第十章 悲しき真相
第十章 悲 し き 真 相
1
撮影が行われている第六ステージ。巨大なドーム型のスタジオには、いくつものセットが作られ、床を伝うケーブルに足を取られないように気を付けなければならなかった。
何しろ、これまで閑散としていたスタジオに、一挙に関係者が集まったのだから。
直に映画に関わる人間ばかりではない。アーサーも、この場に呼ばれていた。アーサーが落ち着かなげに、何度も新しい煙草を口に咥える。
「随分と大袈裟だな。これで今日、本当に、犯人がわかるのか?」
スタッフたちの出席は、タイムカードで確認されていた。万が一、逃げ出す人間がいても困る。その点は、警察の警備は万全だった。全員の出席を確認して、誰も出て行かないよう、扉の前に制服警官が立った。
まるで自分が容疑者扱いされている点が、イヴの不満だった。
「二時にアリバイがあっては、何故、駄目なんだ! あの時は、あれで確かに、よかったんだろう?」
アーサーが白けた声で、イヴに応じた。
「この事件、二時にアリバイがあった人間のほうが、怪しいらしいですからね。こちらはそもそもアリバイなど一切なく、気楽なものです」
アリバイがない理由で、容疑の外に置かれるわけがないだろうに。
アーサーを見て、自分も煙草を喫いたくなったらしく、衣服にあるポケットあちこちに手をやった。ズボンの後ろポケットから煙草を出すと、火を点け、気持ちよさげに紫煙を吐いた。
「全く、妙な事件だ。そもそもハリウッド同行に、エリックを選んだ点が間違いだったんだ。付き人は、主君一人と会話していればいい。下手に英語ができたばかりに、マリリンと仲良くなったりしたんだものな」
キューカーは憤慨の一歩手前だった。大事な撮影の時間を、ロス市警に拘束されなければならないのだから。
今日は、問題児のマリリンも来ている。マリリンがスタジオにいる間に、撮れるだけのシーンは撮っておきたい真意がある。
アンもクレイグも、やることが全然ないので、先ほどから隅のベンチに座り、小さな声で雑談していた。
マリリンといえば、ずっとエヴェリンの横に、ぴったりとくっついていた。もう、アーサーに近づく真似もしない。
――きっと、いざとなったら、互いに罪を擦り付け、犯人だと主張しかねないしね。
アリが、マリリンにソファを示した。
「ここに座っていろよ。例の刑事は、いつ来るやら、わかったもんじゃないぜ」
エヴェリンは、「あらあら、信用ないのね」と眉尻を下げた。
「君たちは、あの刑事たちと随分と仲良しな様子だったけどさ、全く容疑が掛かっていないのかい?」
エヴェリンは白けた思いで、掌を上にした。
「知るものですか。いいじゃないですか。今更、じたばたしないで、ハロルドたちの説明を待ちましょう」
タイミングよく、ハロルドがスタジオに入ってきた。後ろからアダムが続く。
いったいどんな展開が待っているのか? エヴェリンは息を呑み、ハロルドの様子を見ていた。
2
ハロルドは前に出て、ぱんぱんと手を叩き、スタジオ内の注意を引いた。まるで、名探偵にでもなった気分だった。スタジオにいる全員の目が、ハロルドに注がれている。
別にハロルドが、エルキュール・ポワロに成り代わったわけではない。急に特別、頭が良くなったわけでも。
ハロルドを強気にさせている理由は、唯一点、証拠をしっかり握っていることだった。地道な捜査に、探偵小説のような華やかさはない。どんな工程を辿ったかは、関係ない。犯人さえ、きちんと検挙できるなら。
ハロルドは、ちらりと、体を寄せ合って座っているマリリンとエヴェリンを見た。不安そうな眼差し。この二人に、心底から笑顔になってもらいたいとの一念で、頑張って来たと言っても、過言ではない。
こんなにも関係者に肩入れした事件もない。これが、ハリウッドの持つ魔力なのかもしれない。
最近の映画は、現代ものが多く、危機に陥った女性を助ける活劇王が、いなくなった。ハリウッド草創期の俳優でいうなら、ダグラス・フェアバンクスあたりが、今のハロルドの立場にぴったりだろう。
――容貌は、ヒーローとは程遠いがな……。
頭の中に浮かんだ余計な思いに、無意識に頭を掻いた。腰痛持ちのヒーローなんて、どこにもいるわけがない。フェアバンクスにあやかって、今度は髭でも伸ばしてみるか。
「皆さん、お揃いですね。これまでお互いに疑心暗鬼でいたことでしょう。これから、全ての真相をお話したいと思います」
キューカーがハロルドを不躾に指さし、唾を飛ばした。
「真相って、イヴの付き人エリック・ドノバンを殺した犯人がわかったという意味か!」
ハロルドは余裕の顔を意識して、首を縦に振った。
「そうです」
「だったら、とっとと、そいつをしょっ引いて、我々を解放してくれ! マリリンがスタジオにいる、貴重な機会なんだ。あんたの話が終わったら、すぐに撮影に入るからな!」
映画の撮影は、監督一人ではできない。共同作業だ。スタッフ、キャストのうち、一人が欠けても成立しない。これから、確実に撮影クルーのワン・ピースが欠ける。
ハロルドはキューカーの言葉を無視して、続けた。
「殺されたエリック・ドノバンは、そもそも、フランスのスター、イヴ・モンタンの付き人として、ハリウッドにやって来ました。このハリウッドでは、異邦人と言ってもいい。なのに、何故、フランスではなく、ここで殺されたのか? 彼がハリウッドにやって来る付き人に選ばれなければ、死なずに済みました。犯人は、ハリウッドの人間だからです」
イヴが陽気に手を叩いた。
「やはり、そうか! ということは、僕は一抜けでいいのかな?」
席を立とうとしたところを、ハロルドが制する。
「もうしばらく、お待ちを。貴方に全くの罪がなかったといえば、それは違います。事件には関係ないかもしれないが、外国の地で、付き人の首を切った。エリックは、さぞ不安な思いになったでしょう。貴方がた大スターは、時に、他人の運命を翻弄する真似ができる。できることなら、一般人より思慮深く活動して欲しいものです」
イヴが、ふんと鼻を鳴らした。この男に何を言っても、釈迦に説法な現実はわかっている。それでも、何も言わずにはおられなかった。
アーサーが、控えめに手を上げた。
「ここにいる人間の全てが、午前二時のアリバイが崩れた点を知っているわけではない。刑事さんから説明してやってくれないかな? もっとも僕は、全くアリバイがないから、関係ないがね」
皆の視線が、アーサーからハロルドに移動する。アダムが横で、肘でハロルドを小突いた。
「マリリンたちとばかり、仲良くしているからですよ」
「うるさい!」
小声で叱咤し、ぐるりと周りを見渡す。コホンと咳払いし、口を開く。
「そもそも、死亡推定時刻は様々な原因によって、大きく左右されます。当初の死亡推定時刻は午後十一時から午前三時の間でした。そこに大きく影響した現象があります。複数の人間が、午前二時に何かが落下する衝撃音を聞いている。エリックは路上に駐められたキャディラックのボンネットの上に、墜落死していた。従って、午前二時に自分の部屋から墜落死した、と当初は判断されました」
アンが、大きな声で、ハロルドに疑問をぶつける。
「エリックの部屋は、完全なる密室だったんでしょ? バルコニーに続くガラス戸も施錠され、部屋のドアも鍵が掛かっていた」
「その通りです。でも、密室の謎は、解けました。ミス・エヴェリン・モーティアルトの勇気ある行動のおかげです」
ハロルドは、精一杯の男前な笑顔を意識し、エヴェリンを見た。エヴェリンが何を感じたのかは、わからない。ただ、小さく頷いてくれた。
「犯人は、点検技師の振りをして、部屋の上にある点検口から、出入りできました。作業用のつなぎを着て、梯子を立てかけ、エリックの部屋の点検口に入りました。細い梯子なら、中に仕舞う真似も容易だったでしょう。そうして、ミス・モンローたちがエリックの部屋に来るまで、息を顰めていた。ノックの音がしたところで、テープレコーダーに録音したエリックの声を、ミス・モンローたちに聞かせました。それで、エリックは部屋にいるものと誤解された。実は、その時にはエリックは、エセックスハウスの遠くにいたんです」
アンが再び、問い掛ける。
「遠くって、どういう意味? まだ殺されてはいなかったんでしょう?」
「はい、殺されてはいません。でも、自由は奪われていた。エリックは犯人の手によって、別の場所に監禁されていたんです」
スタジオ内が騒然とした。それはそうだろう、初めて告白する情報だ。
「監禁って、いったいどこに?」
「何で、そんな面倒な真似をしたんだ?」
「とっとと殺してしまえば済む話だったのではない?」
ハロルドは両手を上げ、ざわめく人々を制した。
「まあ、慌てずに。順番に説明します」
一呼吸を思わせぶりに置いて、話を続ける。
「犯人がすぐにエリックを殺さなかった理由は、自分のアリバイが欲しかった。もう一つの理由は、一階下のミス・モンローの部屋から落ちたと誤解させるためです。エリックの部屋が密室で、ミス・モンローの部屋の鍵が開いていたとなれば、被害者はどこから落ちたとなるか? 実際、長いこと、馘首を言い渡された失意のエリックが、ミス・モンローの部屋から飛び降りた――という推理が有力でした。ミス・モンローの心痛は、いかばかりだったか。お察しします」
ハロルドはここで、マリリンに向けて、頭を下げた。マリリンが、「いいの、いいのよ」と呟きながら、ハンカチを目頭に当てた。
「先にも申し上げた通り、午後七時半の時点で、エリックの身は、犯人の手中にあった。だから、その後に行われた、奇妙なかくれんぼも、可能だったわけです。犯人はエリックが身に着けていたカフスボタンやネックレス等を奪い取り、当時、宿泊していたフランス人団体客の一人、マダム・フランソワーズ・ランバール・カーターの孫のエリックに、手渡した」
「エリック? エリックがもう一人いたの?」
「そうです。三歳のフランス人のエリックに、犯人は「マリリンと遊んでおいで」とフランス語で告げて、カフスボタンその他を手渡したのです。マダム・カーターは、マリリンが大人のエリックとではなく、孫とかくれんぼをして、遊んでいてくれたと勘違いしたのです」
アーサーが静かに、口を開いた。
「つまり、犯人はフランス語が堪能な男である、と」
「その通り。ここで初めて、犯人は目撃をされたのです」
3
マリリンは、思わず立ち上がった。スタジオ内も、一斉にざわつき始めた。
「じゃあ、決まりじゃないか」
「犯人の特徴は?」
ハロルドが片手を上げ、口々に声を上げる者たちを制した。
「マダム・カーターの証言では、黒い髪で、イギリスの雰囲気を感じさせる男だったそうです」
「その特徴は、そのままエリックの風貌に重なるわね」
「子供を遊びに誘ったのは、エリックだったんじゃないのか?」
ハロルドがもう一度、咳払いした。
「でも、鬘を被っていたかもしれない。それに、ミス・モンローたちの車からガソリンが抜かれていた事実を考えると、スタジオ内に協力者がいた可能性もある。当初は、単独犯とは言い切れませんでした」
アーサーがムッとした顔でハロルドに質問をぶつけた。
「で、結局、どっちだったのかね? 単独犯か? 複数犯か?」
「単独犯です。犯人は、たった一人で、複雑なトリックを仕掛けたのです」
ここで、ハロルドが視線を、ある方向に持っていった。
「そうですよね? クレイグ・モス!」
クレイグが、呆然とした顔で、立ち上がった。
「あんた、何を証拠に、そんな馬鹿な説を唱えるんだ?」
「貴方はフランス語が話せたでしょう?」
「学校で勉強した程度の、拙いものですよ。ここで言うなら、アーサーのほうがよっぽど流暢に喋るはずだ」
「拙いもので、いいんですよ。三歳児とちょこっと話すだけですからね。もっとも僕は、貴方のフランス語はなかなかのものだと想像していますがね」
マリリンは、じっとクレイグを凝視した。何故、気づかなかったのだろう? クレイグも、エリックと同様、青い瞳に黒い髪だった。
よく聞けば、ほんの僅かだが、イギリス訛りがある。マリリンは思わず、声を上げた。
「クレイグ、何で! 何で、そんな恐ろしい真似を!」
クレイグが、手を握り締め、よろよろと立ち上がった。
「僕ではない。僕は二時にアリバイがある。いったい何が理由で、二時のアリバイがアリバイでなくなったんだ?」
「貴方のトリックが解けたからです。貴方は午前二時が死亡推定時刻になるように、死体の体温を、大量の懐炉で温めた。おかげで、最初の推定時刻は実際の時刻と、三時間半もの誤差が出た。結果、午前二時半から六時になった新たな死亡推定時刻では、友達に電話を架けていたなんてアリバイは、通用しない」
そこで、またまた、スタジオ内がうるさくなった。
「二時半に死んだのなら、二時に聞いた落下音は、どう説明つくの?」
「落下して、三十分間、生きていたってこと?」
ハロルドが、「まあまあまあ」と両手を上げて、全員を制した。
「まず、二時の落下音ですが、これもクレイグによるトリックです。712号室のバルコニーから、簀巻きのカーペットを落下させたんです。その時間、正確には午前一時から三時の間、クリーニングをするリネン類を運び込むトラックがあった。クレイグはそのトラックが真下にある事実を、あらかじめ調べておいた。ホテルの汚れた洗濯物の中に、簀巻きのカーペットが荷台の中にあっても、大して気にならないはず」
エヴェリンが「確かにそうね」と呟いた。マリリンが思わず、ハロルドの先を話した。
「犯人は……その、クレイグだったとしら、だけど、あらかじめトラックが駐車する時間を調べ、その上で計画を練ったわけね」
「そういうことです」
するとアンが勝ち誇った声を上げた。
「それじゃあ、午前二時のアリバイは鉄壁だわ。その時間、クレイグにアリバイがあったら、そんな犯行、無理でしょうが」
「それが、そうでもないんです。密室の崩れた712号室に、〝時限爆弾〟が仕掛けられていたのです。カーペットは、ドライアイスの柱に支えられていた。実は、クレイグは宿泊客である身の上を隠して、厨房に皿洗いとして雇われていたんですよ」
「なんですって?」
「冷凍庫にあるドライアイスが大量になくなっていた事実もあります。ドライアイスが溶けて支柱がなくなり、カーペットが落下する。その間に、自分はアリバイを作っておけばいい。こういう絡繰です」
「じゃあ、エリック殺害は、二時以降?」
マリリンは不安な思いで、ハロルドに尋ねた。ハロルドはしっかりと頷いた。
「そうです。あとは、別の七階建ての建物から、エリックを突き落とし、落下死体とすればいいわけです。我々は、ハリウッドにある七階建ての建物を、虱潰しに当たりました。そこで、ウェスト・ハリウッドにある雑居ビルの七階の一室に、人間を一人、監禁していた形跡がある場所が見つかりました」
クレイグがヒステリックに笑い出した。
「何故、わざわざそんな遠くに監禁しなきゃならないのさ! 部屋を密室にだってできたんだ。ホテルの部屋に監禁していたって、同じだろうに!」
「全ては密室を完成させるためでした。鍵の掛かった窓から、エリックは落ち、死亡した。実は、落ちた場所は、ウェスト・ハリウッド」
アーサーが、ぽんと手を叩いた。
「そうか! 車のボンネットの上に落とした理由は、死体を運ぶ必要性からだったのか」
「懐炉を入れた寝袋に、死亡したエリックを入れて、移動する。午前三時、カーペットを荷物に加えたトラックが走り去るまで待ち、同じ場所に駐車する。ボンネットの上に、死体を寝かせ、さも上から落ちたかのように工作すれば、完成です」
皆、冷たい目でクレイグを見つめた。マリリンも、信じられない思いだった。仕事熱心で、真面目そうな男だ。この男を信頼していた人間は非常に多かっただろう。
クレイグが足を踏み鳴らした。苛々した声で叫ぶ。
「そんなこと、僕でなくても、できるだろう! 何故、僕がやったと言い張るんだ? 僕じゃない、他の誰かだ!」
ハロルドが、静かに告げる。
「あんたには、動機がある。エリック・ドノバンを殺す、動機がね」
「な、なんだと!」
「ここに、証人をお呼びしている。あんたとエリックに大きな確執があったと、証言してくれるだろう」
ハロルドがクレイグを睨むと、視線をドアに移した。アダムが駆け足でドアの外に出て、一人の老婦人を連れてきた。
エリックと同じ、青い瞳……。マリリンは、紹介される前から、この婦人が何者か、わかった。震える声で、呟いた。
「エリックの、お母さまですね?」
夫人が目を伏せ、少しだけ口の端を上げる。
「エル・ドノバンと申します。エリックの実の母であり、ここにいるクレイグの、義理の母になります」
4
ハロルドが、エルに質問を始めた。
「つまり、エリックとクレイグは、血の繋がった兄弟だったのですね?」
「はい。クレイグが六歳の時に、夫と結婚しました。翌年、私たち夫婦の間にエリックが
生まれ、四人で生活を始めました。決して依怙贔屓をするまいと決めて、二人を育てたの
ですが、クレイグの心は捻くれていくばかりでした」
「貴女に、なつかなかった?」
「反抗してばかりで。今も、母として認めてもらっていません」
「となると、貴女の血を引くエリックと、クレイグは仲が悪かったですか?」
エルが何度も首を縦に振った。苦しそうに、声を絞り出す。
「クレイグは、エリックを憎んでいました。私の目の届かないところで、陰湿な虐めをしていたようです。そのせいか、エリックは家を出る機会を窺う息子になりまして、十六歳を超えた頃から、家に戻らなくなりました」
なるほど。マリリンは、エリックが感じた苦しみの一部すらも理解していないかもしれない。けれど、イギリス人に生まれながら、本場のシャンソン歌手を目指す変わり種な人生は、幼少期の経験に基づいたものかもしれない。
マリリンは目を閉じ、エリックを思った。
――貴方の苦しみに寄り添い、生きていきたかった。
マリリンとエリックの恋は、始まったばかりだった。長い時間を掛け、喜びも苦しみも共有していくはずだった。クレイグは、二人の未来を壊した。
ハロルドが、エルに質問を続けている。
「それで、エリックはフランスで生きる決心をしたんですね?」
「イギリスにいたら、どこに住んでも、クレイグの手からは逃れられない、と考えたようです。もともと、フランスには、家族で四年ほど暮らした経験があるんです。エリックもクレイグも、その時にフランス語を覚えました」
「つまりクレイグも、フランス語が話せたわけですね?」
「子供だったから覚えも早く、イギリスに帰っても、将来の財産になるよう、勉強は続けさせました。やがてクレイグも、アメリカに渡り、私たち親から、二人とも遠く離れてしまいました。寂しかったというより、ホッとしていました」
「と、いいますと?」
「二人が一緒にいたら、ろくな結果にならないからです。それこそ、殺し合いをしかねない、と……」
スタジオ中が、ざわついた。クレイグの顔が見るみる赤くなる。ハロルドが周囲に構わず、言葉を続ける。
「エリックがフランスに渡ってから、二人の接点はあったんですか?」
エルが悲しそうに首を横に振った。
「いいえ、全く。このまま別々の人生を生きてくれればいいと、ひたすら願っていました。それが、ハリウッドで鉢合わせするなんて」
「二人の再会は、偶然だったんですね?」
「そのはずです。エリックは家出同然でしたから、クレイグのその後を知りません」
イヴの付き人選びにエリックが漏れていたら、この悲劇は起きなかった。でも、そうなると、マリリンとエリックの出会いもない。
だからって、これが運命だったなんて、思いたくない。
クレイグが、堪らずといった様子で、立ち上がる。
「何故、あいつばかりが愛される! 僕だって、愛される価値はあったはずだ」
エルがクレイグに向き直る。
「愛していたわ、クレイグ。貴方にはとうとうわかってもらえなかったけれど、エリックだけ特別扱いした覚えは、全くなかった」
「いいや、違う! 親父とお前とエリックは、いつも仲良しの三人家族だった。僕だけ、いつも除け者だった! 何故、エリックばかり愛される? 僕の何がいけないっていうんだ! マリリンですら、エリックを選んだ! 我慢ができなかったんだ!」
ハロルドが冷静に、クレイグに告げた。
「ミス・モンローとエリックの仲を嫉妬して――ではないですね? 貴方は、エリックがイヴの付き人だと知った時点で、計画を練り始めていたはずだ」
クレイグが低く呻いた。
「計画を立てて、準備は進めた。でも、最後に僕の背中を押した切っ掛けは、エリックとマリリンが親しくなった現実だった。もう、絶対に殺してやると強く思った。あいつは、僕の大事なものを全て、そう、全て奪うんだ!」
しばらく、静寂がスタジオを支配した。ハロルドがマリリンに向き、声を掛けた。
「ミス・モンロー、何かクレイグに言うことはありますか?」
許せない! 殺してやる! 貴方が死ねばよかった!……。
どんな罵倒の言葉も、無意味な気がした。マリリンは小さく首を、横に振った。
「……何もありません」
早くこの場から、クレイグを連れ去って欲しかった。自分の体が動いて、クレイグを八つ裂きにする前に。
マリリンの思いを察したのだろうか。ハロルドがアダムに命じて、クレイグに手錠を掛けさせた。クレイグが抵抗することはなかった。
「行こう」
ハロルドの声で、クレイグが歩き出す。ふと、思い出したように立ち止まり、マリリンを見つめた。
「本来なら、ここで改心して、貴女に謝るべきなんだろうが。僕は今、何の後悔もない。だから、謝罪する気持ちは一切ない」
マリリンは静かに、口を開いた。
「無理矢理どうしても謝ってもらおう、などとは思いません。どうしたって、エリックが帰ってくるわけではないんだから」
「マリリン、ずっと貴女だけを思って、ハリウッドで生きてきた。いつか、貴女と一緒に仕事をしたいと願っていた。エリックが登場しなければ、僕にもチャンスは、あったはずだ」
傲慢な男! マリリンはぷいと横を向いた。
「貴方の存在は、エヴェリンから指摘されるまで、気づかなかったわ。貴方の名前も、何をして一緒にスタジオにいるかも、全然、知らなかった」
クレイグが、呆然として口をあんぐり開けた。言い過ぎただろうか? いいや、そんなことはない。クレイグの行為は絶対に許せない!
マリリンは、そっと、自分の腹を摩った。
――クレイグは、この子から父親を奪った……!
マリリンは妊娠していた。初めて結ばれた夜、エリックの子供を授かっていた。




