9.はやぶさ兵団
「何を仰せです、姫様」
部屋に呼ばれたファーコン将軍は大声を上げた。
「この期に及んで反撃とは。お気は確かなのですか」
「そう大きな声をだすな将軍」
再び鎧を身に付け、落ち着きと威厳とを取り戻したエルは、地下の『部屋』で書き写した手書きの地図を前に説明した。
狭い部屋には将軍と数名の士官が入り、皆立ったままでの軍議となっていた。アイはエルの半歩後ろに立ち、じっと黙って成り行きを見守っていた。
「帝国軍はこの谷を進軍している。側面を奇襲攻撃すれば撃破は可能だ」
「それが本当なら、ですが」
将軍は疑わしそうに、
「出所も不確かな話では」
「確かな話だ。仔細あって訳は言えぬ。この件に関してはわたしを信じろとしか言えぬ。逆に」
エルは将軍と、配下の者たちの顔を見た。
「わたしを信じられぬならそこまでだ。わたしの首を手土産に裏切るもよし、見捨てるもよし。好きにするがいい」
部屋の張り詰めた空気に、アイは緊張して軍議の行方を見守っていた。
ややして歳若い士官が口を開いた。
「われらはこれまで姫様を信じて戦ってきた。今ここで戦いをやめるのは、これまでの自分自身を裏切ることになる」
つづいて中堅の士官が、
「帝国は降伏を受け入れると言っていたが、それも怪しいものだ。自らの命を他のものに委ねるのは潔い武人とは言えぬ」
次々に上がる賛同の声にファーコン将軍は決断した。
「皆の気持ちはあいわかった。ならばこのファーコン、はやぶさ兵団の団長としての職責を全うしようぞ」
「ありがとう。諸子の忠誠、このミューゼス、しかと受け取った」
エルは部下たちに軽く頭を下げた。そして口調を改め、
「達する。出陣は明日の夜明け前。進路は東。渓谷にて進軍する敵部隊の側面を奇襲する。行動は秘密裏に行う。紅砂城のものに気付かれるな」
「はっ」
「ここで敵に一撃を与えられれば、いくばくかの猶予が生まれよう。祖国奪還への算段もつく。心せよ。それでは解散する。かかれ」
「はっ」
足音を響かせて男たちが出て行くと、エルはふうっと息をついた。そしてアイに向かい、
「おぬしには世話になったなアイ」
アイは首を振って、
「いいえ。あなたさまはわたしを妹と呼んでくださいました。妹として姉を助けるは当然のこと。お礼など」
エルは無言でアイを抱きしめた。そして、
「いくさ場におぬしを連れてゆく訳にはいかぬ。また今後の長征は過酷なものとなろう。そのような道行におぬしを同道するは我が本意ではない。わたしには、もうおぬしにしてやれることは何もない。ふがいない姉を許してくれるか」
「もったいないお言葉です」
頬と頬とをあわせる。互いのぬくもりを忘れぬようにするかのように。
「アイよ。以前約束したことがあったな」
「はい。大願成就の暁にはわたしを国に呼んでくれると」
「いまひとつ約束をしよう。仮にわたしが敗北し、全てを失い、しかしまだ命があった時のことだ」
「エルさま・・・」
「その時は必ずここへ、アイの待つ紅砂城に戻って来よう」
「約束・・・」
「約束だ」
そして二人はいっそう強くお互いを抱きあった。
その夜。はやぶさ兵団の男たちは前日と同じように夕食を取った。何一つ変わったことなどないかのように振舞っていたが、今日までに納入された物資の確認は念入りに行っていた。
ラミュー館主は再び酒宴の席を設けたが、エルもファーコンも食が進まず、早々に切り上げて自室にこもってしまった。
そして、アイとエルは前夜と同じように一つの寝台で抱き合って寝た。
「わたしの故郷には」
エルは幼い頃の思い出を話して聞かせた。
「季節ごとに違う花が咲くのだ。そして花にゆかりの祭りも多い。咲き乱れる花の下で、人々は踊り、酒を飲み、そして歌うのだ」
「見てみたいです」
アイはそうつぶやいた。
「見られるとも。必ずな。それとも今宵の夢の中ででも」
エルの豊かな胸に抱かれてアイはいつしかとろとろとまどろみ、眠りに落ちていった。
そして。
夜が明け、アイが目を覚ますと寝台には彼女一人しかいなかった。急いで起き上がり窓から外を見る。
はるか東の砂漠に微かにもやがかかっているように見えた。きっとあれがはやぶさ兵団が駆け抜けた後の砂塵なのだ。そう思い、アイは少し泣いた。
そしてその数刻後、食事を運んでいった下働きの少年たちは倉庫に誰もいないことを知って腰をぬかした。こうして紅砂城の人々は、はやぶさ兵団の消滅を知ったのだった。
10.に続く