最期のコンサート。
自宅での引退宣言をした次の日の日曜、事務所でも同じように引退宣言をしてやった。
事務所は阿鼻叫喚、大混乱の大騒ぎ。マネージャーからプロデューサー、偉い役人やら社長まで出てきた。
みんなやめないでとか、なんで?とかありきたりな台詞で説得してきたが、すべて蹴散らした。そんな薄っぺらい台詞で説得なんかされてたまるか。
私に気圧されてみんな渋々撤退していった。ま、母さんの説得に成功した私にかかればこんなもんよ。
結果、すぐに引退とはいかないが、記者会見やら引退コンサートやらなんやかんやあって2か月後くらいには引退ということで話がついた。
話がつき騒ぎが収まった事務所で一息つき、今日の仕事のことを考えているとマネージャーの里見さんが静かに確認してきた。
「ちゃんじゅり、ほんとに・・・やめちゃうの?」
その一言は絞り出したように掠れていた。いつも元気いっぱいな里見さんのこんな姿ははじめて見た。その姿に胸が締め付けられる。けど、もう決めたことなんだ。
「里見さん・・・本当にすみません。ただもう決めたんです。普通の女の子として生きるって。」
「そっか、そうだよね。残念だけどしょうがないよね。」
そういうと里見さんは溢れかけた涙を腕で拭いさった。
「でもさ、引退コンサートまでは仕事も無くなるわけじゃないよ!これからもっと忙しくなってくけど僕も全力でサポートするよ!普通の女の子になるまではもうちょっとかかるけどさ、最後までがんばろうよ!」
「そうですよね、サポートよろしくお願いします!一緒にがんばりましょう!」
言い終えた里見さんはいつもの感じに戻っていた。そしていつもより少しだけ頼もしく思えた。少しだけ。
「松井樹里が電撃引退!」
「人気絶頂のアイドルがなぜ!?記者会見で語った真相とは!」
そんなニュースがここ二ヶ月間、世間を駆け回った。おかげで今日までの二ヶ月、文字通り死ぬほど忙しかった。それでも普通の女の子になれると思ったら頑張れた。そんでもって今日で終わり。これから始まる引退コンサートで普通になれる。
今日で最後だと思うと少しだけ感慨深い気持ちになった。ここで全部出しきって悔いの残らないように、あとで後悔しないように、そう自分に言い聞かせた。
始めよう、最後の晴れ舞台を。
コンサートは大成功と言える結果になった。今まで見たことない観客の数、聞いたことのない歓声の大きさ、アイドルとして最高の舞台に立てた。
最後の曲は涙が溢れて止まらなくなって全然歌えなかったけど、それでも声援を送ってくれたファンには感謝しかない。
舞台を降りたあともしばらく泣いていた。その涙の理由が普通になれる喜びからか、達成感からか、ファンへの感謝からなのかは分からなかった。もしかしたらその全部かも知れない。でも理由が分かっても涙は止まらなかったのだろう。
涙も枯れ、いつまでもうだうだしてられないと帰り支度をしていると楽屋のドアがコンコンと鳴った。
「里見ですー、入っても大丈夫?」
問題ないと伝えると半泣きの里見さんが入ってきた。
「ちゃんじゅりぃ、最高に良かったよぉ!うぐっ、い、今までお疲れさま。ほんとに、ほんとにぃぃぃうわああああ。」
里見さんは喋ってる途中に涙腺が崩壊した。おかげで枯れたはずの涙がつられて湧いてきた。でも、また泣いたらずっと泣いてしまう気がしたから出来るだけ我慢することにした。
「里見さん、あ、あの今まで本当にありがとうございました!私、ほんとに、ほんとに感謝してて。ぐすっ」
「お礼を、ひっぐ、お礼を言うのは僕の方だよ!ありがとおおお!」
我慢できなかった。涙はぼろぼろと瞳から床へ落ち、幾つもの水玉を作った。
楽屋には私と里見さんの泣き声だけが響く。
ひとしきり泣き腫らしてお互いの顔を見た私たちは自然に笑いあった。ぐしゃぐしゃの酷い顔を見て。
「ちゃんじゅり、酷い顔してるね。ははは、アイドルのしていい顔じゃないよ」
「いいんですよ!もう普通の女の子ですから。あはははは」
「そーだね、ははは。改めて言うよ。本当にお疲れさま。今日で君のマネージャーは終わりだけどさ、これからは人生の先輩として友達としていつでも相談してくれたり、頼ってくれたりしてよ!これですっぱり関係が無くなるのもちょっと寂しいからさ。」
「はい、困ったことあったら頼ります!ありがとうございます!」
「恋の相談とか聞きたいなぁー、うんうん。」
里見さんは楽しそうにクネクネしながら言った。恋か、これからは恋も出来るんだ。いい人見つかればいいなぁ。今から胸が少し期待で膨らんだ。
「あ、そうだ。裏にタクシー呼んでるんだ。最後だし送っていこうか?」
「いや、今日は一人で帰ります。色々浸りたい気分なんで。」
「そっか、タクシーも気兼ねなく乗れるのもこれが最後だからね!ちゃんと味わっときなよー。これタク券ね。」
そう言うとポケットからタク券と可愛らしい袋を差し出した。
「里見さん、これは?」
「それはねぇ、引退祝いね!美味しいお菓子屋さんのクッキー、並んで買ったんだけど。そんなものしかあげられなくてごめんね。」
「いえいえいえいえ、嬉しいですよ!甘いもの大好きなんで!ありがとうございます!」
「そっか、よかったよ。それじゃあタクシー乗るとこまで見送るよ。」
裏口まで行く間、私と里見さんはあまり喋らなかった。でもそれでよかった。いつもは帰りに次の日の仕事の話ばっかりだったけど。
外は雨が降っていた。濡れないようにタクシーに乗り込む。
「それじゃ、樹里ちゃん。またね!」
「はい、また!」
里見さんの最後の言葉は意外と淡白なものだったが、またねという言葉が最後ではないということを教えてくれた。それが分かったから私もそれに応えた。友達ってこういう感じなのかな。
タクシーが動き出し、里見さんに手を振る。小さくなっていく里見さんは笑って手を振り返してくれた。涙はもう出なかった。
雨が窓ガラスに当たって流れ落ちる。雨は小さい頃から嫌いじゃなかった。むしろ好きだった。傘に当たる水の感触も、道路の水溜まりも、濡れていく靴も。全てが私の心を洗って綺麗にしてくれるから。
少しだけ歩いて帰ることにしよう。
私はタクシーの運転手に行き先を自宅の最寄り駅まで変えてくれということを伝えた。
すると承諾した運転手が続けて言う。
「お客さん、松井樹里ちゃんだよね?アイドルの。私すごいファンでしてね、ははは。」
「もうアイドルじゃないですよ。今日引退したので。」
「あ、そうだったね。仕事なかったらコンサート行きたかったんだけど。まぁ最後に本人とこうやってお話できるんだから仕事も悪くないね。」
「あの、今まで応援ありがとうございました。突然辞めるって言ってごめんなさい。
ファンの皆様には感謝してます。」
それから運転手は気を使ってか何も喋らなくなった。
静かな車内で里見さんから貰ったクッキーを取りだし、一つ食べてみた。
丁度いい甘さのそのクッキーは口の中ですぐに溶けた。美味しい。これは母さんにもあげなければ。
クッキーに舌鼓を打っているとタクシーが駅に着いた。
タクシーを降りるときに握手とサインを求められた。少し悩んでからそれに応えた。もうアイドルじゃないんでって言うこともできたけど最後だしいいかなと思った。これはしょうがない、うん。
タクシーを降り、お気に入りの赤い傘を指して歩き出す。自然と鼻唄が混じる。
やっぱり雨が好きだ。アイドルという肩書きが流れて落ちて、徐々に普通になっていく。
雨が地面に落ち、跳ねてバシャバシャと音を鳴らす。それが心地よい伴奏となって鼻唄はいつしか声に変わっていた。
誰も観客がいないこの場所。いや、観客は私ひとり。そして歌うのも私。
私が私のために歌うコンサート。母さんのためでも、ファンのためでも、誰のためでもない。私のためだ。
アイドルと、今までの自分と決別する別れの歌。
家まであと5分ほどのところで雨の伴奏が乱れた。私以外の足音がする。気のせいじゃない。
私は歌声を消し、鼻唄にした。私だけの歌を誰かに聞かれたくはない。
足音はどんどんと大きくなる。走って帰っているのだろう。さっさと追い抜いてほしい。
歩くペースを下げ、ゆっくりと歩く。
近づく不協和音、そのまま追い抜いて
ドスッ
はぁ?こいつ、ぶつかりやがった。ちゃんと前見て走れよ。ん、ちょっと待て、なんか背中が痛くなってきた。
痛い、痛いぞ。なんだこれめちゃくちゃ痛い。足に力が入んない。何が起こった。
私は痛みに耐え、ゆっくりと振り返る。そこにはレインコート姿のナイフを持った男がいた。
おい、まじかよ。私、刺されたのか。
すると男がじわじわと近づいてきた。
ドスッ
腹もか!痛ぇ、背中と腹て。ダブルパンチ。貫通するって。痛い痛い痛い痛い。
もう立ってられない。地面が近づく。頬に冷たい地面が当たる。流れる水が赤く紅く染まっていく。私の傘の色よりも深く。
「こ・・で、じゅりちゃ・・・ぼくだけの・・・」
こいつ、何をぶつぶつ言ってやがる。こっちは痛くて死にそうだってのに。死にそうってかマジで死ぬかも。
死にたくない、今日でやっと普通になれたのに。やっと。
ちくしょう、なんで。なんで今日なんだ。願わくば起きたら病院にいたい。
瞼が自動シャッター状態。目をもう開けてられない。
あぁ、死んだ父さんが手を振ってる。娘が死にそうなのに笑顔やめろや・・・。
くそくそくそくそちくしょうちくしょうちくしょう。
こんな道半ばで、死にたくない。
ちく・・・しょう。
「・・・ぉい、起きろ。」
誰かの声がする。聞いたことない声だ。
目を開けると私の目の前には黒スーツにグラサンをかけた二人の男がいた。




