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第1話 寄る辺なき日常

いいんだ。お前に『人殺し』と蔑まれても、

お前が生きているなら──

オレは、俺を捨ててやる


挿絵(By みてみん)

 西暦20XX年。

 世界が「それ」を受け入れてから、十五年の月日が流れていた。

 突如として現れた異形の怪物【獣魔じゅうま】。物理法則を無視して蹂躙を繰り返す彼らに対し、人類が手にした唯一の対抗手段は、皮肉にも獣魔が振りまく未知のエネルギー──【魔力マナ】を用いた事象干渉技術だった。


 現代において、魔術はもはや奇跡ではない。

 高度な演算によって物理現象を書き換える「魔導工学」という名の科学である。


 国立第一聖痕学園。

 午後の日差しが差し込む屋外演習場では、エリートたちの誇らしげな声が響いていた。


「──術式展開キャスティング、起動。熱量変換、物理定数固定。……放て!」


 学園Sランク、神代焔かみしろ ほむらの声とともに、彼の手に握られた銀色の魔導器デバイスが青白く発光する。直後、大気を焼き焦がす轟音とともに、数十メートル先の標的が巨大な火柱に呑み込まれた。

 寸分の狂いもない演算。無駄のない魔力経路。周囲の生徒たちから、ため息混じりの称賛が漏れる。


「流石は神代先輩だ。あの規模の術式を、リロードなしで三連続か……」


 その喧騒から遠く離れた、演習場の隅にある古びたベンチ。

 黎明れいめい かけるは、使い古されたタブレット型の魔導器に視線を落としていた。画面に表示されているのは、先ほど計測したばかりの自身のステータスだ。


【マナ・スコア:測定不能エラー


 駆の唇に、自嘲的な笑みが浮かぶ。

 この学園において「測定不能」とは、最強を意味しない。術式を起動させるための最低限の魔力すら持ち合わせていない、「無能」の証左でしかなかった。


「おい、落ちこぼれ。いつまでそこに座っている」


 背後からかけられた声には、明らかな蔑みが混じっていた。振り返るまでもない。神代焔だ。彼は取り巻きを連れ、勝ち誇ったような足取りで近づいてくる。


「演習の邪魔だ。魔力を持たない人間がここにいても、大気の汚れにしかならん。お前の席はここではなく、図書室の隅がお似合いだぞ?」


「……悪いな。すぐにどくよ」


 駆は静かに立ち上がり、泥のついた制服の裾を払った。

 反論する価値も、怒る理由もない。彼らが誇るその「演算」も「魔力」も、駆にとってはあまりに脆弱で、幼子の火遊びのように見えていたからだ。


【……オレを、外に出すな。……まだ、早い】


 脳の奥底で、ドロリとした重い声が響く。

 駆は眉根を寄せ、右手で左胸を強く押さえた。心臓の鼓動が、一瞬だけ人間のものではないリズムを刻む。

 十五年前。両親が殺されたあの日、駆の体には「聖痕」などという生易しいものではない、呪いが刻まれた。

 自分の血を流しているのは、人間としての倫理か。それとも、かつて両親の喉笛を食いちぎった獣の渇きか。


 駆は逃げるように演習場を後にした。背中越しに飛んでくる「逃げ足だけはSランクだな」という嘲笑を、耳の奥でシャットアウトしながら。


 ***


 夕暮れ時の住宅街。

 九条老夫妻の家の離れとして用意された小さなアパートが、駆の帰る場所だった。

 玄関の扉を開けると、鼻腔をくすぐったのは出汁の優しい香りと、炊きたてのご飯の匂い。


「あ、お兄ちゃん! お帰りなさい!」


 弾けるような声とともに、エプロン姿の少女――妹の陽葵ひまりが廊下に顔を出した。

 学園での冷え切った空気とは対照的な、柔らかい橙色の光が駆を包む。


「……ただいま、陽葵。いい匂いだな」


「ふふん、今日は肉じゃがだよ。お兄ちゃん、最近あんまり食べてないみたいだから、栄養つけてもらわないと!」


 陽葵は駆の鞄を受け取ると、甲斐甲斐しくテーブルを整え始める。

 彼女の笑顔を見るたびに、駆の胸は締め付けられるような痛みに襲われる。


 陽葵は知らない。

 あの日、父が必死に自分を庇い、母が叫びながら息絶えたその中心にいたのが、自分であったことを。

 今、こうして穏やかに笑いかけてくれる妹の命さえ、かつての「オレ」が奪おうとしたことを。


「お兄ちゃん、また学園で何か言われた?」


 陽葵が、茶碗を並べながら小首を傾げた。その瞳は、見透かされているのではないかと錯覚するほど澄んでいる。 


「別に。いつものことだよ。魔力がないのは事実だからな」


「もう、そんなことないのに。お兄ちゃんの手は、とってもあったかいよ。魔力なんて計らなくても、私はお兄ちゃんが一番すごいって知ってるもん」


 陽葵は当たり前のように言って、駆の向かいに座った。

 温かな湯気が立つ食卓。テレビから流れる他愛のないニュース。

 それは、駆が魂を削ってでも守り抜きたいと願う、偽りの、けれど愛おしい【寄る辺なき日常】だった。


「いただきます」


 二人で手を合わせ、食事を始める。

 駆は、陽葵が丁寧に剥いてくれたジャガイモを口に運ぶ。その味を、細胞の一つ一つに刻み込むように噛み締めた。

 忘れたくない。たとえ明日、自分が何者かに変わってしまおうとも。この温もりだけは、失いたくない。


(……俺は、俺だ。まだ、人間でいられる)


 そう自分に言い聞かせ、駆は微笑んだ。

 しかし、その視界の端。

 夕闇の迫る部屋の隅、影の中に、微かな蠢きが見えた。

 それは、主の命令を今か今かと待ち構える、漆黒の渇望。


 平和な食卓の裏側で、時計の針は確実に進んでいた。

 すべてを壊し、すべてを忘却の彼方へと追いやる、残酷な夜の始まりへと。


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