第五章 慟哭の三日目 ④
あと一〇分ほどで門限となった頃、僕と柊は中央棟を出てコテージへ向かった。
流石にこの時間にもなると、受験生はほぼそれぞれのコテージへこもっているようだ。
「じゃあ、私のコテージはこっちだから」
言って、柊が去っていく。
僕は軽く手を振って、自分のコテージへ。
『くっくっく。ようやく帰ってこれた』
フェリスは何故か楽しそうに笑う。
一体なんなんだ。夕飯でも楽しみにしていたのだろうか。
『あのモリアーティちゃん、何をするつもりなのだろうね?』
「あだ名ポンポン変えるとわかんなくなるからやめて」
だけど、フェリスの言う通り、気にはなる。
時間はたっぷりあったけど、最初にはぐらかされた流れで、なんとなく聞けなかったのだ。
現状の劣勢を覆す、柊の秘策。最後の布石。さっき買っていたコピー用紙やボールペンも関係があるのだろうか。
「まぁ、あとでメッセージで聞いてみるよ。流石に、僕も明日、作戦を知ってから動いたほうがいいだろうし」
ちなみに彼女は、消しゴムを削っていろんなものを製作していた。
柊雨凛という名前が明朝体で彫られた消しゴムハンコ。親指サイズの「考える人」。気持ちが悪いくらい精巧な豚の人形。
完全に趣味の範囲を逸脱していた。ス
マホのすり替えの時も思ったけど、柊の器用さは目を見張るものがある。
彼女も彼女で、不思議な人だ。
大柄な足利に食ってかかるほど、不正行為は許さないという強い信念を持っていたり。
目を見るだけで嘘を見抜けるほど、洞察力に秀でていたり。
マジシャンばりのすり替えトリックを技術と言い張るほど、謎の技能を極めていたり。
有り体に言ってしまえば、全然普通の女子中学生じゃない。
いくら警察や探偵の類を目指しているからと言って、流石にスペックが高すぎる。
まぁ、そういう圧倒的な『一芸』を持つ人物を、常盤城は求めているのかもしれないけど。
『くっくっく。とにかく、フェリスはお腹が空いたよ。さぁ、早く早く』
「何でそんなに急かすんだよ。まったく、ラーメンだって善意であげてるっていうのに……」
腕時計の時刻合わせ用のボタンを三回押し、コテージの鍵を取り出す。
そして鍵穴に差し込みながら、僕は思い出した。
「そういえば、フェリス。コテージが居心地悪いって言ってたよね。あれって――」
言いながら、ドアノブを捻って扉を開ける。
いや、開けようとした、が正しいだろう。
鍵を開けたはずなのに、扉は二、三センチ引っ張られただけで、何かに引っかかったように動きを止めてしまったのだから。
「……え?」
立て付けが悪いのかと思って、力を込めて扉を開け閉めするも――ダメ。
わずかに空いた隙間から中を覗くと、扉の内側のドアノブから、自転車のチェーンのような細い鎖が部屋の奥へ向かってまっすぐ伸びているのが見えた。
「な、なんだよ……これっ!」
明らかに、細工されている。
となれば、信じがたいけど、コテージ内に誰かが侵入したということになる。
『おや、光輝クン、どうしたんだい? 二〇時になる前にコテージに入らないと、失格になってしまうよ?』
ニヤニヤと、フェリスは心底楽しそうに顔全体を歪める。
――まさか。
「おい、まさか、コテージに侵入者がいるって、知ってたな!?」
『うん。もちろんさ』
もっと早く気がつくべきだった。
フェリスが、コテージから出てきた理由。
居心地が悪い。
あれは、コテージに他人が侵入してきてリラックスできる空間でなくなったという意味だったのだ。
「だったらッ! そう言ってくれればよかったのにッ!」
無駄と知りつつも、思わず声を荒げてフェリスを糾弾する。
『だって、聞かれてないからね。特に伝えてあげる義理もないかな』
左手の腕時計を見る。
一九時五五分。
このままでは、本当に、あと五分で死んでしまう。
「ふざけんなああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!」
全身全霊の力を込めて、扉を引っ張る。
ほんの三センチくらいは鎖が伸びたみたいだが、とても人間が滑り込める隙間じゃなかった。
『おー! がんばれ光輝クン! その意気だ!』
「うるさい!」
「何がうるさいんだぁ〜?」
噴火しそうな僕の耳に届いたのは、雲のように軽い声。
扉一枚を隔てた内側で、坊主頭の大柄な少年――小野寺が軽薄に笑っていた。
先ほど食堂にいなかったと思ったが、まさか僕のコテージに居座っていたなんて。
「お、お前……! どうやって……!」
「簡単なことよ。お前がウチの大将にビビってる間に、すっと死角から入り込んだだけさ」
一瞬意味が分からなかったが、すぐに気がつく。
今朝。玄関前で待ち受けていた足利と内海。
彼らが僕の注意を引いている間に、意識外から小野寺が侵入したのだ。
あとは、扉が開かないように内側からのんびり細工すれば良い。
「視線誘導ってヤツだ。ははは、どいつもこいつもおもしれーくらい引っかりやがる」
「他の三人も……こうやって失格にさせたのか!」
「あぁそうさ。ゴリラでもなきゃ、わざわざ『注文』した鎖は突破できねぇ。まー初日だけは有り合わせのモンで対応したが、相手が桜崎ならじゅーぶんだったよ」
初日の日没後。食堂で所有者を募っていた桜崎。
彼女は確か、一通り声をかけた後に一度コテージへ戻っている。
わざわざ、「もう一度来る」と宣言までして。
となれば、彼女に悟られないようコテージまで後を尾けるだけで、同じトリックが完遂できる。
二日目に脱落した佐藤や織田も、おそらく同じだ。初日のうちにコテージの場所を把握され、二日目の朝に同じ手口で足利グループの侵入を許した。
……結果、その日の二〇時に、門限を破ったとして失格となったのだ。
そして、三日目の今日。
その毒牙が、ついに僕の喉元にまで到達してしまった。
「きゃははっ! 今日はどこに行ってたんだ〜? このトリックは門限ギリギリにコテージに入ろうとしないと意味がない。だから早めに帰ってきても、二〇時ギリギリまでどこかへ連れ出してやろうと思ったのに、手間が省けて助かったぜ〜?」
完全に裏目だった。
もし一時間でも早くコテージに戻って来れていたら、なんとかしてドアをこじ開けられたかもしれないのに。
そういえば、昨日。足利グループは佐藤・織田と食堂で談笑していた。
あれはきっと、門限ギリギリまでコテージに帰らせないためだったんだろう。
「くそぉぉぉぉぉああああああ!!!」
どれだけ引っ張っても、扉は開かない。
窓を割って侵入するという案も浮かんだが、器物破損で失格になりかねない。
コテージの中は治外法権でも、外からの破壊は、きっとアウトだ。
「頼むよ! お願い! 本当に! 取り返しがつかない!」
やばい。
死ぬ。
ガタガタガタガタガタ!!! と扉を激しく揺さぶる。
「あ〜気持ち良い。お前らにはコケにされたからさぁ。やり返せてスッキリだぜ」
「ダメだって! ちがっ、本当に!!」
「きゃははっ! 大丈夫大丈夫。死ぬわけじゃないから諦めな〜」
『いやいや、光輝クンは死ぬんだよ〜』
フェリスが他人事のように夜空を眺めながら突っ込む。
あいつこの野郎!
「お前らとは違うんだよ僕はぁッ!!!」
「なんだよそれ〜、自分だけは特別ですってか? だったら入ればいいじゃねぇか! ほら、入れよ! 入らないのか? 鍵は空いてるぞ?」
「ああああああああああああああああッッッ!!!!!!」
必死の抵抗虚しく。
結局、扉が開くことはなかった。
そして。
二〇時〇〇分。
門限を告げる鐘が、無情にも鳴り響いた。




