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病室へ戻ると、伯父がやって来ていた。僕が歩けるようになったことを喜んでいた。近くへ来る用があったため寄ってくれたらしい。
次の土曜日には退院出来るという話を聞いた。
「退院?」
「そう。惺は記憶を失くしている以外はなんともないから、今度の土曜日には帰ってもいいって」
「帰るって、どこへ?」
僕は何気ない質問をしたつもりだったのだが、伯父はきょとんとし、それからしまったという顔をした。
「ああ、えーとね、惺は伯父さんの家で暮らすんだよ。最初は惺の家に行くけどね。必要なものもあるだろうから」
なぜ伯父がそんな表情をしたのかすぐに気付き、謝った。
「なんで惺が謝るんだい?」
伯父さんは寂しく笑った。虚ろで人心地のない笑い方だった。
病院内が黒に包まれる深夜。僕はなかなか寝付けず、何度も何度も寝返りをうっていた。頭の中では退院という言葉が忙しなく転げ回っていた。寝付けるはずがない。
――退院したら、シズクとは会えなくなるのかな?
そう思った途端、虚ろな僕の心が露になった。月に見える幾つものクレーターみたいに僕の気分は凹んでしまっていたことに、今更気付いた。
――シズク。
やはり不思議な女の子だ。なぜか彼女が傍にいると心が安らいだ。シズクが傍にいることで、僕は虚しくならないでいられた。
シズクに会いたい。今すぐ会いたい。
求めた。心の底から求めていた。
――でも、昼間に会ったのだから、シズクがここへ来るはずがない。
取り敢えず衝動を抑え、頭を平穏にさせた。
「――――」
耳元で声がした、ような気がした。でもそれがつまりどういうことであるのか解らず、寝続けようとした。
「――――」
再び声がして、僕は目を覚ました。暗い病室の壁が目に入った。
呼び掛けられたような、と寝返りをうった。寝返って天井を向いた瞬間、息を呑むことになった。
「起こしてゴメンね」
「何してるの、シズク?」
彼女は微笑した。髪が揺れ、鼻先を掠めた。シズクは一〇センチほどしか離れていない場所から僕を見ていた。
つまり僕に覆い被さっていた。
「近い」
「気にはならないでしょう」
僕の訴えは理不尽に踏み倒された。
「気にならないって……目の前に人の顔があるっていうのは、とっても嫌なことなんだけど」
「そう。でも惺の都合はどうでもいいの。そんなことより、聞いてもいいかしら?」
「何?」
諦め、ただ聞くだけにした。
シズクは唐突に真剣な顔になった。
「惺はまだ、記憶が戻っていないのよね?」
「うん」
「ちょっとも?」
少し考えて、首を振った。
「一度だけ、前にもこんなことがって感じたことはあった」
その状況を話すことは、男の子として何かしらの恥じらいがあった。恥じらい、という単純な言い難さだ。言い難いということは、相手に促されれば口にするのは容易いということだ。
「それって、どんなとき?」
聞かれ、躊躇いもなく答えた。答えられた。
「昨日の夜、シズクが泣いたとき」
正確には何かを思い出しかけたのだ。それだけで何も思い出してはいないが。そのことも伝えた。
シズクは僕から離れて女の子座りをしながら、口元を歪めた。
上半身だけを起こし、枕を背もたれ代わりにしてシズクと目の高さを合わせた。
「思い出し掛けたんだ」
満足そうな顔をし、シズクは女の子座りを解いた。今度は体育座りをはじめた。
「泣いたから、何かを思い出しかけたのね」
確認ではなく、これから話をはじめる予告のために言ってみた、と言う感じだ。そしてその予感は的中した。
「あたしが泣いたことで記憶が呼び出されかけた――つまり、あたしが泣くことで惺は記憶を取り戻せるってことでしょう」
自信に満ちた口調でシズクは言い切った。だが、あまりにも主観的過ぎる。滅茶苦茶だ。
「べつに、シズクが泣いたからってわけじゃないだろう? どちらかと言うと、誰かが泣く、って言う姿が記憶に触れたのかもしれない」
「本末転倒ね。結局は誰かが泣いているのを見ればいいんでしょう」
シズクの思考回路に異常さを見た気がした。




