04
「違う」
唐突に鼓膜を震わせた言葉に、セシリアは意表を突かれる。おずおずと顔を上げルディガーを見れば、彼は切なげに顔を歪めていた。
「違うんだ、シリー。そんなふうに思って君をそばに置いていたわけじゃない」
そっとセシリアの頬に触れ、ルディガーは顔を近づける。彼のダークブラウンの双眸がセシリアを捕らえた。
「俺を買いかぶりすぎだよ。シリーのためなんて優しい理由じゃない。俺が君を誰にも渡したくなかったんだ」
そこでルディガーは一呼吸間を空ける。しっかりとした語調で言い聞かせた。
「愛しているんだ。誰よりも大切だから副官とか親友の妹とか関係なく、君を守るのは当然だろ」
セシリアは瞬きひとつできず、起こっている現状が受け止められなかった。
「信じられない?」
「だって……」
思わず副官としてではなく、素のままで返してしまう。ルディガーは苦笑して呟く。
「シリーの言った通りだよ」
まったく。遠い昔にすでに彼女本人に言い当てられていた。
『なによりあなたが負けたのは、私を見くびっていたからよ。まだ子どもだって、妹みたいだからって』
見くびっていたのだ。セシリアはいつまでもルディガーにとって変わらない存在だと。親友の妹で、ルディガーにとっても妹のようで、後を追いかけてくる小さな子どもだった。
それがいつのまにこんなに綺麗になって、剣の腕を磨いて、自分のよき理解者になって、手放せない存在になったのか。守ってやらないと、と思いながら守られていたのは自分の方だった。
「とっくに妹にも子どもにも思えない。もうずっと前から俺の負けだよ」
セシリアの穏やかな青色の瞳が揺らめく。みるみるうちに涙が溜まり、ルディガーは目尻にそっと口づけた。セシリアは目を閉じて受け入れる。続けておもむろに唇が重ねられた。
「副官を降りるなんて許さない。俺のもので一生そばにいるんだろ」
強く言いきるルディガーに苦笑しつつセシリアはルディガーの右頬に手を伸ばし、指先でなぞる。セシリアから彼に触れるのは滅多にないことで、縮まった距離に応えたかった。
「なら、もうあんな無茶はしないでください。心臓が止まるかと思いました」
「善処するよ」
ルディガーは触れていたセシリアの手に自分の手を重ね、指を絡める。そのまま自分の口元に持っていき彼女の掌に口づけた。
「俺の幸せを願ってくれるのは有り難いけど、俺を幸せにできるのはエルザでもなければ他の女性でもない。シリーだけなんだ……だから俺と結婚してくれるね?」
射貫くような眼差しに、真摯な声。セシリアとしては動揺よりも困惑の方が大きい。ほんの少し間を空けてから眉尻を下げて小さく答えた。
「こだわりますね」
「こだわるさ。俺は欲張りなんだ、シリーの全部が欲しいんだよ」
すかさず返され、セシリアは伏し目がちになる。
「私、あなたの理想の家庭を築くのは無理です。結婚したとしても、おとなしく帰りを待つだけなんてできません。妻としてよりも副官としてどこまででも共に行きますよ?」
「いいね。俺の一番の理想は、シリーがずっとそばにいることだから望むところだ」
セシリアの不安を払拭する穏やかな笑顔だった。反対に、胸が詰まってセシリアは泣き出しそうになる。ルディガーはセシリアの額に軽く口づけた。
「そんなことを気にしてたのか……シリーはあれこれ気を回し過ぎなんだよ」
「ルディガーは色々と無茶し過ぎです」
さりげなく名前で呼んだセシリアの額にルディガーが自分の額を合わせた。
「そう。だから、ずっとそばにいてもらわないと困るんだ」
軽快なやり取りに今度こそセシリアは笑った。こんなにも満たされる気持ちになるのはいつ以来なのか。
「で、返事を聞かせてくれる?」
茶目っ気交じりの問いかけにセシリアは改めて姿勢を正してから、ルディガーを見据えた。
「ずっと、ずっと好きでしたよ。この命もこの体も……心もすべてあなたに捧げます」
言い終わるのと同時に唇が重ねられる。セシリアは素直に口づけを受け入れた。長い間、そばにいたのに遠かった心がやっと交わる。
何度も角度を変えて触れ方に緩急をつけながら繰り返されるキスの合間に、ルディガーはふと昔を思い出した。
『ルディガー、俺になにかあったらセシリアを頼むな』
准団員としての訓練を終え、明日から正式にアルノー夜警団の団員として配属が決まった晩。盃を交わしているとセドリックはなんの前触れもなく告げてきた。
おかげでルディガーは幼馴染みの発言に大きく目を見開く。
セドリックの表情は内容とは裏腹にあっけらかんとしたものだった。とはいえ、たしなめずにはいられない。
『お前な、縁起でもないことを言うのはやめろよ。それに託す相手が違うだろ』
そういうのは、いつかセシリアが結婚するであろう相手に対してだ。今のところセシリアはまったくその気がなさそうだが。
ルディガーだってセドリックと同じで、いつどうなる身かわからない。セドリックは苦笑してルディガーを見つめた。
『そう言うなって。あいつを上手く泣かせてやってほしいんだ』
『そこは泣かすな、じゃないのか?』
意味が理解できず、ルディガーは訝しげに尋ねる。セドリックから答えはなく、意味深長な笑みを浮かべているだけだ。思わずルディガーは尋ねる。
『……セドリック。なんで俺に言うんだよ?』
『お前には、生きる意味が必要だと思って』
ルディガーがなにかを返そうとすると、先にセドリックが『それに』と続けた。
『唯一あいつを“シリー”って呼ぶ存在だからな』
あのときのなにもかもを見通しているかのような彼の笑顔をルディガーは一生忘れない。
ああ、やっぱり。お前には、全部こうなるとわかっていたのか。
セシリアを守るためにも、彼女に再び同じ思いをさせないためにも、絶対に生きるのを諦めたりはしない。ルディガーは強く誓って、セシリアを抱きしめる力を強めた。




