1
「この町に宿はあるか」
秋も深まり、日暮れが早くなり始めたころ。
1000年以上生きる竜が住むと言われる山から、冷たい風が吹き始めていた。
今夜は見習い兵士であるレインにとって初めての単独巡回だった。
先日までは先輩兵士と共に回っていたが、急用が入ったらしく、この日は一人で任されている。
詰所を出る前に、レインは一度だけ呼吸を整えた。
突発的な単独任務に、ほんのわずかに肩が強ばる。
兵士の詰所から出て間もなく、不意に声がかかった。
旅装。
灰色の外套に細身の剣。
そして髪の隙間から覗く、尖った耳。
「……エルフ?」
警戒していたレインが思わず口にすると、旅人はわずかに頷いた。
「私の種族名は、いつから返答になった?」
「あ……いやすまない」
レインは咳払いした。
「宿を探しているのか? ダンカンさんのところがおすすめだ。この辺境で一番の宿さ」
ちなみに、今この町で営業している宿はダンカンのところだけだ。
「でかい煙突が二本ある家だ。看板も出てる。この道をまっすぐ行けば、すぐ分かる」
レインが道を指したのとほとんど同時に、エルフはこくりと頷き、ゆったりと歩き去っていった。
秋風が灰色の外套を揺らす。
レインはしばらくその背を見送ってから、緊張からか小さく息を吐いた。
巡回路へ戻る。
山影は濃くなっていた。
そして、夜が明ける頃。
教会の鐘が遠くで鳴き、近所の鳥がそれに重なるように声を上げる。
レインは業務を終えるため詰所へ戻った。
朝番の勤務に来た父と簡単な引き継ぎを交わす。
「初の単独巡回でエルフとはな」
「……妙に目立つ人でしたよ」
「ほう、美人だったか?」
「なんでそうなるんですか」
「愛しのアイナちゃんが朝飯作って待ってるぞ」
「……勤務中ですよ」
「もう終わりだろ」
「引き継ぎ中です」
父は愉快そうに笑った。
レインは半ば反射のように言い返し、その笑い声を背に机へ向かった。
机に置かれた使い込まれた警邏日誌を開く。
『単独での初警邏。問題なく終了』
『夜間巡回中、旅人一名を確認。
エルフ族。美人。
腰に細身の剣あり。
宿を探していたため、ダンカンの宿へ案内』
-----
業務を終えたレインが家に戻ると、卵とベーコンを焼く匂いが鼻をくすぐった。
近所に住む幼馴染、アイナの明るい声が響く。
どうやら夜間巡回を終えたレインのために、朝食を作っていたところらしい。
「あ、お帰り。ねえ、知ってる? 昨日エルフが来たって話」
フライパンを振りながら、アイナは振り向いた。
昨日宿の受付をしていたときのことを思い出し、くすりと笑う。
「“町一番の宿屋と聞いた。数日頼む”って言われたの」
「町の外にまで宿の良い評判が届いてるってことだよね。うれしいなあ」
「……ああ、知ってるよ」
レインは椅子に腰を下ろした。
夜通し歩き続けた足が、今さら重さを思い出したように軋む。
昨夜、エルフ相手に“町一番”と言ったのは自分だったが、それは黙っておくことにした。
「巡回中に会った」
アイナがぱちりと目を瞬かせる。
「え、レイン会ったの?」
「宿探してるみたいだったからさ。ダンカンのとこ案内しといた」
「じゃあ最初に見つけたのレインなんだ」
アイナはそこでようやく、レインの疲れた顔に気づいた。
「疲れた?」
「今日は単独巡回だったからな」
アイナが目を丸くする。
「え、一人だったの?」
「まだ見習いなのに?」
「先輩が急用だったらしい」
「おかげで緊張しっぱなしだった」
レインは椅子の背に体重を預けた。
気を張っていた反動なのか、急に眠気が押し寄せてくる。
アイナは少しだけ心配そうに眉を寄せたが、すぐにいつもの顔へ戻る。
「でも、そのおかげでセレスさんに会えたんだよね」
レインは少しだけ眉を動かした。
「……あのエルフ、セレスさんっていうのか」
「うん。受付の時に名前書いてもらった」
「へえ」
「じゃあさ、後で話聞きに行こうよ」
レインは苦笑した。
「……昼からでいいなら付き合う」




