03
セシリアはルディガーの自室のドアの前で悶々としていた。もうここまで来たら腹を括らないといけないのはわかっている。
とはいえ、なかなか踏ん切りがつかない。この感覚には覚えがあった。正式に副官として着任する前夜、彼の部屋を訪れた際にも同じ気持ちだった。
あのときは先にドアを開けられてしまったが、今は部屋の主の状態を考えたらないだろう。セシリアは思い切って小さくノックし、ややあってドアを開けた。
「失礼します」
ルディガーの自室はあまり変わっていなかった。ベッドの上で上半身を起こし、書類に目を通していたルディガーはセシリアの姿を視界に捉え、目を白黒させる。
先に口を開いたのはセシリアだ。
「横になっていなくて大丈夫ですか?」
久しぶりの再会なのにも関わらず、あれこれ思う間もなくまずは彼の体勢について尋ねた。へッドボードに体を預けているとはいえ、体を起こしていて平気なのか。
おかげでルディガーも素直に答える。
「こっちの方が楽なんだ」
左頬には布が当てられ、ラフに羽織っただけのシャツの合間からは巻かれた包帯が覗く。痛々しい姿にセシリアは顔を歪めた。
「それよりもセシリア」
不意に真剣な面持ちで話しかけられ、セシリアは体を硬直させる。ルディガーは持っていた書類をサイドテーブルに置き、彼女にもっとそばに寄るよう指示した。
セシリアは早鐘を打ちだす心臓を押さえ、一歩ずつベッドサイドに近づく。緊張で口の中が渇き、自分の唾液を飲み込んだ。
ベッドのすぐ傍ら、ルディガーの手が届く距離でセシリアは立ち止まった。するとルディガーは下から窺う視線を彼女に向ける。
「怪我は? 薬の下手な後遺症は残っていないか?」
ルディガーの口から飛び出した内容があまりにも意外でセシリアは今度は違う意味で固まった。そんな彼女にルディガーは呆れた表情で続ける。
「俺が動けないのもあって、どうせまた無理してるんだろ。ジェイドにも伝えたが、スヴェンにでも任せて、少しは……」
そこでルディガーの言葉は途切れた。セシリアの両目から静かに涙が零れ落ちていたからだ。泣いていると気づいたのはどちらが早かったのか。
セシリアとしても感情をコントロールする間もなく、ほぼ無意識だった。
真一文字に唇を引き結び、必死に耐えるも流れる涙は止められない。様々な想いが涙と共に溢れ返る。この涙の理由はなんなのか。
ルディガーはセシリアの顔をじっと見つめてから、そっと彼女の手を取った。そしてさらに自分の方へとゆるやかに促す。
ルディガーがなにを求めているのか理解できたが、セシリアは静かに抵抗した。
「お体に障りますよ」
「いいからおいで、命令だ」
そう言ってベッドの端に腰を下ろさせ目線を合わせると、ルディガーは体に力を入れてセシリアを自分の元へと引き寄せた。
セシリアは躊躇いつつも、おとなしく彼に身を委ねる。ルディガーは自分の腕の中に収めたセシリアの頭を控えめに撫でた。
「悪かった、心配かけたね」
その言葉がセシリアの心を大きく揺らし、さらに涙腺を緩ませた。
「ふっ……」
頬を伝う涙は熱くて、呼吸も乱れる。こんなふうに感情を晒け出すのはいつぶりなのか。上官の前で泣くなんて副官失格だ。
責めて欲しかった。自分の詰めの甘さや判断ミスが今回の件を招いた。不甲斐なさを叱責すればいいのに、彼が一番に気にしたのは副官である自分のことで、それが心苦しくて、申し訳ない。
でもそれよりもっと大きくセシリアの心を支配していたのは、恐怖だった。怖かった。また失うんじゃないかと思った。
そんな複雑な本音も全部見透かされている。やっぱりルディガーには敵わない。……きっと一生敵いはしない。
「元帥」
セシリアの呼びかけに、ルディガーが彼女に触れていた手を止める。しばらくの沈黙の後、セシリアは深呼吸して調子を整えてからルディガーの顔を見て告げた。
「私が兄の……親友の妹だから、幼い頃から知っているからあんな真似をしたなら……っ、もう私を副官から降ろしてください」
最後は思わず顔を逸らし、声も震えてしまった。ルディガーの元を訪れたら、言わなければと決めていた。
こんなはずじゃなかった。セシリアが副官になったのは、ルディガーを守るためだった。命に代えても守ると決めていたのに。
自分のせいで、一番大切な人をこんな目にあわせてしまった。これでは本末転倒だ。
『彼は自分のせいで兄を奪ったからって責任を感じてその妹につきっきりだって』
「……私に責任を感じるのは、もうやめてください」
本当はもっと早く言うべきだった。向き合うべき問題だったのかもしれない。この六年間、彼の副官としてそばで仕えていたのは、本当は誰のためだったんだろう。
耳鳴りがするほどの静寂に包まれ、自身の息遣いと心音だけが耳につく。心臓が痛いくらい強く打ちつけて、セシリアは目の奥が熱くなるのをぐっと堪えた。




