06
「シリー。帰るなら一声かけてくれてもいいだろ」
振り向く前に背後から力強く抱きしめられ、聞き慣れた声が耳元で囁かれる。回された腕は力強く、密着した背中から伝わる温もりにセシリアは虚を衝かれた。
自分の後ろを取れる人間は限られている。とはいえ誰なのかと迷う必要もない。
「元帥」
セシリアが反応を示すと、ルディガーは素早く彼女を自分の方に向け、背を屈めて額を合わせた。ふたりの距離がぐっと縮まり、セシリアの視界は暗くなる。
ルディガーは自分の体温を分けるかのごとくセシリアの頬を自分の手で包んだ。
「探した。ひとりでうろうろして、なにかあったらどうするんだ」
「大袈裟ですよ。今は私服ですが、これでも夜警団の人間ですよ?」
冷静にセシリアは反論する。対してルディガーは不機嫌そうに眉を寄せた。
「言ってるだろ。それと俺が個人的に君を心配するのとは話が別だ……こんなに冷えて、風邪を引く」
『俺はいつもセシリアを心配しているのに?』
セシリアは自分の考えを改める。彼は上官としてだけではなく自分を妹分としても気にかけている。こればかりは、どう言っても直らない。
エルザに会いに行く手前で交わした会話から、今は余計にだろう。
触れられた箇所がじんわりと温かい。大きな掌の感触に不快感はなく、昔からよく知る安心させるものだ。
「すみません」
声をかけなかった自分の判断を悔やみ、セシリアは神妙に謝った。
「そのときは俺が診てやるさ」
茶々を入れるジェイドを無視して、ルディガーは預かってきたセシリアの外套を彼女に羽織らせる。セシリアは瓶を抱えているので下手に抵抗できず、素直に受け入れた。
その様子を見ていたジェイドがさらにルディガーに声をかける。
「わざわざ俺にまで見せつける必要はないぞ」
「なんのことだい?」
ジェイドの方を見ずにだが、今度はルディガーがさらっと答えた。
「で、懐かしの婚約者との再会はどうだった? さぞや盛り上がったんだろ」
そこでルディガーはジェイドの方に顔を向けた。あからさまな嫌悪感を滲ませて、その眼差しは鋭い。セシリアに見せていた表情とは真逆だ。
「話す内容は主にドリスのことさ」
ドリスの名前が挙がり、セシリアが反応を示す。ルディガーは一度セシリアと目を合わせてから説明を続けた。
「ドリスの想い人は友人キャミーの三つ年上の兄、キースらしい。元々ドリスは行動派で彼に会うべくキャミーの家はもちろん、友人の家を訪れたり招いたりも頻繁にしている。身元はしっかりしているとはいえ、そこの繋がりで妙な美容法にはまっているのかもしれないな」
おそらくエルザから聞いたのだろう。自分以上にドリスの情報を掴んでいる上官にセシリアは舌を巻く。同時に自分の力不足に顔をしかめた。
ジェイドが問う。
「交友関係が広いのも考えものだな。で、そのキースとやらは細身の女が好きなのか?」
「前に交際していた女性が痩せ型だったとは聞いている。おかげでドリスも食事制限をしたり、あれこれ努力しているらしいが……」
ルディガーがそこで一度言葉を句切った。やや声のトーンを落として続ける。
「痩せたというより顔色が悪いときもあると心配していた」
誰が、とは言わなかったが聞くまでもない。セシリアの胸がやはり勝手に痛む。ルディガーはジェイドに告げた。
「とりあえず、こちらはドリスの交友関係と今までの被害者の知り合いで共通する人物がいないかを探ってみよう」
「わかった。俺は患者やウリエル区の人間から情報を集めてみる」
互いの役割を確認し合ったところで、ルディガーはセシリアに城に戻るよう促した。
「セシリア」
そこで不意にジェイドがセシリアを呼び止め、ゆっくりと彼女に近づく。
「今日の駄賃にこいつをご馳走してやる。また来いよ」
ワインの瓶をセシリアから受け取りながら誘う。たいして役に立ってはいないが、ジェイドなりの気遣いにセシリアは感謝した。
「ありがとうございます」
「セシリアだけかい?」
すかさずセシリアの隣に立つルディガーが口を挟む。そんな彼にジェイドは皮肉めいた笑みを向けた。
「なんだ? お前もそんなに鹿肉を食いたいのか?」
「そうだね、ご馳走になろうかな」
なんとも上滑りな会話だ。セシリアはルディガーの真意が読めない。本気で鹿肉を食べたいために言っているわけではないのはわかるが。
「あの、元帥」
やはりジェイドに対して警戒心を緩めていないからなのか。セシリアが口を挟もうとした瞬間、ジェイドが鼻を鳴らした。
「気が利かない男だな。プライベートまで上官と一緒にいたくないだろ。たまには副官を解放してやったらどうだ」
セシリアの意識がジェイドに向く。その隙を突いて、ルディガーはセシリアを抱きしめた。ジェイドから奪うようにして。
「冗談、ひと時でも離したくないね」
セシリアは大きく目を見張る。ルディガーがどんな顔で告げたのかは見えない。視界にはジェイドの呆れた表情が映った。
「なら、精々愛想を尽かされないようにするんだな」
近くの夜警団の屯所で預けていた馬を引き取り、ふたりは城を目指す。確認したいこともあるが、今は日が沈む前に戻るのが先決だ。
雨の心配はなさそうだ。とはいえ太陽が姿を隠せば辺りは一気に暗くなる。今日は気温も低めだ。
城に無事に戻り、部屋に向かう途中でセシリアが口火を切った。
「元帥、今日はありがとうございました」
前を歩いていたルディガーが軽く顔だけを後ろに向け微笑んだ。
「お礼を言われるほどのことはしていないさ」
「ですが、元帥のおかげで多くのドリスの情報を得られたわけですし」
むしろ自分が探るよりもルディガーの方が有益な情報を多く掴んでいる。セシリアの気持ちを汲んでかルディガーがフォローした。
「本人に聞くより、近しい人間から聞いた方がより多くの情報が手に入る場合もある。今回は運が良かっただけだよ」
そう言って再び前へ進みだしたルディガーにセシリアはさらに質問を重ねようとした。しかし喉まで出かかった言葉を寸前で飲み込み、黙ってルディガーの後を追う。
“エルザさんとは話せましたか?”
自分が聞いてもいいのか。踏み込んでもいいのか。副官としては確実に出過ぎた真似だ。ふたりが向き合って親しくしている光景が頭から離れない。
必死で頭を切り替え、手分けしてディアナの死に関する調査をしている団員たちの報告を聞くため先を急いだ。
 




