第51話
蓮と颯、奏多、翠はスパ施設の中にあるプールを楽しんでいた。
彼らは昨日、A級ダンジョンの50階層から90階層までを踏破し、日付が変わってから寮に戻らずそのままこのスパに来た。それでも彼らに疲労の色は見られない。
今、彼らがやってきたのは施設内でも一番人気のウォータースライダー。このスライダーは人が滑るチューブから水面まで少し高さがあり、放り出された時の姿勢が悪いと──
「うぉぉぉぉぉぉっ!!」
絶叫と共に颯がチューブから飛び出してきた。
不安定な姿勢のまま着水したせいで、周囲の客が驚いて振り返るほど豪快な水しぶきが上がった。しかし水面に顔を出した颯は、子供のように目を輝かせている。
「これ、ダンジョンの落下トラップより怖ぇ!」
「着水下手すぎだろ、颯」
「水しぶき凄かったっす」
「次は私が行くね!」
続いて滑ってきた翠は「きゃー!」と黄色い声を上げながら、綺麗なフォームで着水した。水が滴る美少女の笑顔に、周囲の男性客たちが色めき立つ。平日の深夜ということもあり施設全体でみても客は多くなかったが、翠がいるこの付近だけは人口密度が少し高くなっていた。
「次は俺っす。蓮、ちょっと勝負しないっすか?」
「勝負?」
「さっきの颯とは逆で、どっちが水しぶきを少なく入水できるか勝負っす」
「いいよ、やろう。審判は翠、よろしく」
「任せて!」
まずは奏多のターン。
細身を活かし、つま先まで足をぴんと延ばした綺麗な入水。翠の時の水しぶきを8、颯のを30とすると、2くらいの水しぶきの少なさだった。
「ふふん。これは流石に負けないっす」
「まぁ見てろって」
続いて蓮のターン。
スライダーは通常、頭から滑ることは禁止されている。ただ滑っている途中で、《《ついうっかり》》身体の向きが変わってしまう事故も起こる。
蓮は頭側から、水泳の飛び込みを彷彿とさせる完璧な姿勢で入水した。
スライダーのチューブから流れ落ちる水で荒れる水面から少し離れた場所だったのだが、人が水に入ったと思えないほど水面の変化はなかった。
「ちょっ! 頭から行くのはズルいっす!!」
「頭からはダメって、レギュレーションで決めてない。それで、結果は?」
「蓮君の勝ち!」
「ぐぬぬ。も、もう一回やるっす!」
「沙霧君、今は止めとこ。俺ら監視員さんにめっちゃ見られてるから」
蓮が頭から入水したことで、彼らは要注意グループとみなされてしまった。
その後4人は流れるプールへ移動した。
貸し出し用の大きな浮き輪を使い、プールの流れに身を任せる。
「はぁぁ。これ気持ちいいっす」
「やっぱ水の中は落ち着くねぇ」
ぷかぷかと浮く奏多と翠。
そのふたりの浮き輪を引っ張っているのは、浮き輪を使わずに歩いている颯。誰かがこうして引っ張らないと、流れる速度が遅すぎて楽しくないのだ。
「なんで俺が動力源なんだよ」
「颯君が一番馬力ありそうだから?」
「頑張れっす」
「颯のおかげで快適なクルージングだ」
それぞれの浮き輪の紐を手で持って連結している。その最後尾にいる蓮は優雅に天井を眺めていた。
「…………とりゃ!」
颯が水面を叩き、蓮に水をかける。
「おっ。やりがったな?」
蓮が即座に応戦。水かけ合戦が勃発する。最初は蓮と颯の戦いだったが、すぐに翠と奏多も参戦し、4人で笑いながら水をかけ合う。
「あはは。これでも喰らえ!」
「翠、こっちだ」
「きゃあ!?」
「ちょ、顔は止めるっす!」
そこには攻略者としての殺伐とした空気も、S級だの忍びだのといったしがらみも存在しない。ただ楽しい時間を共有する、どこにでもいそうな仲の良い大学生グループの姿があった。
──***──
「……あっ。そっか、あいつらアレか」
一通りプールを満喫したあと、休憩エリアで座っていた蓮は何かを思い出した様子だった。そして少し悩む素振りを見せる。
「蓮、どした?」
「ちょっと思い出したことあって。悪い、30分くらい抜ける。その間、変な輩に翠が絡まれないよう見といて」
「なんか良く分からんけど任せろ」
颯の返事を聞くと、蓮は満足そうに更衣室の方へと向かって行った。
「あれ。蓮君は?」
飲み物を買いに行っていた翠と奏多が帰ってきた。
「ちょっと用事があるんだって。30分で帰ってくるってさ」
「うんこっすかね?」
「奏多、言い方。きたないよ」
「ごめんっす」
──***──
その30分後。
「ただいまー」
流れるプールにいた颯たちのところへ蓮が帰ってきた。
「蓮君、おかえり」
「ジャスト30分だ。すげぇ」
「なんか蓮、血の匂いがするっす」
「「えっ」」
「あれ、まだ匂う? ちゃんと流したつもりなんだけど」
「蓮君が怪我しちゃった、ってわけじゃないよね」
「うん。俺は大丈夫だよ」
その言葉を聞いた翠は安堵した表情を見せる。
「もしかして、さっきのナンパしてきた男たちを処しちゃったっすか? 翠に手を出そうとしただけで、そこまでしなくても……」
「あの人たち反社の末端でさ。風神会っていう、昔は風魔の里とも繋がりのあった暴力団の下部組織に所属してる人たちだった。それを思い出したから、ちょっとね」
ナメられたら終わり。
裏社会で生きる者たちの多くがそう考える。
そして先ほどのやり取りで、あの男たちに翠も仲間だと認識されてしまったことを蓮は危惧した。だから彼は、その危険な芽を摘みに行った。
「昔は仕事回してもらったりしてたみたいだけど、もう契約は切れてる。もちろん俺からは手を出してないよ。ちゃんと《《全部》》正当防衛です」
「全部って」
なんとなくヤバい雰囲気を感じ取った奏多は、それ以上聞くことを止めた。
「さ、もうちょっと遊ぼう」
「でも流石に疲れてきたかも」
「水に浸かるのって、けっこう体力使うからな」
「じゃあ岩盤浴エリアに行くっす。そっちは漫画も読めるっすよ」
「いいね。それじゃ移動しよう」
蓮たちはその後、仮眠をとりつつ夕方までスパを堪能した。
その日の昼ごろ、関東最大規模の暴力団であった風神会の本部、そして小さな支部が壊滅したとニュースで大々的に報じられたのだが、スパで漫画を読んでいた颯や翠がそれに気づくことはなかった。




