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武帝のイリアス  作者: 深瀬こなた
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01.異世界へと

01.異世界へと


 そよ風が頬を撫でる。


 閉じた瞼に日光が直接当たっている。


 おかしいと彼は思った。

 彼が寝ているのは都心のどこでもある安アパートの一室だ。寝るときには防犯のため必ず窓を閉めカーテンも閉める。だから、日の光なんて差し込むはずがない。ましてや風なんて。


 では無意識のうちにカーテンを開け、窓も開けたとでもいうのだろうか。いやいや、ありえない。二十五年間生きてきてそんなことが起きた記憶はない。


 まずは瞼を開けてみようではないか。そうすればすべてに納得がいくだろう。この明らかに身体を預けているモノの感触が布団ではないことの理由に。


 恐る恐る瞼を開けてみる。


 太陽が目の前にあり、目が直接焼かれる。


 ――すごくまぶしい。


 目が太陽からの攻撃を回復するとそこに映っていたのは、見渡すばかりの草であった。


 草原だ。森に囲まれている。


 見たこともない草木や花たちが彼を歓迎している。


 遠くには雄大な山脈があり、その山脈の間に石レンガを積んでできた城壁のようなものが見える。


 この光景は、見覚えがある。


 そうだ。寝る寸前までやっていたあのゲームの風景だ。


 遠くに見える城壁はアーノルド国の首都である。右も左もわからない初心者を向かい入れる街であり、冒険を始める最初の拠点である。それが確かな質感を持って遠くに存在している。

 見間違うはずもない。三年間ずっと画面越しに眺めていた風景である。


 彼は混乱の渦中にいた。


「なんで!? え……なんでッ!?」


 そう叫ばざるを得ない。しかも、声を出した瞬間、さらなる混乱が彼を襲った。


 高いのだ。声が。


 それもただ高いのではない。自分の声音を残したまま少女の声音に変換したような。


 少女にしてはやや低くもその弾むような声は快活な印象を与え、聞く人を元気にする不思議な魅力にあふれていた。

 驚き、急いで彼は自身の身体を確かめる。


 すると十代半ばほどの少女の身体になっており、服装はいつも画面の向こう側から眺めていたモノに変わっていた。


「鏡、鏡! もしくはそれに代わるもの!」


 自分の声とは思えない少女の声であたりを見回す。


 視界に映るのは青々と茂っている草木などの植物である。自分の姿を確認できそうなものは当然ないだろう。


「まあ、ないかー」


 女の身体になってしまった男の反応はどう考えられるだろう。唖然としてその場に立ち尽くすだろうか。それとも……。


「自分の身体を確かめるのは、重要だよね。うん、重要だ!」


 そう自分に言い聞かせ、周囲を警戒する。何もいないことを確認すると女性の身体的特徴である胸に恐る恐る手を当てる。


 ――柔らかい。


 二十半ばとそれなりの人生を歩んでいた彼だがついぞ女性と交際する機会に恵まれなかった。そのため、女性の身体には人並み以上に興味がある。が、刺激が強すぎたようだ。顔を真っ赤にして何かよくわからない奇声を発して悶えている。


「これはなかなかやばいね……。僕には難易度が高かったようだ」


 胸を揉む前は男の悲願とされる女の花園を拝もうと考えていたが、この様子では見たらひょっとすると恥ずかしさのあまり死んでしまうのではないかと彼の魂が叫んでいる。


 まだ赤みの引かない顔でもじもじとしていたが、冷静になろうと自問自答する。果たして今確認することなのだろうかと。身の安全が確保できてからでも良いのではないのかと。


 決して確認するのが怖いから先延ばしにするわけではない。


 現在は身の安全を確保するのが最優先であり、安全圏に入ってからじっくりと確認するのもやぶさかではないなとか考えているわけではない。


 何が言いたいかというと彼も何を考えているのかがわかっていない。


 絶賛混乱中である。


 クールダウンしよう。


 深呼吸を繰り返し、早くなった鼓動を落ち着かせる。


 それにしても、リアルな光景である。

 時折吹く風に草木が揺れ、濃厚な植物の香りが鼻腔をくすぐる。

 足元の草を引きちぎり、断面が見えるように目元まで持ってくる。外部からの強引な力により細胞や繊維がつぶれ、透明な液体がにじみ出ている。試しに口へ含むと苦みと渋みが同時に広がり、何とも言えない表情になり吐き出した。


 まごうことなき現実である。


 夢を見ているのではないとすると考えられるのは、『アルカディア・オンライン』に酷似した世界に迷い込んでしまったということだろう。そうなればモンスターもいるのではないか。それは非常にまずい。


 我々現代人は画面越しだからこそ残虐な行為だって何ともないし、凶悪な怪物が目の前に迫っていたとしても冷静に対処ができる。果たして今この状態で彼はRPGの定番であるゴブリンだのコボルドだのに襲われてしまった時、慌てずに対処ができるのだろうか。


 顔はしっかりと確認できないので確信は得られないが、この身体は数日かけて作成した自分のキャラクターである『イリアス』であると推測できる。


 とするとだ、戦闘能力はどうなっているのだろうか。


 一つ、ここに迷い込む前のスペックのままである。

 一つ、ゲームの様に何らかの方法でスキルなどを実行できる。

 一つ、身体に戦闘技術が刷り込まれており、自然に最適な行動をとることができる。

 この三つだろう。最優先で確かめなければならない。


 何も情報のない状態で放り出されているのだ。下手な行動はよくない結果をもたらすだろう。


 ――わくわくするなぁ。


 あのゲームを手探りで攻略していった頃を思い出す。何をするにも手探り。トライアンドエラーで少しずつできることを増やしていったのは良い思い出である。


 それにしても、戦闘能力を確かめるにしてもどうすればよいだろうか。


 とりあえず身体を動かしてみよう。


 まず現実世界で少しかじっていた空手の動きをしてみる。


 構えて拳を突き出す。すぐに元の位置へと戻す。


 ――身体が軽い。そして目に見えて動きが良くなっている。


 調子に乗って思いつく限りの動きをしてみる。そのすべてが依然動画で見た達人の動きを上回っている。

 無骨で人を傷つけるはずの武術が、舞台の上で一流のダンサーが舞い踊るかのように優美だ。


 一通り型をなぞり、少しだけ火照った身体を冷ます。思わず夢中になってしまった。身体が軽く、キレもよい。できなかった動きも今なら容易に再現可能だろう。


「どうも、戦闘能力は不思議な感覚だけど身体が覚えているんだね」


 どうやら、戦闘能力については問題なさそうである。しかし、検証もまだまだ必要だろう。


 ゲームに酷似した世界。それならばスキルと呼ばれる技も使えるのではないか、と当然のように思考はそこに行きつく。


 イリアスの職業は格闘士でアーキタイプは戦士型である。なぜ格闘士かというと彼自身空手を習っており、昔読んだ漫画に出てきたキャラクターがモンクであり、そのキャラクターに憧れたことが理由として挙げられるだろう。


 そして、サブ職業に仙術士を修めている。


 格闘士は有名で一般的な職業の一つであるが仙術士はマイナーな職業の一つだった。


 格闘士の習得は比較的簡単で始まりの街でいろいろな職業を学べる施設があり、そこで数種類の型と技を学ぶだけであるのに対し、仙術士はその施設では習得できず、秘境にいる仙人に教えを請わなければならないという。その時点で既に難易度は高いが、仙人の教えというのが曲者だ。とにかく時間を多く費やさなければならず、課題もまたハードである。


 苦労して手に入れた仙術士はそれなりに見合った性能をしている。戦闘職ではない仙術士は【外丹】と【内丹】という主なスキルがあり、それぞれ補助的な効果を発揮し、キャラクターを助ける。【外丹】は練丹術と呼ばれる魔結晶を素材とし、様々な効果のある薬を作り出すスキルで、【内丹】は体内の気を練り身体能力の上昇や、各耐性を強化するなどといったスキルである。


 彼、イリアスが有名になったことである程度の認知はされたが、習得方法が特殊かつ難易度が高いためメジャーな職業とは言えないのが現状である。


 どうやったらスキルを発動できるのだろうか。


 瞳を閉じ考えてみる。


 するとどうだろうか。


 スキルを発動したいと思い浮かべるだけで頭の中に習得しているスキルの一覧が出てくるではないか。


 現状、音や衝撃といったものが出るスキルを選ぶのは得策ではないと彼は考える。


 いつ何時何が起こるかはわからないのだ。


 差しあたって今はスキルが発動できるかどうかだけ確認できれば良い。


 自身の行使できるスキルの中で外部に影響を及ぼさないもの。数秒悩んだ末彼は、仙術士の【内丹:錬気】というスキルを発動することを決めた。

 このスキルは回復力を一時的に上昇させ、一定時間全ステータスを一割上昇させるといった効果だ。


 念じるだけで発動し、その瞬間、身体の内側からあふれる力を確かに感じることができた。


 回復力上昇の効果はいまひとつ確認することはできないが、身体が軽くなり、さっきよりも力がみなぎってくることがわかる。


 視力も向上しているようだ。遠くの城壁もよく見えるようになっている。


 再度ぐるりと周囲を見回してみる。


 今度は落ち着いて周りに顔を向けることができた。


 後ろの森で鳥が飛び立つ様子も、鹿らしき動物が群れで太い木の根が張る地面を難なく走る様子がはっきりと見て取れる。


 この時彼を包んでいたものはスキルによる恩恵が想像以上であったために起こった全能感。


 日本でゲームをしていたころとは違い、驚異的なまでに向上した身体能力や戦闘技術の冴え。


 この先何が起ころうと何とかなるという楽観的な考えが彼に生まれ始めていた。


 自分であれば何とかできる。


 自分であればうまくやれる。


 そんな根拠のない自信が彼に軽率な行動をとらせた。


 森へと足を踏み入れたのだ。


 ただでさえ何もわからない異世界の土地である。


 いくらゲームであった頃の知識があったとしても、その知識はごく表面的な部分でしかない。耳障りのいいように簡略化や改変されていたものであることに気付かずに、それがあたかも真実の様に鵜呑みにしてしまっている。


 この異世界にとってそれはあまりにも軽率すぎたのだ。


 そのことに気が付いた時は覚悟が問われる時。


 つまり、生きるか、死ぬか。


 食うか、食われるか。


 現代日本の籠の中で守られた人間にとってそれはとても残酷なことだ。


 彼はそのことをつゆ知らず、森の奥にある街道へ歩みを始める。




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