このおはなしにもエンドマークが見えてきました。

これまでたくさんのご声援をいただき、誠にありがとうございます。


なお、本章は開始前から序破急の三部構成です。

◆ ◆ ◆



 座り慣れた”玉座”に腰を下ろし、扇状に拡がったモニタから世界を見やる。

 あれから二十年が過ぎた。世界戦争を回避した人類の先に立ち、超人たちを囲い、これが世界水準なのだと声高に叫び続けて来た。

 世界は平和になった。外で陽の光を浴びる子どもたちは、つい十年近く前まで、この場所が瓦礫と煤に覆われていたことさえ知らない。

 これでいいのだ。悪を屠った自分の仕事は、この平和を恒久的なものへと導くこと。

 故に犠牲を払わねばならぬ。丸いだけの平和は不平不満をガスとして溜め込み、善人同士が憎しみ合うだけなのだ。

 棘は、見事に平和を砕いた。皆が同じ敵を憎み、ひとつになろうと声を合わせる。

 これでいいのだ。何度も何度も自らにそう言い聞かせ、それ以外に耳を塞いで来た彼の前に、自らが作り上げた「棘」そのものが立ちはだかる。


「良くここまで辿り着けたね生田君。目の見えぬ君には、我が居城はさぞつらかっただろう」

「そうでもないさ。”代え”を貰ったんでね」

 二度目の人生を歩む際、彼が与えたヘルメットは既にない。ストライカーは良く似た風防付きのメットを被り、視えない眼球をくり貫いて、そこに車のヘッドライトめいた機器をふたつ、強引に捻じ込んでいる。


「成る程。だが、光の濃淡で敵との距離が掴めても、それが何だか判断できまい」

「果たしてそうかな。よォく見えるぜ。《原初の男》ともあろうお方が、俺を目にして奥歯を揺らしているところがな」

 人間は五感のうちひとつが弱まると、他を埋めるため残りが鋭敏になるらしい。今のストライカーに《原初の男》の顔は視えぬ。しかし肌越しに空気の震えを拾い、言葉の僅かな振れを聴き、そこから考えを察することなど容易い。

「ああ、そうさ。その通り」最早隠すことに意味はない。男は微かに怒気を漂わせ、ストライカーの推論を肯定する。

「解っていて話しているのだろう? 今の状況が何を示すのか」

「勿論。皮肉なものだよな」

 満身創痍の『個人』が、『組織』を束ねる首魁の元に現れ、殺してやると宣言するこの光景。

 二十年前、原初の男と『ハーヴェスター』との間で起きた最終決戦、そのままだ。


「今でも毎晩夢に見る。あの男が今際の際に、『はじまり』だと笑った瞬間をな。誓ったのだ。奴には絶対に勝たせない。これは始まりではなく、終わりなのだと」

 故に、自分を造ったと? 酷い皮肉である。未来永劫の平和、その犠牲が巡り巡って、死に際の戯言を現実に変えてしまうのだから。

 握った拳が、結んだ決意が、僅かに揺らぐ。けれど立ち止まることなど許されない。戦って勝つ以外の道などないのだ。揺らいだ決心を再度継ぎ直し、《原初の男》に突き付ける。


「俺が間違っていることなんざ重々承知さ。正してやろうとも考えちゃいない」

「ならば何故私に楯突く。命を賭して、平和に抗う理由は何だ」

「カンタンなことさ」自分は一度死んだ身だ。生田誠一はもう居ない。

「俺はガーディアン・ストライカー。あんたの作ったしがらみを壊し、超人共を叩きのめす。それが俺の生きる道と言うのなら、従ってやるとも。最期までな!

 勝負だ《原初の男》、否――、総ての始まり、超人『Z-Oゼノ』」



※ ※ ※



「それが、お前の言い分か」

「うん」

 長い、長い懺悔の回想が終わった。これ以上、彼女から情報を引き出すのは無理だろう。

 最早迷いはない。ここまで奴を追って来たおれが、項垂れる茉莉にしてやれることはただ一つ。


「茉莉、お前ちょっとこっち来い」

「はい?」

「言葉通りの意味だよ。もっと、ほら……こっち」

 借りてきた子犬みたいに、悲しげな上目遣いで一歩ずつ近寄る茉莉。後一歩、もう一歩。これじゃあまるで、動物に芸を仕込む調教師だ。

「もういい。そこで……そう、そこ」

 生暖かい吐息がおれの顎先に掛かる距離。やまだかつて、ここまで近付いて話をしたことはない。

 如何に髪を切ろうとも、どんなにやさぐれていようとも。そこに居るのは上代茉莉。おれが愛したあのオンナ。

 でも。だからこそ、やらなきゃいけないのだ。互いの息が重なり合い、心なしか上気する頬を振り切り、否! 頭を振り被り、勢いよく解き放つ!


「ちょっ!? ざっぱー、何を!?」

「まつりぃいいいい、歯ァ食い縛れぇええええええええ」


 鐘樓を引っ叩いたかのような轟音と、時間差で響く額への衝撃。駄目だ、だめだ、クソっ。手足の先から感覚が失せてゆく。


「い……いだぁ……。チクショウ、何すんだよざっぱー」

 しかも。しかもだ。当たり負けして尻もちをついたおれと違い、向こうってば平然と立って詰め寄って来やがる。


「ごめん。ちょっと待って……、あたま、くらくらする……」

「なんで、やった側がグロッキーなのさ。仕掛けておいてそれはないっしょ」

 今回ばかりは完全同意。衝動的にかましたとは言え、本題に持ち込めないんじゃ意味がない。


「いいか。これは断罪の一発だ。アタマで悩んで迷うくらいなら、直にぶつけてスッキリ解決……」

「でもこれ、断罪されてるのはざっぱーのほう」

「黙って聞けよッ」大事な話をしようってのに、話の腰をいちいち折るな。

「要するにお前を許す。遺恨も何も全部チャラ。そういうことなの」

「え」

「え、って何だよ。そういうこと」

「はい?」

「察しの悪ィやつめ。額面通り受け取れってんだアホンダラ」

 ああ、恥ずい。ただ一言ホンネを言うのが、こんなにしんどいものだとは。


「おれもナナちんも、押し付けられて重荷に思ったことなんざ一度もねぇよ。何も言わずに出て行った、お前にキレた理由はそれひとつ。

 もう、自分を罰するのは止めようぜ茉莉。知っているのは近親者だけ。制裁だってしっかり受けたじゃあねえか。帰ろう、一緒に居たM県にさ」

 ようし、言った。言ってやったぜ。おれァな、意気地なしの引っ込み思案じゃねぇんだざまァみろ。

 などと、何処へ向けたとも知らぬ高揚はさておいて。茉莉は俯いたまま両の頬を林檎みたいに真っ赤に染めて。

「勝手なこと、言わないでよ」

「は?」

「言葉通りの意味」

 それは気恥ずかしさから来るものだと思っていた。けれど、おれとあいつの間には、取り払わねばならない壁がもう一枚立っていて。

「キミはそれでいいかもだけど、あたしはそうはゆかないの。キミやナナちん、他にも沢山、たくさんのヒトに迷惑かけてさ。ざっぱーが許してくれたって、あたしは、あたし自身を許せない!

 そんな状態で帰れって? 冗談ポイだよ。どの面下げて? 菓子折り持って土下座すればいいの? そういうことじゃないでしょ!? ドヤ顔で言ってやったぜみたいな顔してさ、こっちの身にもなってよ、ばかざっぱーっ!!!!」


「ば、ばかざっぱ」

 述べた手を振り払われ、ついでに喰らった罵詈雑言。

 ふざけんなとひっぱたく? NO。

 そんなことないと励ましてみる? NO・NO。

 どうしてそこでおれなんだと尻馬に乗るか? NO・NO・NO。

 ここへ来て、この局面で。向こうの方から塞ぎ込まれるとは思わなかった。如何に弁解や助言のシミュレーションをしようとも、俯く茉莉を上向かす方法が見つからぬ。


 どうしよう。

 どうしたら。

 どうすれば。

 足りないアタマで考えて、言葉を追い、喉元に集めてみるも、カタチにならず消えてゆく。


(駄目だ。何も、浮かばねえ)

 言葉じゃ駄目だ。口下手のおれじゃ、傷心の茉莉を動かすことなど出来はしない。

 諦める? 否、否否否否否否否、断じて否! えろ……エラい人は言った。理屈や言葉が通じぬ相手なら、キモチで負けるな、ぶつけてゆけと!

 ああ、そうさ。やってやる。やってやるとも。挫けてぶすくれるあいつの肩をぎゅうっと掴み、息を大きく吸ったなら。

「マツリ、おれは、お前が好きだ。大好きだ」

「はぁ!?」

「LIKEの方じゃないぞ、LOVEだ。ワカル? エル・オー・ブイ・イー」

「や、違う。そうじゃなくて」

 く、くそう。勢いで言ったんだぜ、察しろよ。空気読め。話を留めンな。

 恥ずいよ、滅茶苦茶恥ずい。ムードもへったくれもなく、好きだのひとことで済ませようとするんだもん。きっついわ。

 けど、今更軌道修正なんか不可能だ。畳み掛けるしか、ない!


「何も違わねぇよ。ガキの遊びだったあの駄文を認めてくれて、ずっと昔に諦めた夢を、もう叶う筈ないそれをカタチにしてくれて。お前はさ、おれの太陽なんだよ茉莉。お前が行けと言ったから。これでいいと言ってくれたから。おれは腐らず頑張れた。

 おれの気持ちは、あの頃からずっと変わらない。一緒に居てくれよマツリ。お前じゃなきゃ駄目なんだ。だから、だから……!」

 はは、は。もう、言葉になる単語が出やしねぇ。いつかこう言う日が来ると思って、何度も何度もシミュレーションして来たのにな。イザって時にゃあ真っ白さ。

 今度はおれが俯く番だ。顔を視るのが怖い。声を聞くのが恐い。今の気持ちを包み隠さず打ち明けたんだ。もしそれが届かなかったら、おれは。おれは――。


「顔を、上げて。ざっぱー」

 だけど、時間ってやつは残酷で。立ち止まることを許しちゃくれない。

 見栄っ張り、か。おれだって似たようなもんさ。あれだけ散々言っておいて、向こうの反応を見るのが恐いんだから。

「ほら、早く。早くってば」

 促され、渋々上を向く。さっきとは真逆だ。茉莉の顔には先の澱みは失せていて。懐かしいあの微笑みが戻っている。


「ずるいよ。そんな……風に、言われたら……さ」言葉を詰まらせ、目尻に溜まった水滴が、頬を伝って流れ落ちてゆく。

「あたし、うっかり許しちゃいそうになるじゃんさ。一番悪いやつなのに、引っ叩かれて当然のヤツなのに。逃げ出して、ずっと隠れて、連絡一つ寄越さずに……!」

 彼女の言葉はがらがらに掠れ、しゃくり上げる音と鼻の奥で啜る音とが入り混じっていた。一語一語絞り出すように。沈んでいた気持ちを揺り上げ、無理矢理顔を上向けて。

「キミは馬鹿だよ。大馬鹿モンだ。こんなあたしを許す。許すってさ。マジで無いよ。あり得ない」

「人生なんて、あり得ないことだらけだろ。何度沈んだって、もう駄目だって思ったって。意外としぶとく生きてるもんさ」

 いつの間にか、おれの手は彼女の肩に触れていた。スウェット越しに茉莉の熱が、微弱な震えが身体の芯まで響いてくる。

「おれさ、ここんとこずっと『からっぽ』だったんだ。ガーディアン・ストライカーの打ち切りを告げられて、認める以外に道はなくて。これでいいんだって納得させたくてさ」

「えっ、打ち切り……」

「だから、黙って聞けィ」唐突なのは重々承知だが、今そこで話の腰を折られると困る。

「そりゃあな。信じてたものが全部嘘だって言われたらうんざりするよ。けど、あんな身の上話を聞かされちゃあ、怒る気になんかなれねえさ」

 上手くやりやがったな、と皮肉めいて付け加えたかったが、これ以上ヘソを曲げられちゃあ困ると飲み込んで。

「悪いって思うなら、一度帰って話をしよう。おれもついてる。だから」

「話、カッ飛びすぎ」口を挟むな、というおれの言葉を、正論と人差し指で封じ込め。

「言いたいことひとつにまとめようよ。打ち切りか、あたしの嘘か、向こうに帰ろうか。要点が何処にあるのかわかんない」

「う、うるせぇな。あ、アタマが回らないんだよ。こちとらテンパってンだぞ」

「そーゆーこと、真顔で言わないで」

 辛辣なツッコミだが、おれを見るその目は暖かで。「ほんと、あたしが居なきゃ駄目だなあ、ざっぱーは」

 茉莉は口元に少し大人びた笑みを浮かべると。「敗けたぜ、ざっぱー。いい加減あたしも覚悟決める。でも、かわりにひとつ、条件があるの」

「条件?」そう言ってまた、煙に巻くつもりじゃなかろうな。訝しむおれの眼前に突き付けられたるは、薄茶色のケースに覆われた携帯端末。

「呼んでるの。『お夕飯、出来たよ』って」



※ ※ ※



「もー。ざっぱ君もりーちゃんも遅いったら。ご飯、とっくに出来てるわよー」

 慣れない道を茉莉に連れられ、やって来たるは先程の石取家。おばの奉華さんは一言一句偽り無く、おれたちの分の夕食をこさえ、帰りを待っていたらしい。


「さぁさ座って座って。今日はわたし特製カレー。牛すじ捌いてー、玉ねぎざくっざく、じゃがいも多めのー濃厚どろーりー」

 お玉をマイクに歌いながら、広いリビングをぐるぐると回る。何がそんなに楽しいのか。茉莉と顔を見合わせるが、向こうはツッコミ拒否だと首を横に振った。


「急ですみません。ホントは宿で摂るべきなんですけど」

「いーの。いーの。むしろこっちがごめんさいね。有り物でちゃっちゃと済ませちゃって」

 謝罪と共にテーブルを見回すが、メインのカレーの他にも自家製らしきポテトサラダ、茄子の生姜煮浸し、白滝の明太子和えと盛り沢山。

 これを、有り物と言っていいのか? 料理好きの主婦さんの感覚とは、フシギ極まりない。


「それじゃー、手を合わせてくださーい。いーただーきまーす」

 まるで歌のお姉さんに扇動される幼児のよう。元からテンションの高いヒトとは思ったが、ここまで極端だと逆に不気味だ。

 まあ、それもわからなくはない。押し掛けから一年近く、燻ってたこの女が、昔馴染みを連れて現れたのだから。

 とは、いえ。このまま向こうのペースにノセられて、温かい卓を囲んでいる訳にはゆかない。おれは良くても、茉莉の方が納得しないだろう。


「あの。あのね、ほーかおばさん。あたし、その……」

「ストップ」たどたどしく話すマツリの口を、奉華さんの細く整った人差し指がつついて止めた。「いまは、夕食の時間。じゃあ、おはなしをするのは?」

「食べた……その、後」

「はい、正解」

 こちらの想いを見透かしているのだろうか? おばさんは柔和な笑みでおれたちを見やると。

「ほら、これもどうぞ。見栄えはそんなに良くないけれど」

 勧められるがままに、たらこと白滝の煮物に口をつける。両者を和風出汁と醤油で煮詰めたというが、濃いめの味付けに、スパゲティのそれより強い弾力がくせになる。

「お、おいしい」

「でしょ?! でーしょー? りーちゃんも好きで、よく作るのよ、ねー」

 天然なのか狙っているのか。ここで話を振られても。ほら、茉莉のやつ、渋い顔して睨んでますよ。

「んもー。りーちゃんってば顔が硬いわよぉ。しかめっ面でご飯食べても美味しくならないんだから。すまいる、すまーいる」

 うん、これは多分天然なんだろう。中学時代のマツリもこうだった。血は争えぬ……じゃあないか。兎も角少なからず影響受けてるわけね。

 両手に花で美味い飯、他に求めるものが他にあろうか。などと思っているのはおれだけで。それまで粛々とカレーを口に運んでいた茉莉が、ここへ来て机を叩き、ぐいと身を乗り出した。

「茶化さないで話を聞いて! あたしはずっと本気なの。伝えなきゃいけないことがあるの!」

「ホンキ、か」いきり立つ茉莉を御した奉華さんは、口元を蠱惑的に吊り上げ、愉しげに笑うと。

「ヒトにモノを言う時は、その位はっきりしてなきゃね。久し振りだなあ、りーちゃんがそういう顔してるとこ」

「え……」

 多分・なんて言葉で推し測ってしまったが、いやはや、大人ってやつはわからない。本音を話すのなら、当人にその気がなくちゃと発破をかけたってことね。

「わかった。わかったよ。あの、ね……」

 さてさて、ここまで来たら後戻りなんて許されない。今度はお前が冷や汗をかく番だぜマツリ。目玉をかっ広げ、ごくんと唾を呑み込んで。

「ごめんなさいほーかおばさん、あたし、向こうじゃ『死んだ』ことになってるの」

「はい?」

 そこから先の話は、長くなるのでさっくり割愛。お出しされたのが麺じゃなくて良かったね。アレだけ長い話の後じゃ、アツアツのカレーもすっかり冷えちまってさ。

 奉華おばさんは口を挟まず、嫌な顔すら見せず、黙ってそれを聞いている。

 やがて茉莉が話し終えた後。目を閉じて、潜めた声でひとこと呟く。

「それで、ぜんぶ?」

「うん、全部……」

 茉莉の額に冷や汗が滲む。理由も言わずに押し掛けて、一年もの間嘘を付いてきた相手だ。鬱を患って沈んだアイツにゃ厳しかろう。

「本当に? ほんとの、ホント?」

「誓うよ。誓って嘘は言ってない」

「そ」

 赦さず、憎まずって感じだろうか。おばさんは神妙な面持ちのまま身を乗り出し、襟口から胸元に手を入れて――。

 えっ、ちょっと待って。胸!?


「いつか、こんな日が来るんじゃないかって思ってた」

 すごく暖かい声で喋ってらっしゃるんですが、右胸辺りをごそごそやってあぁでもないこうでもないとする姿は、控えめに言って異常ですよ。

 おれ、オトコなんだけどなあ。カウントのうちに入ってないんかなあ。

「はいこれ。持ってって」

 そんたこんなで現れたのは、やや型の古い預金通帳。名義は……聞くまでもない。

「おばさん、これは」

「へそくり。M県に行って帰って来るくらいは余裕であるはずよ」

「なんで……。いきなり」

「謝らなきゃいけないんでしょ。いやな気持ち引き摺って、そのままにしちゃ絶対に駄目」

「いや、そりゃ、そうだけど……。だからって、こんな」

「別にいいのよ」奉華さんはその顔にほんのちょっぴり憂いを含ませて。「ずっと、あなたの力になりたかったの。でもりーちゃんからは何も言ってくれないし、私も私で言い出せなかった――。だから、これくらい、なんてことないわ」

「おば……さん……」

 本当に、彼女にとっては『なんでもない』ことなのだろう。生き死にの有無で思い悩むおれたちと違い、目の前にいても何も出来なかった無力感。それが何とか出来るなら。あの子が笑ってくれるなら。「なんでもない」に嘘などない。

 あぁ、あぁ、あぁ。マツリのやつめ鼻啜って泣きじゃくってもう。子供の頃より子どもっぽい。なんとなく、ここだけ時間が巻き戻った感覚すらある。


「ざっぱ君」不意に、その目がおれの方へ向いた。「りーちゃんのこと、ずっと好きでいてくれてありがとう。みんな、あなたに、救われた」

「え。あ、おれは、べつに」

 当然のことをしたまでです、はおかしいか? 別に助けたかったわけじゃ……って、向こうさんにツンツンしてどうする。

 参ったな。唐突すぎて言葉が出ない。茉莉がどもるのを、傍から見ていて笑ってやるつもりだったのにな。

「ほらほら。あなたまで何を泣いてるの。食事は笑顔。すまいる、すまーいる」

 そりゃあそうだ。おれだって目に涙溜めて鼻啜ってるんだもの。

 救われた、だって? そっくりそのままお返ししてやる。茉莉が生きていて、この不毛で不安な日々に謝辞を贈ってくれたんだ。泣くだろふつう。堪えられないだろ普通。

 奉華さんに促され、改めて料理を口に運ぶ。

 少し冷えた自家製カレーが、過去に食べたどんなご馳走よりも、ずっと美味しく感じた。



次回、『おかえりなさい、夢野先生』につづきます。

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