64話 いらだち
蒲と天十郎が事務所から出て、玄関ホールで立ち止まった。
「さっきの、バツイチってどういうことだ」天十郎が蒲に聞いた。
蒲は、リビングに向かうドアを見ながら、同時に指で天十郎の唇を抑え「シィ」と小さくいい、天十郎を抱え込んで、二人のプライベートスペースに入って鍵を閉めた。
【十畳ほどの二人のプライベートスペースは】
天十郎と蒲のお気に入りのもので埋め尽くされていた。二人が一番のびのびする誰も入ってこないスペースだ。僕もほとんど、彼らのそんなスペースに入り、二人の仲を邪魔する事はしないが今日は別だ。夏梅の事であれば、二人について部屋に入った。
蒲は、言いたくないような顔をしていた。
「一応、戸籍上の夫としては知っておくべきじゃないのか?」天十郎は食い下がった。蒲はついてきた僕を見て黙りこくっている。
ベッドに手足を投げ出している天十郎は、ふてくされたように語尾を強めた。
「秘密ですか?そういうことなら自分で調べるぞ。籍を入れる時も蒲が一人で手続きをしただろ?」蒲が静かに天十郎に言った。
「今更だが、夏梅は再婚になる」
「再婚?」
「塁と籍を入れていた」
「塁って?時々、夏梅が言っている奴か?離婚したのか?」
「いや、記録としては死別だ」
「死別?いつ?」
「大学卒業した時に」
「つまり、報道通り、入籍した翌日に相手が死んだのか?ちょっと待てよ」天十郎が混乱した様子で蒲を見た。
「俺が七月に同居して籍を入れたのは翌年の四月?夏梅の誕生日が十月だろ?」
天十郎の問いに蒲がひとつひとつ確認するように頷いている。
「その前の話し?」
「ああ、三月だったな」
「翌年の四月、一年後には俺と入籍か…。それは興味をそそられるな。なんで死んだ?」その問いに僕を見ながら蒲が「まあ、色々と」口ごもった。
「僕は死んでないし死亡届けを出したのも、天十郎との婚姻届けを出したのもお前だろ」僕のその言葉に、目の焦点があわずに動揺している蒲を、僕は冷たく見返した。
「塁って男だったのか?ペットかと思っていた」
「ふざけた野郎だ」僕は天十郎をにらんだ。蒲が苦笑いした。僕が怒り出しそうなことを察して蒲が
「夏梅は、死んだ事を認めていないから」
「どういうこと?」
「そういう事だ」それ以上、蒲が天十郎の質問に、こたえる事はなかった。
「それなら、夏梅に聞く」天十郎は部屋を飛び出した。その後を蒲が「待て」といいながら後を追った。リビングに入った僕達と、すれ違いに、夏梅が外出をするところだった。
【どこへ行く?】
天十郎が強い調子で夏梅を呼び止めた。
「今日は、天ママがお休みだから家に帰る。子供達をよろしく」
夏梅はそっけなく答える。その答えが気に入らないのか、天十郎は文句を言うように「家に帰るって、夏梅の家はここだろ?」
夏梅は意外という顔で
「ううん、私の家はここじゃない」天十郎の表情が変わった。怒っている。
「どうしてこだわる。お前にとっては、ここにいる家族はすべて偽物なのか?」
夏梅は、飄々と、問いかけの意味が理解できないかのように
「私に一番必要なのは、塁だから」
「塁ってさ、ちょっとさ、塁の事を好きなのはわかったけれど、家に帰る必要はないだろ、あの家は売ってしまうか、賃貸に出して貯蓄でもしろよ」
その声がまったく聞こえないように、夏梅はゆらゆらとリビングを出ようとする。
を出ようとする。




