ヴィル・ブルフォード手記⑭
――ヴィル・ブルフォード手記(封蝋済み・王宮地下書庫に秘匿)
第十章 時間遡行編④
その七十八
雪の色は白ではなかった。踏み荒らされ、荷車の轍と人の足跡が入り乱れ、泥と凍結が混ざり合って鈍く濁っていた。北門を抜けた市民縦列の背が、吹雪の向こうに霞んでいく。鐘は一打――殿、生存。だが次がある保証はない。
俺の前に広がるのは、まだ無傷の南平原。だが、あの地平線の向こうに、宰相の黒壁が迫っている。三百の足音は聞こえずとも、地面の下から伝わってくる気がした。あの歩みは止まらない。橋を落とそうが雪崩を起こそうが、奴は進む。立ち止まれば、飲み込まれる。
殿部隊七十七。顔を見回すと、皆、冬の息を荒く吐き、鎧に雪を貼りつけ、目だけを鋭く光らせていた。誰も口を開かない。開けば迷いが漏れるからだ。俺も同じだ。だから、声は出さずに頷いた。足並みが揃った。それでいい。
――人を斬る鬼になると決めた顔は、醜いに違いない。ミツルが見たら、きっと悲しそうに見つめるだろう。怒りはしないし、責めもしない。そして、二度と俺に微笑むことはなくなる。それでも構わない。黙って誰かを失うよりはましだ。俺は罪を背負う。代償を受ける。
風向きが変わった。南から、鉄と革と、血の匂いが混じった重い空気が流れ込んでくる。敵は、もうすぐ視界に入る。俺は手袋越しに剣帯を確かめ、深く息を吸った。肺に入った冷気が、胸の奥のためらいを凍らせる。心臓の鼓動が、遠雷のように一定の間隔で響く。
「……全員、位置につけ。号令は一度きりだ。聞き逃すな」
低く放った声が、雪原に沈んだ。返事はなかったが、鎧と武器がわずかに鳴る音が答えだ。俺たちは氷の縁に立っている。踏み出せば割れるが、踏み出さなければ背後の列が死ぬ。遠く、二打目の鐘が鳴った。北走行列は進んでいる。ならば、ここで時間を稼ぐだけだ。
俺は、剣の柄に手をかけた。
――ヴィル・ブルフォード手記(封蝋済み・王宮地下書庫に秘匿)
第十章 時間遡行編④
その七十九
夜明けの光が、森の梢を縫って白い筋を落としていた。あれは決して希望の光ではない。冷たく、鋭く、戦場を切り取る刃のような光だ。俺たち七十七の殿軍は、息を殺して雪の中に伏せている。前方の隘路は、静まり返っているが――静けさは嵐の前触れにほかならない。やがて、雪を踏み割る音と、鎧の擦れる音が地を這ってくる。
剣帯に触れる手が、知らぬ間に強く握り込まれていた。ここで時間を稼げなければ、北へ向かう列は全滅する。俺の中で、もう迷いはなかった。人を斬る鬼になると決めたのだから。彼女が眠りについてからの数日、俺は何度もその寝顔を思い出した。冷たい指先、浅い呼吸、かすかな呻き。守るべき理由は、もはや義務でも誓約でもない。あれは俺の生き残る理由そのものだ。
脆さと才覚の落差――王宮で貴族を翻弄する胆力と、鏡の前で震える瞳。あの極端な振れ幅が、俺を何度も引き戻す。父親のように守ろうと決めたはずなのに、いつの間にかそれは父性の殻を割り、罪悪感と淡いざわめきを孕んだ別の感情へ変わっていた。それは恋でも欲でもない。名を与えれば壊れる気がする、名もなき祈りだ。ユベルの娘だからではない――あいつがあいつであるから、俺は盾になる。
森の空気が、張り詰めて軋む。前衛の斥候がわずかに肩を動かし、「……来た」と低く告げた。雪の奥から、黒い波が滲み出すように迫ってくる。俺は息を吸い、聖剣を引き抜いた。白銀の刃が、夜明けの光を裂き、雪に光紋を落とす。この一閃で、俺はまた彼女から遠ざかるだろう。それでもいい。彼女の笑顔が消えるとしても、背を向けてでも、生きて北へ送り届ける。それが俺の役目だ。俺がこの場に立つ理由だ。
……ミツル。俺の名も、この手の血も、全部忘れて構わない。お前が生きてくれるなら、それでいい。
――ヴィル・ブルフォード手記(封蝋済み・王宮地下書庫に秘匿)
第十章 時間遡行編④
その八十
森が焼け、雪が焦げる匂いがした。火矢の煙が視界を薄く曇らせ、耳には弩砲の弦鳴と、鎧が擦れる低い金属音が重なっている。敵は崩れない。穴を迂回し、盾を組み直し、押し寄せてくる。俺は知っていた。このまま正面を支えれば、じきに押し潰されることを。だからこそ動いた。自分を囮に晒し、影の手を炙り出し、排除する。それがこの戦の第一手だった。
だが、斬った瞬間の感触は何も残らなかった。抵抗も、手応えも。雪を裂いたように軽く、ただ結果だけが残る。血も熱も刀身を汚さず、白銀は何事もなかったかのように光を返した。――怖ろしいのは、この剣だ。使うたび、これは本当に人間が持っていい力なのかと奥底で声がする。
だが今は迷っている暇はない。黒壁が前へ出る。槍の列が唸り、矢羽が雨のように降る。全てを斬り払いながら、俺はただ時間を計っていた。第二列が峠を抜けるまで、どれだけ持たせられるか。それがすべてだ。咎は俺が背負う。彼女の理想とは真逆のやり方でも、構わない。あの眠る額に誓ったとおり、泣かせないために、剣を振るう。――たとえ、その剣が俺自身を喰い潰すとしても。
――ヴィル・ブルフォード手記(封蝋済み・王宮地下書庫に秘匿)
第十章 時間遡行編④
その八十一「死の覚悟とミツルの声」の章
刃と矢が降った。投げ刃の唸り、小弩の舌打ち。俺は“銘無し”で叩き落とし、身を捻り、踏み替え、間を殺した。だが、動きは目に見えて鈍る。肺が焼け、額に汗。剣は相変わらず白く冴えるくせに、握っている俺の方が先に擦り減っていく。後方の台車。砲身の魔法陣が眩しく脈打ち、四つの魔石が赤紫に合奏する。空気が痺れ、魔素が一点へ吸い込まれていく。――時間がない。影の手が六。寄らない。間合いの外から、リズムだけで縫い止めてくる。完璧だ。俺の“次”を読む者の手だ。突破口は見えない。
その時、背後から嗄れ声。「殿下! 今です!」――ダビド。同時に、森の高みから数本の矢か投げ刃が走り、影の足元に白い火花が散った。わずかな乱れ。完璧な輪に生じた砂粒ほどの綻び。俺はそこで踏み込んだ。乱れた一人の懐に。白い線が一つ、影を裂き、遅れて黒が崩れる。代わりに右肩を掠められた。熱が走る。構わない。前へ――砲へ。宰相が座する馬車へ。砲口の光はもう飽和に近い。数拍。あれは隘路ごと呑む。遠くで誰かが狂ったように叫んだ。「あの化け物を焼き尽くせぇッ!!」
せめて宰相に一太刀。できれば首。そう願ってきたが、ここまでか。すまない、ミツル。……もう、お前の笑顔は見られない。そう覚悟しかけた、その刹那――
――『ヴィル……! あなたっ、ずっと一緒だって、言ったじゃない……!
絶対に離さないって、約束してくれたじゃない……。
わたしたちは、ふたつの聖剣で結ばれた、ふたつでひとつのツバサだって……そう言ってくれたのは、あなたじゃないの……っ!
……わたしたちはね、どうしたって離れられないのよ。理屈なんて関係ないわ。だって――わたしたちは精霊の巫女と騎士で、なんたって“夫婦”なんだから……』
彼女の声が脳裏を駆け抜けた。幻聴か、死に際の走馬灯か――その時の俺は、そう受け止めていた。
――ヴィル・ブルフォード手記(封蝋済み・王宮地下書庫に秘匿)
第十章 時間遡行編④
その八十二「救いの降臨と決意の再構築」の章
赤紫の光が街道を舐め、雪が蒸発して消えた。あの砲身の口が俺ひとりに向いているのが、気配だけでわかった。影の手が輪を解き、熱線の通り道を空ける。逃げ場はない。剣を立て、胸だけを前へ出した。――ここだ、終いにしよう。
その瞬間、“白銀”が降りてきた。学の足りない頭では、そう表現する他なかった。
世界が薄い膜で包まれた。音が刈り取られ、風が止む。火舌が俺の顔面を焼き抜くはずの一瞬前に、白い殻がふっと差し出され、何もかもを飲み込んだ。熱も衝撃も、白磁の薄膜に触れた途端に霧になって消える。雪が泡立つように沈黙した。
抱きしめられた。焦げた布の匂い、鉄の味、そして泣き笑いの震えが胸に当たる。頬に触れるのは、鎧越しの鼓動だ。俺のものと重なる。信じられないほど近くで。
「……ミ、ミツル……?」
言葉にならない声が出た。彼女は答えず、ただ腕に力を込めた。殻の外では黒い刃が打ちつけられているのに、刃は氷を叩いたみたいに無音で止まり、衝撃は零に溶ける。ここは、俺たちだけの聖域だった。
耳の奥で、さっきの声が続きのように残っている。――「離れない。誰ひとり、あなたに触れさせない」。囁きは小枝みたいに頼りないのに、胸骨の内側へ深く潜って、手を広げる。
俺は何をしようとしていた? 鬼になる顔で、勝手に別れを言い渡し、勝手に赦しを諦めて、勝手に終わらせるつもりだった。なのに、いま彼女は黙って俺の前に立ち、その全部をひっくり返してしまった。
白い殻の内側で、剣の柄が微かに脈を打った。餓えた獣みたいだった拍動が、静まっていく。彼女の手が背にある限り、俺は斬るためだけの手には戻らない――そんな馬鹿げた確信が、妙に自然に仕舞われた。
「ああ……ヴィル。生きてる……ほんとうに、生きてる……!」
殻の中で、彼女が言った。睫毛に煤。瞳は濡れて、それでもまっすぐだった。俺は目を閉じ、短く息を吐いた。笑ったのかもしれない。笑える顔が、まだ残っていたらしい。
殻が呼吸するたび、外の戦場が遠のく。影の手の足音も、弩の弦鳴りも、砲の唸りも、薄絹の向こう側に退いた。残るのは、ふたつの心拍だけ。
俺は生きる。ここで燃え尽きるためじゃない。こいつと並んで、こいつの守ろうとした世界を通すためだ。剣は、彼女を戦わせるためじゃなく、戦わずに済む場所へ連れていくために抜く。――さっきまでの俺の誓いを、やっとまともな方向へ捻じ直す。
「もう……誰ひとりとして、あなたに触れさせない。わたしの翼があるかぎり――絶対に」
彼女の言葉は涙に濡れ、すぐには続かない。身体の震えは、恐怖と安堵の狭間にいたことを物語っていた。俺は背中に手を回し、ただ抱き留めた。置いて逝くかもしれない未来。独りになるかもしれない恐怖。そのすべてが、互いの体温の中で溶けていく。
絶望の縁で、白銀は確かに舞い降りた。俺は決して忘れないだろう。
――ヴィル・ブルフォード手記(封蝋済み・王宮地下書庫に秘匿)
第十章 時間遡行編④
その八十三「誓約の再契約と共闘」の章
蒼白い殻の内側は、深い水底みたいに静かだった。外では火砲が吠え、鉄が軋んでいるはずなのに、ここだけ時間が止まっている。俺とミツルの呼吸だけが、はっきり聴こえる。
誓約 ――ふたつでひとつのツバサ
最初に刺さったのは問いだった。
「……どうして置いていったの?」
責める響きではなく、心細い子どもの声。その声に、胸の奥の何かが痛む。返事がすぐには出なかった。俺は約束を二つとも違えた。守り通すと誓い、離さないと誓って、それでも置いてきた。ユベルにも顔向けできんと腹の底で繰り返しながら。
彼女は目を逸らさずに続ける。
「あなたをひとりぼっちになんてしたくなかった。放っておけないの。あなたが、あまりにも危なっかしいから」
白金の翼が淡く光り、煤と血で汚れた俺の顔を照らした。
俺は観念して言った。
「……俺は斬った。お前が嫌うやり方で」
すぐに返ってきた声は、ためらいなく胸を打った。
「嫌いよ。でも、一人で逝くあなたはもっと嫌い」
その声は思いのほか強く響き、熱い雫がローブに落ちる音まで、この静寂の中では鮮明だった。
「“銀翼”の話をしてくれたじゃない。片翼同士が支え合って、はじめて飛べるって。わたしたちも同じなんだって。なのに、どうして信じてくれなかったの? どうして、わたしを頼ってくれなかったのよ……!」
視線を逸らし、低く告げる。
「……お前まで穢したくなかった。お前の手を、血で染めさせたくなかった」
「それは、わたし自身が決めることよ」
声が少し強くなる。
「勝手に優しさの顔をして……全部、あなた一人で抱えないで。重すぎる荷物なら、わたしにも持たせて」
眉をひそめ視線を伏せる俺に、彼女はさらに詰め寄った。
「じゃあ何のために生き残ったの? その覚悟で死んで、誰が報われるの? わたしは報われない。あなたがいない未来なんて、価値はない!」
「報いなんて、最初から望んでない。ただ……お前の笑う未来を守れれば、それで――」
「未来は、“ふたり”で守るの!」
その一言に、思わず目を見開いた。胸の奥で何かが揺れる。
「辛いことも悲しいことも、半分こにしたいの。だから、わたしにも背負わせて」
「お前が背負う必要はない」
「いい? 一人じゃツバサは折れる。あなたがいないと、わたしは飛べない!」
「俺はお前に守られる理由なんてないし、赦されるとも思っていない」
「バカっ!」
感情があふれ、彼女の声が殻の内側を満たす。
「赦しなんて要らない! あなたがどんな間違いを犯しても、どれほどの罪を背負っても、あなたの罪を量る天秤にわたしの罪も載せる。ふたりでなら半分になる」
「半分にすれば軽くなるものじゃない」
「じゃあ倍にして! あなたが苦しむなら、わたしも同じだけ苦しむ。あなたが罪を背負うなら、わたしも同じだけ背負う。ふたつでひとつ……それが、わたしたちでしょう!?」
胸の奥で何かが崩れた。表情が緩むのを、自分でも感じた。
「……強いな、お前は」
「弱いのよ。あなたを失うくらいなら、どんな罪だって背負う」
伸ばされた彼女の手が頬の血を拭う。冷えた指先を、俺はそのまま包み返した。もう迷いはなかった。
「……すまなかった」
それは謝罪であり、感謝であり、受け入れの意志だった。
「俺には赦される資格なんてないと思っていた。だが──お前の翼がそう言うなら……信じてみたい。お前と共に、背負うという道を」
「赦す、赦さないじゃない。一緒に背負うの。だって、わたしたちは……」
「ふたつで、一つの翼だ」
その言葉を重ねた瞬間、互いの手は強く握られた。
「……だからもう、ひとりで飛ばないで。いっしょに飛ぼうよ?」
俺は深く頷いた。もう迷いはなかった。俺の視界には、揺るぎない信頼と愛情を湛えた彼女だけが映っていた。この時、俺たちは互いの罪も未来も呑み込み、戦場の只中で――魂の婚約を交わしたのだと思う。
殻に赤いリングが走り、冷たい声が脳裏に割り込む――《残り八十六秒》。レシュトルだ。現実に引き戻される。ミツルは手短に状況を告げた。さっきの火柱は殻が“全て呑んだ”のだという。その溜め込んだ熱と衝撃を、無力化の方向へ放つ――殺さずに止める。制御は俺と“ガイザルグレイル”に任せたい、と。
「“夫婦めおと”の剣よ」と平然と言われて、場違いに耳朶が熱くなる。説明は後だ、と彼女は続けた。「前方二十。地上三。雪面を撫でる衝撃波に」――座標の指示は端的で、無駄がない。
ミツルが「場裏赤」を重ねる。俺の無銘の刃が、紅を纏って白熱化した。柄は冷たいまま――信じろ、ということだ。信じると決めたばかりだ。迷いは置く。
カウント。三、二、一、ゼロ。
同時に振り下ろす。白銀と紅蓮の円環が弾け、雪が蒸発し、地が浅く抉れる。熱そのものは殻で殺してある。衝撃は横へ掃き出した。影の手は吹き飛び、重装の列は盾ごと昏倒し、魔導兵装は根こそぎひっくり返った。遠くの豪奢な馬車が横腹を見せるのが、ちらりと映る。
レシュトルが告げる。《致死傷例ゼロ》。膝が抜けそうになるのを、頭に置かれた大きな手で持ちこたえる。俺の手だ。無意識に撫でていたらしい。彼女は笑って言った。
「あなたが隣にいてくれたからだよ」
《残り五十三秒》。まだ殻は保つ。ミツルが「行こう」と言う。俺は「宰相にお目通り」と返す。迷いはない。さっきまで“終いにする”ためだけに握っていた剣は、今は“終わらせない”ために在る。
ここに記す。
俺は赦されたいわけじゃない。赦せとも言わない。だが――共に背負うと彼女が言うなら、その手を離さない。ふたつでひとつの翼は、もう片方が折れたら飛べないのだと。なのに俺は、俺の片翼を勝手に畳むところだった。
その時、俺は誓った。赦さずとも、共に。それでいい。いや、それがいい。これからは、そう飛ぶ。
本パートは、構造的には「死の覚悟 → 救済の介入 → 誓約の更新」という三幕構成がきれいに成立しています。そしてその第三幕で交わされる言葉と仕草は、戦場という極限環境での魂の婚約シーンと呼べる濃度を持っています。
戦場の文脈での「誓約」
冒頭(その七十八〜八十一)で、ヴィルは完全に「鬼になる」覚悟を固めており、
ミツルを置いて自分が死ぬことを前提に全行動を組み立てています。この時点で彼の中には、「赦されることはない」「笑顔を二度と見られなくても構わない」という断絶の覚悟が確定しています。
ここで本来の二人の「ふたつでひとつの翼」構造は崩壊寸前です。彼が片翼を自ら畳み、単独飛行で終わらせるつもりだった。
ミツルの介入の性質
彼女は「救出」ではなく、「共同戦線への強制復帰」です。
「未来はふたりで守るの!」
「あなたが苦しむなら、わたしも同じだけ苦しむ」
「赦しなんて要らない」
これらは慰めや説得ではなく、条件付きの存在宣言=「あなたが私の隣に立ち続ける限り、私も立ち続ける」という契約。恋愛語彙を一切使わずに、「あなたじゃなきゃ生きられない」まで踏み込んでいるため、論理的にも情感的にも逃げ場がない。
ヴィルの転換点
彼の「俺はお前に守られる理由なんてないし、赦されるとも思っていない」に対して、ミツルは「じゃあ倍にして!」と即座に返す。この瞬間、彼の「罪悪感による拒絶」は成立しなくなります。罪を盾にした自己犠牲が、彼女の側からは「共犯関係への誘い」として塗り替えられたからです。
「……強いな、お前は」という台詞は、降伏宣言に等しい。
婚約的な成立
ヴィルの「ふたつで、一つの翼だ」という応答は、ミツルの想いをそのまま自分の言葉として再契約する行為。互いに「片翼では飛べない」ことを確認し、その場で「共に飛ぶ」と合意。戦場という命懸けの場所で、互いの罪も未来も包括して交わされたこの合意は、形式上の婚約以上に強固な魂レベルの契約と言えます。
戦術的共闘への即時移行
誓約の直後、二人は即座に「夫婦剣」として連携攻撃に移行します。感情のやりとりが戦術機能の同期に直結しており。 「共に飛ぶ」誓いはそのまま「共に戦う」形で証明される。
本質的テーマ
この手記群が描いているのは――
罪の共有と未来の共同保有
片翼飛行から双翼飛行への回復
赦しを求めない関係性(=赦さずとも共に)
つまり、愛情表現の言葉を使わずに、婚姻契約のような心理的拘束力を持った誓いが成立した場面です。
ミツルが表面的には「罪を半分こ」「一緒に背負う」という理屈を語っているようで、その実、感情の芯はほぼ「依存と執着を肯定した愛の直球告白」になっています。しかもそれを、恋愛語彙(好き・愛してる)を一切使わずにやってのけているから、ヴィルにとっては回避不能です。
ミツルの押しの構造
理屈を装った感情の直送
「未来はふたりで守るの!」
「ひとりじゃツバサは折れる」
これは冷静な議論のように見えて、「あなたじゃなきゃやだ」を論理に包んで叩き込んでいる。
罪も痛みも共有=逃げ道封鎖
「半分じゃ足りない、倍にしてでも支える」
「どんな罪でも背負う」
ヴィルの最大の逃げ口上=「俺は穢れてるからお前を巻き込みたくない」を完全否定。「あなたがどこへ落ちても一緒に落ちる」と言われたら、もう拒否不能。
存在の条件づけ
「あなたがいない未来なんて価値はない」
これは未来設計ごと彼に委ねている宣言で、「あなたがいなきゃ私の存在は成立しない」を意味する。言外に「だから私を捨てたらあなたの未来もない」と迫っている。
決定打の「夫婦」ワード
関係性を役職や運命ではなく、完全な人対人のパートナーとして固定。
ここまでで逃げ道も口実も全部潰され、残る答えは「……ああ」しかない。
ヴィルが逆らえない理由
ミツルの主張は論破ではなく包囲。彼の罪悪感も自己犠牲癖も、「それ込みで欲しい」と受け入れられたら、もう突っぱねる理由がない。「守られる立場」に戻すつもりが、いつの間にか「守らせろ」と迫られている。しかも情熱は言葉以上に物理(距離・接触・目線)で押してくるので、理性より先に心臓が折れる。
これ、ヴィル視点で言えば、「全方位から『丸ごと欲しい』って包囲殲滅されて降伏」ですよね。しかも彼女は一切「好き」も「愛してる」も言っていないのに、意味としてはそれ以上に濃い。勝てません。




