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01

 セシリアが目覚めたのは、太陽が高い位置にいる頃だった。ゆっくりと体を起こし、凝り固まった肩をほぐす。


 夢に近いなにかが頭の中を錯綜していたが、結果的に熟睡できた。久しぶりに体も思考もすっきりしている。


「おはよう、セシリア」


 不意に声をかけられ、セシリアは目を向ける。いつもの仕事机に団服姿のルディガーが座っており、セシリアはすぐに自分の状況を思い出した。


「すみません、私っ」


「よく眠っていて安心したよ」


 にこやかに告げられ、セシリアは急いで立ち上がる。昨日の彼とのやりとりを思いだし、狼狽しそうになるのを懸命に抑え込んだ。


 ルディガーはあれから寝たのだろうか。本当にずっと、そばにいたのだとしたら申し訳ない。


 沈みそうになる気持ち振り払い、セシリアはこの後の自分のするべきことについて考え、とにかく一度自室に戻ろうと決める。


 その旨を伝え、部屋を出て行こうとしたが、ドアに手をかける寸前にセシリアはルディガーに切羽詰まった口調で告げた。


「今日、もう一度ドリスに会いにいってもかまいませんか?」


 できれば優先したい事項だった。無理を承知で切り出せば、ルディガーはセシリアの急な申し出に軽く頷く。


「わかった。俺も行こう」


「いえ、ですが」


 さも当然と立ち上がった上官に、セシリアは慌てた。彼は昨日に引き続き、今日中にまとめなければならない報告書の類や近隣諸国への遣いの手配など多くの仕事があったはずだ。


 セシリアの顔色を読みルディガーは微笑む。


「心配しなくても、今日の仕事は終わらせている」


「もう、ですか?」


 それなりの仕事量だったのでセシリアは信じられない思いで尋ねた。ルディガーは笑みを湛えたままゆっくりとセシリアに近づく。


「シリーの可愛い寝顔を見てたら、俄然やる気が出ててね」


 ウインクまで投げかけられ、セシリアは羞恥心を覚えた。どうやら彼は本当にあれからここで仕事をこなして自分のそばにいたらしい。


 己の至らなさを心の中で叱責し、セシリアは素早く自室へ戻った。


 ドリスの元を訪ねるので私服姿になる。ゆったりとした白いブラウスに焦げ茶色の長いスカート。髪はおろしてひとまとめにする。


 愛馬に跨がり、セシリアは遠くを見た。今日は澄み渡る青い空が広がっている。


 ドリスの屋敷にルディガーと訪れたとき、お馴染みの初老の使用人が顔を出したが、玄関には意外な人物がいた。


「……ルディガー? セシリアちゃんも」


 大きい目を丸くしたエルザが予想外の来客者にやや上擦った声をあげる。驚いたのはルディガーとセシリアもだった。


 話を聞けば、今日は体調が比較的落ちついており天気もいいので、家の周りを軽く散歩しようとしていたところだったらしい。


「ごめんなさい。ドリスは今、お友達の家に出かけていていないの」


 ドリスの不在にセシリアの心は不安でざわめく。約束をしていたわけでもないので突然訪れたこちらに非はある。とはいえ、どうするべきか。


「この前、話していたキャミーのところかい?」


 さりげなくルディガーがドリスの行き先を探る。エルザは屈託なく笑った。


「ええ。キースが家にいるのかはわからないけれどね。ねぇ、よかったら少し散歩に付き合ってくれないかしら?」


 エルザの提案にルディガーはセシリアを見る。


「なら、シリーも」


「私はその間、中で待たせていただいてかまいませんか?」


 ルディガーの言葉を遮り、セシリアはエルザに尋ねた。エルザからは「もちろんよ」と返事がある。ルディガーがなにか言いたそうな目をセシリアに向けたが、それは無視した。


 気を利かせると言うにはおこがましい。ただ元婚約者同士の仲に立ち入るほどセシリアは図太くないし、見せつけられるのも御免だ。


 それにエルザから情報を探るにしてもふたりもいらない。なによりドリスが帰ってくる可能性もないわけではない。


 部屋に通され、使用人がセシリアにカップを差し出してもてなす。前はドリスと向き合って座ったが、今はセシリアひとりだ。


「ありがとうございます。突然、すみません」


「いいえ。ドリスお嬢様をよろしくお願いいたします。なかなかお転婆なところもあって心配しているんです。この前も蛇に噛まれたとかで」


「蛇?」


 セシリアは思わぬ単語に聞き返す。使用人の女性は頬に手を添えため息をついた。


「驚きましたよ。顔が真っ青で、どうしたのかと聞けば、蛇に噛まれたと仰るものですから」


 “実はアスモデウスは蛇になる”


 アスモデウスに関する噂に繋がり、セシリアの背中に嫌なものが這う。


「幸い毒蛇ではなかったんですが、左腕に噛み跡がくっきりと残っていたので」


 そう言って彼女は自身の内側の左腕の関節辺りをさすった。


「まったくそそっかしいと言いますか。肝を冷やしました。今日も必要ないと上着を置いていかれて。いつもお使いのものは洗濯をしてまだ乾いておらず、湿っているから重たいと」


 湿っているから重たい? ……上着?


 なにかがセシリアの中で引っかかる。


 そして今までの記憶やここ連日で得た情報が一気に脳内になだれ込み、互いに照らし合わせ一本に答えを導いていく。小骨が喉に引っかかった感覚が消え、セシリアはすべてに気づいた。


 ……ああ、そういうことだったんだ。


 冗談ではなくセシリアは、足元が崩れそうになった。カップを持つ手がわずかに震える。


 一連のアスモデウスに関する件に対し、自分の仮定が怖くなる。その一方で考えれば考えるほど辻褄があっていく。


 だからあのとき、あの人はあんな切り返しを――。


 セシリアは勢いよく立ち上がった。挨拶もそこそこに失礼を詫びながら、使用人に帰る旨を告げる。ドリスが帰ってきたら外出せずに待っていてほしいとも(ことづ)けて。


 まずは上官の意見を窺おうと外に出てルディガーとエルザを探す。そう遠くへは行っていないはずだ。


 屋敷の裏手に駆け出そうとして、わずかに気配を感じ歩調を緩めた。そして遠目にふたりの姿を捉えたとき、セシリアの足は止まった。


 ルディガーがエルザと抱き合っていた。一方的にエルザが身を寄せているわけではなく、ルディガーも彼女のか細い肩に腕を回し、優しく抱きとめている。


 瞬きもできず、息も止まる。風が凪いだのは気のせいか。


 続いて反射的に顔を背け、セシリアは逃げるようにその場を去った。心臓が色々な意味で煩い。


 あまりにも絵になる光景で目に焼き付いて離れない。今日、ルディガーが自分に同行すると申し出たのは情報収集の意味もあったが、エルザにまた会いたかったからなのかもしれない。


 だったら、どうなの?


 もしもふたりが上手くいったのなら、喜ぶべきことでセシリアの願いでもあった。


 なのに、なんで? どうしてこんなに胸が痛いの?


 振り払いたくて、とにかく足を動かす。今は一刻も争う事態だ。自分の考えを確かめるためにも、あれを探す必要がある。


 ほどなくしてセシリアがやってきたのはジェイドの診療所だった。珍しく玄関のドアが閉まっている。乱暴にノックするも中から反応はない。留守らしい。


 セシリアは眉を寄せる。肩で息をしながら、しばらく思索しある決意をした。

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