第二十四話
背後から近づいてくる蹄の音に、人々は振り向いた。
栗毛色の馬に乗って、怪訝そうな表情のショーンが近づいてきた。
「何かあったのか?」
問いかけながら馬から降りたショーンに、クリストファーは悲しそうな声で言った。
「行っちゃったよ……」
「え?」
「マリオン殿下が、バルトワに連れてっちゃった」
一瞬だけ顔を強張らせたあと、ショーンはすぐにまた馬に飛び乗り、人々の横を走り抜けた。
「もう追いつけないよ!」
叫んだあと、ギルバートと顔を見合わせたクリストファーは、すぐに鳥に変身した。
追いかけて、追いかけて、やっと届くかと思われた手は、またすり抜けて離れてしまった。
このまま、二度と届くことはないのか。
もしかしたら、もう会うことさえできないのか。
(嫌だ!)
「フランシス!」
どんなに叫んでも、どんなに馬を走らせても、馬車の姿さえ見えない。
それでも懸命に愛馬を走らせたショーンの目が、遠くで停まっている馬車と三頭の馬の背をとらえた。
諦めきれなかった心とは裏腹に、真夏の蜃気楼だろうかと思ったショーンは、その傍らで立っているクリストファーの姿を見た。あまりにも前だけを見ていて、小鳥が自分を追い越したことさえ気づかなかったのだ。
あんなに自分を嫌い、相性は最悪だったはずの級友が、馬車を追いかけて停めてくれたのだと悟った。
そして馬車の扉が開き、クリストファーの隣にフランシスが降り立った。
すぐ後にマリオンも続いた。
ショーンが馬から降りて駆け寄ると、フランシスも歩み寄ってきた。
「親と……ちょっともめて……来るのが遅れた……。学校辞めて、騎士団に入るって言ったんだ。俺、一人っ子だから、最初は反対されたけど、でも許してもらった。王女を守りたいって……一生そばにいて仕えたいって……そう言ったんだ……。一生懸命説得したら、許してくれた……。だから……だから……」
ショーンは両の拳を強く握って叫んだ。
「だから行くな!」
さんざん泣いたのか目が赤い想い人は、じっとショーンをみつめたあと、柔らかな微笑を浮かべた。そしてその手をとると、手のひらに人差し指で「あ、り、が、と、う」と文字を書いた。そして顔を上げてもう一度微笑すると、またその細い指を動かした。
「さ、よ、な」まで読み取って、最後まで書かせずにショーンはその手を強く握った。
そして叫ぶ。
「殿下!」
こらえても、涙がこぼれ落ちた。
「10秒でいい。10秒でいいから……」
ハグさせてと叫ぼうとして、ショーンは息を止めた。
フランシスの方からその体に抱きついてきた。
目を丸くしているマリオンの顔がチラッと視界に入ったが、ショーンはかまわずにその細い体を力いっぱい抱きしめた。
「体……大事にしろ……」
胸の中で、金髪がこくんと頷いた。
「いやなことがあったら、すぐに戻ってこい。俺が、おなかの子のパパになってやるから」
咳払いしながらマリオンが歩み寄ってきた。
体を離したフランシスも泣いていた。
「最後の言葉は聞かなかったことにしてやる。だからショーン、学校はちゃんと出て、卒業したらバルトワに来い」
「え?」
「俺の側近にしてやる」
「いや、俺はあなたじゃなくて……」
「お前みたいな下心だらけの奴、間違ってもフランシスの側近になんてさせるわけないだろう」
「お、俺だって、誰があなたなんかの側近になるもんか!? 毎日フランシスといちゃついてるとこ見せつけたり、俺をいびったりするつもりだろ!?」
マリオンは笑った。
「心外だな。俺がそんな器の小さい男に見えるか」
「器が大きいなら、俺をフランシスの側近にしてくれたっていいじゃないか!?」
マリオンは微笑した。
「まあ、とにかく、学校を無事卒業して、一人前の男になったら訪ねてこい。それまで鍛錬を怠らなかったら、お前はきっとすごい剣士になれる。それにギルバートの頭脳と耳、そして……」
マリオンは振り向いて、おとなしく聞いているクリストファーを見た。
「空を飛べるクリスがいたら、俺とフランシスの最強の従者になってくれるだろう」
「行く! 絶対行くよ!」
クリストファーが嬉しそうに答えた。
不意にフランシスが、またショーンの手を取って自分のおなかに触れさせた。
「ああ……たぶん、この子のボディガードになってくれって言いたいんじゃないか?」
赤くなっているショーンにマリオンが言うと、フランシスはにっこり笑ってうなずいた。
「わかった」
ショーンは自分が触れているおなかを、そしてフランシスをじっとみつめた。
「頑張って産むんだぞ。俺が命がけで守った子なんだから」
フランシスは、またこっくりとうなずいた。
バルトワ城の外へ出るなり、クロディーヌは大勢の報道陣に取り囲まれた。
アステラの報道合戦は、突然の訂正文と謝罪文が複数の新聞や雑誌に載った後にぴたりと沈静化したが、バルトワの紙面は相変わらずマリオンの花嫁候補を追いかける記事で賑わっていた。
その一番の標的にされているクロディーヌは、さすがに外出のたびに記者たちに追いかけられる生活に、いい加減辟易していた。マリオンとの関係に進展があるのなら少しも苦にはならなかっただろうが、そんなことは全然なく、記事の内容と言えばその日のファッションや出かけた場所を紹介するようなどうでもいいようなものばかりだった。どうでもいいとは言え、注目を集めてしまっている以上気を抜くわけにもいかず、クロディーヌは好きでもない慈善事業などに勤しむ姿を無理に見せたりした。
しかも最近は、クロディーヌよりもずっと若い10代の令嬢たちにターゲットを変えて特集を組んでいる雑誌も見かけるようになった。マリオンと同年代の令嬢では花嫁候補になりそうな独身女性が少ないことに加え、王子の好みはきっと少女と呼べるような年代なのだろうと思われているのだ。
クロディーヌは、記者たちの取材攻勢がどんなに煩わしくても、正妃候補筆頭の座を奪われることだけは絶対に避けたかった。
そして今日は、きっともう少し人々の気をひくニュースを提供できるはずだった。
「クロディーヌ嬢、王后陛下のご様子はいかがでしたか?」
家を出た時からついてきていたので、記者たちはクロディーヌがカトリーヌ王妃のお見舞いに訪れたのだということはわかっていた。
「あまり思わしくはないようです」
クロディーヌは、精一杯悲しそうな顔をしてみせた。
実際は、ただの更年期障害だと聞かされ、大きな花かごを届けただけで会わせてはもらえなかった。まさか今日は会えるだろうと思ったマリオンも、数日前にいきなりアステラに行くと言って出かけたまま、まだ帰らないという。
(いったい、アステラまで何をしに……)
嫌な予感がしてならないクロディーヌは、急に記者たちが騒ぎ出したのを見てそちらに目を向けた。
城門から入ってきた馬車は、王家の紋章がついたものだった。
駆け寄って馬車を迎えた記者たちは、戸惑った表情で御者台から降りた男が馬車の扉を開けると、一斉にフラッシュをたいた。
「マリオン殿下だ!」
はやる心を抑えながら歩み寄ったクロディーヌの目も、馬車から降りてきたマリオンの姿をとらえた。
集まっている記者たちに怪訝な視線を向けたマリオンは、しかし振り向いて馬車の中に手を差し伸べたときには、ガラッと表情を変えていた。
まるで、大切な宝物でもみつめるような目。
クロディーヌは、ドクンという自分の心臓の音を聞いたような気がした。
数秒間ざわめいた記者たちは、しかしすぐに黙り込む。シャッターを押すことさえ忘れてしまったかのように、カメラマンも動きを止めてしまっていた。
マリオンに手を取られながら、涼し気な水色のドレスを着た女性が馬車から降りてきた。
クロディーヌの嫌な予感は的中した。




