7. 森の小径を抜けて…
「本当に静かだわ……。時間も進んでいるのかわからないくらい」
ここには、自然の音以外の音がない。
スマホで音楽を聴くこともできるけれど、電池の問題もあるし、いつ壊れてしまうかもわからない大切なものを使うのは、少し不安だった。
転生する前はどう感じていたのだろうと記憶を辿るが、思い浮かぶのは、街や祭り、パーティで楽団が奏でる華やかな音ばかりだった。
動くかどうか心配だったソーラー充電器は、この世界でも問題なく使えた。
USBで充電できる小さな目覚まし時計を持ち歩きながら、おおよその時間を確認する。
正確かどうかはわからない。それでも、この世界もどうやら一日二十四時間で動いているらしいと見当がついた。
なぜだか家にある時計は全て止まっていたので、どこかでこちらの正式な時間を知らなければならないけれど…。
この世界には、魔石と呼ばれるエネルギーの塊がある。
それを利用した『魔石具』という道具も存在しているが、まだ高価で、一般家庭では薪を使った生活が主流だ。
森の家には、床下に熱を巡らせる仕組みがあり、一度温まると家全体がやわらかく暖かさを保つようになっている。
けれど私は、薪ストーブの火が好きだった。
揺れる炎を眺めながら過ごす時間が、どこか安心できるからだ。
2階のウォークインクローゼットの奥にある鍵付きの収納に、持ち込んだ荷物をしまい込む。
服、バックパック、キャリーケース。
調味料などの食材も、キッチン横の棚へ。
「これで、いつ誰が来ても普通の家よね」
小さく呟いて、少しだけ安心した。
これから街はずれの家へ向かう予定なので、念のため、異質なものはすべて隠しておく。
そのあとで、ふと思いついた。
この家に、名前をつけよう。
「……スコーグル」
小さく声に出す。
アイスランドの言葉で、「森」という意味。
「あなたの名前は、スコーグルの家よ」
そう告げた瞬間、ほんのわずかに――家が応えたような気がした。
気のせいかもしれない。
それでも、少しだけ嬉しかった。
「じゃあ、行ってくるね」
誰にともなく声をかけて、私はスコーグルの家を後にした。
夕闇が迫り、街がざわめき始める時間。
この時間帯なら、見慣れない娘が歩いていても、さほど気にされないだろう。
両親の家へ向かうなら裏庭から行くが、今日は違う。
荷物の確認と買い物が目的だ。
私はもう一つの小径へと足を向けた。
この小径にも魔法がかかっている。
私以外の人間が通れば、スコーグルの家から離れた場所、または、庭の反対側へと導かれる。
いくつもの逃げ道。
それが、この家には用意されている。
どうしてこんな仕掛けがあるのか――
以前の私は、疑問に思ったこともなかった。
実家が、まるで忍者屋敷のような造りだったからだ。
父はよく言っていた。
「一つの部屋には、必ず出口をふたつ作るように」
その言葉の意味を、深く考えたことはなかったけれど。
今なら少しだけ、わかる気がする。
森の小径を抜けて、十分ほど。
視界が開け、私は街はずれの家の裏庭に立っていた。
白い壁に、緑の屋根。
街並みに自然に溶け込む外観。
けれど中の間取りは、スコーグルの家とほとんど同じだ。
買い物などで違和感が出ないように、細かく調整されている。
2階の位置や天井の高さは違うけれど、それもまた、この家なりの居心地の良さを作っていた。
幼いころ、花まつりの時期になると、この家で過ごすのが楽しみだった。
大きな窓から街の賑わいを眺めたり、バルコニーでお菓子や料理を囲んだり。
あの時間が、とても好きだった。
私は二階へ上がり、窓を大きく開けた。
薄闇の中、街灯がひとつ、またひとつと灯っていく。
その光景を見ていると、胸がいっぱいになる。
懐かしさと、少しの寂しさ。
そして――
ここに戻ってきたのだという実感。
今夜はここに泊まろう。
そう思い立ち、私は階下へ降りる。
夕食のために、外へ出た。
勝手知ったる街並みを歩く。
人々のざわめきの中に、言葉の断片が混ざる。
「聖女が……」
「……家の次女が……」
どうやら、聖女は決まったらしい。
「認定の儀式で、聖水をひっくり返したらしいぞ」
少しだけ、気になった。
――大丈夫だったのかしら。
そう思ったけれど。
ふわりと漂う、焼きたてのパンの香り。
香ばしい匂いに、意識が引き寄せられる。
レミネス王都の夜は早い。
私は思わず、小走りになった。




