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10.アイとサーラム


 その日の昼過ぎ、商館を訪れたサーラムが高楼の伽の間に案内されると、そこにはアイ一人だけが待っていた。


 アイがラミュー館主に頼んで、エルからサーラムへの伝言を言付かっているから、と面会の場を設けたのだった。


 サーラムはすでにはやぶさ兵団の失踪について聞かされていた。


「やられましたよ」


 アイの顔を見るなりサーラムは嘆息した。


「まさかここで逃げられるとはね。おかげでわたしの目論見は水の泡です」

「目論見ですか」

「ええそうです」


 やけになって愚痴をこぼす。どうせこんなことを言っても小娘にはわかるまい、とばかりに言い募った。


「先のいくさで補給部隊を失ったのは分かっていたんです。だから補給のためにどこかの中立都市へ行くだろうと踏んでいました。

 さまざま考え合わせて、この紅砂城に来ることは予想できました。だからひと月も前から罠を張っていたのに。ついでに紅砂城(ここ)を占領して、帝国直轄の砂漠の中継拠点にする腹積もりでしたのに」

「はかりごとは失敗ですね」


 アイのさげすむような言葉。けれどサーラムは意に介さず、おどけた様子で尋ねた。


「で、なんですエル様からのご伝言とは」

「そんなものはありません」


 アイはことさらそっけなく答えた。


「ただあなたに恨み言の一つも言わないと気が済まないと思ったのです。あなたにしてもそうでしょう?」

「いい根性をしていますな。見かけによらず意地が悪い」

「小娘を騙していいように利用する帝国の犬に言われたくはないわ。でもいいわ、許してあげる。今頃は姫様の反撃で帝国軍が痛い目を見ているでしょうから」

「反撃ですって。討伐軍に? なんてことを。それではあの人を救う最後の手立てが台無しになってしまう」


 サーラムは、全身から力が抜けたようになって床に座り込んだ。


 アイは冷たい視線をかつての想い人に向けた。


「よく言うわ、救うだなんて。捕らえようとしたくせに」

「勘違いしないでほしいですな、お嬢さん」


 サーラムは胡坐をかいた上に頬杖をついて憮然として言った。


「まず間違いなくあの人は殺されてしまう。帝国軍はそりゃあ強いんですから。だからわたしが捕らえて、救って差し上げるつもりだったのに」


 そしてアイを皮肉な目で見つめて、


「協力したのはアイさんですね。ばかなことをしましたね。エル様が死んだらあなたのせいですよ」

「そうはならないと思うわ」

「ほう? 自信がおありのようだ。なぜです」

「はやぶさ兵団が勝つと思うから」


 そして、帝国の討伐部隊の装備と進路について知っていることを話した。


 サーラムは顔色を変えた。しかし驚いたのは最初だけだった。


「なるほど、あの谷で側面攻撃を受ければ確かに帝国軍とて無事では済みますまい。わが軍の動きをどうやって知ったのです? 砂漠の民の情報網ですか?」

「そんなところです」

「ふむ。これまでも紅砂城に出し抜かれたことは何度もありましたが。やはりあなたたちは油断がならない」

「そうでしょうとも」


 得意げなアイに、しかしサーラムはこう応えた。


「今回勝っても意味はありませんよ。一度くらいの戦術的勝利が何になります。確かにはやぶさ兵団への追撃の手は一時的には緩むでしょう。

 けれど、帝国の世界戦略の前には瑣事にすぎません。いずれ追っ手はかかります。次の戦いか、その次の次の戦いで間違いなく彼女たちは敗れます。歴史の必然と言ってもいい。世界帝国への流れは変わらないのです」


 アイはしばらく沈黙したあと、不意に違う話題を口にした。


「サーラムさん。サーラムさんは知っていますか。この(くれない)砂漠の名の由来を」

「赤い砂の砂漠だからでしょう」


 さも当たり前のように答える。アイは静かに説明した。


「ここいら一帯には、むかし巨大な都市があったのだと言われています。その都市は鉄と石とで出来ていて、天に届くような塔がいくつも建ち並び、地平線さえ見えなかったといいます。

 道には人が乗った鉄の車が走り回り、空にも人を乗せた鉄の鳥が舞っていたと。その頃は今よりも技術がうんと進んでいたのだそうです。

 今の文明は、その頃の文物を再利用しているだけで、本当の文明とは言えない、というものもいます。

 ほら、どこの軍隊でも使われているケブラー繊維の布鎧もそうです。あれなど元々はもっと強力で、小さな武器から発射される弾丸から身を守るためのものだったそうです。セラミックの兜も、そのころの軍隊では当たり前に使われていたのだとか」

「御伽話ですね」


 サーラムは面白くなさそうにつぶやいた。アイは、


「いつか海の話をしてくださいましたね。このあたりもむかしは海があったのだそうです。

 地軸がねじ曲がり、ここが赤道直下となるずっと前のことです。大きな港があって、巨大な鉄の船が行き来して、遠い異国と物品のやり取りをしていたとか」

「ほう。ではそのころから紅砂城はあったということですかね。さぞや貿易で潤ったことでしょう!」

「そうかもしれません。もっともこうした姿かたちではなかったはずですけど」


 サーラムは苛立たしげに、


「それがなんだというのです。時代とともに街も人も姿を変える。そんなことは当たり前のこと」

「この赤い砂は」


 アイは構わず続けた。


「その石と鉄の街の成れの果てだといわれています。朽ちた赤錆の混じった赤い砂は、かつて東の都と呼ばれていた巨大都市の残滓なのだと」


 そしてアイはまっすぐにサーラムの目を見つめて言った。


「あなたのいう帝国の世界戦略とやらもこの砂と同じなのではありませんか」

「なんですって」

「どんな人の営みも、栄耀栄華を誇った大帝国も、最後はむなしい砂に還ってしまう」

「バカな」


 サーラムはむきになって反論した。


「それではアイさんは偉大なユーリ皇帝陛下の世界帝国も、エル様の戦いもむなしいものだというつもりですか。あなたの愛するあの方の必死の戦いすらも」

「すべては砂に還る。ええそうです。どんな望みも、愛も、人の一生も、国の行く末も、最後は一握の砂に還る。

 われら砂漠の民はそれをよく知っています。だからこそ、砂に還るまでの間、人は懸命に生きる。大事なのは今をどう生きるかなのだ、と言われています」

「砂漠の民の死生観ですか。とうてい首肯できませんな」


 だがサーラムはこの問答に興味を惹かれていた。


 目の前の少女がけっして無知蒙昧な小娘ではないのだということに気づいたのだ。なにか自分とは異なる知識と精神世界とを持った知性ある人間なのだということに。むろん、それが『部屋(ルーム)』の古代機械とその歴史に由来していることだとは知る由もない。


「わたしは少し前まで、この紅砂城を出ることばかり考えていました。でも、エル様に出会って少し考えが変わりました。

 祖国を失ったあの方にはもう帰るところがありません。だからわたしはあの方の帰る場所になろうと思うのです。どこにも行かず、この場所であの方を待とうと」


 サーラムはじっとアイの顔を見た。


 アイは静かに語り続けた。


「あの方が敗れ、そして全てを失ったら。きっとあの方はわたしの元へ帰ってくる。あの方にはもはや帰るべき祖国も、家族もない。だからあの方が帰ってくるのはわたしのところしかないのです」

「命があれば、の話でしょう」


 意地の悪いサーラムの言葉に、アイは笑みを返した。


「そうですね。でもわたしは待ちます。待ち続けます。わたしが砂に還るその日まで」


 サーラムはそんなアイを見て頭を振った。


「愚かなことを」


 アイはもはやサーラムを見ていなかった。ただ窓の外の赤い砂の砂漠をじっと見つめていた。いつまでも。


11.に続く

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