03
先日、訪れたドリスの家で今日も前回と同じ使用人に迎えられた。セシリアが名前を告げると、ややあって奥からドリスが駆け寄って来た。
「こんにちは」
セシリアがまず挨拶をしたが、ドリスはセシリアを一瞥するとすぐに隣の男に視線を移した。それを受けてルディガーが微笑む。
「初めまして。ルディガー・エルンストです。シリーから話は聞いているよ。エルザの調子はどうだい?」
「嘘……」
ドリスは信じられないという面持ちでルディガーをまじまじと見つめ、すぐに使用人にエルザに伝えるよう声をかけた。そして再びドリスの意識がセシリアに向く。
「セシリア、ありがとう! 本当に、なんてお礼を言っていいのか」
抱きつきそうな勢いでセシリアとの距離を縮めると、ドリスはセシリアの手を取り感謝の意を述べた。涙ぐみそうなドリスに、彼女が本当にエルザを想っているのがわかる。
「ルディガー?」
この前と同じ、階段の上の方からか細い声が降り、その場にいる全員の注目が集まった。今日のエルザはワンピースタイプのゆったりとしたクリーム色の部屋着にカーディガンを羽織っている。
「久しぶり、突然悪いね。体調を崩しているんだって? 大丈夫かい?」
ルディガーが下から心配そうに声をかけると、エルザは口元を手で覆い、大きく目を見開いた。
「本当に?」
よれよれと覚束ない足取りながらもエルザは階段を下りてルディガーの元に歩み寄る。ルディガーもエルザに近づいた。
エルザは遠慮なくルディガーとの距離を縮めると確かめるように彼の頬に手を伸ばした。
「また会えるなんて夢みたいだわ」
「大袈裟だよ」
ルディガーは苦笑しつつも、エルザが触れるのを拒んだりはしない。セシリアはそんなふたりから、反射的に目を背けたくなった。
自分の気持ちが意識せずとも沈んでいくのをありありと感じる。心臓が早鐘を打ちだし、胸が苦しい。どうしてこんな感情を抱くのか。
淀むセシリアの腕を不意にドリスが取った。
「セシリアはこちらでお茶にしましょう。お姉ちゃんたちのところにもお茶を持っていかせるわね。どうぞ、ごゆっくり」
ドリスとしては早くエルザをルディガーとふたりにしてあげたい気持ちが先走る。狙い通りだ。セシリアはドリスからの信頼を得て彼女とふたりで話がしたかった。
「ありがとう、ドリス。セシリアちゃんもゆっくりしていって」
「はい、ありがとうございます」
エルザから笑顔を向けられ、セシリアは軽く頷いた。そのとき隣にいたルディガーと目が合う。
大丈夫、わかっている。
余計な感情はいらない。目で彼に応えて、今の自分の目的を達成すべくセシリアはドリスに案内されるがまま歩を進めた。
「セシリア、本当にありがとう。お姉ちゃんのあんな嬉しそうな顔、久しぶりに見たわ」
「それはよかったです」
外套を使用人に預け、以前と同じ客間に通される。白いテーブルクロスのかかった机の上に置かれた飴色の紅茶は、甘い香りを漂わせていた。
前回とは打って変わってセシリアに対するドリスの態度は軟化し、機嫌もすこぶる良い。
ドリスはカップを置き、ふぅっと息を吐く。
「話には聞いていたけれど、お姉ちゃんの婚約者だった人、本当に素敵ね。とってもお似合いだったし、上手くいくといいんだけれど」
うっとりしたと思えば今度は悩ましげな面持ちだ。まっすぐなドリスにセシリアは微笑む。
「本当にエルザさんがお好きなんですね」
「うん、大好き。私の憧れなの。知的で美人で、それでいて女性らしくて。多くの男性の理想像でもあるわよね」
「あなたも十分、素敵だと思いますよ」
セシリアの発言にドリスはどうしてか煮え切らない表情を見せた。
「ありがとう。でも男性は、私みたいにお転婆でガサツなのはあまり好きじゃないだろうから。体型もドレスが似合うようにもっと痩せた方が……」
ドリスの言い分でセシリアは直感的に閃く。彼女の言い分は男性というより誰か特定の人物を指している気がした。
「どなたか、想いを寄せている方でもいらっしゃるんですか?」
図星だったのか、セシリアの指摘にドリスは大きく目を見開き、あからさまに狼狽する。
「えっと……まぁ。その……」
「だから、綺麗になろうと努力されているんですね」
少しずつドリスの話に添いながらセシリアは話題の方向を誘導していく。
「うん。まぁね」
最終的に照れながらもドリスは認めた。そこでセシリアが踏み込む。
「あの、前にお話ししていた美容法、もしよかったら私に教えてもらえませんか?」
「え?」
どんな反応をされるか。ドリスの表情を注意深く観察していると、彼女はセシリアの予想外の切り返しをしてきた。
「セシリアにも好きな人がいるの?」
思わず面食らうセシリアに対し、ドリスは目をキラキラとさせ好奇心いっぱいだ。
「どんな人? もしかしてマイヤー先生?」
嬉しそうなドリス。せっかく食らいついてきた話題だ。相手はともかくここで下手に否定して、話の勢いを萎ませるのもよくない。
「彼ではありませんが……」
セシリアは言葉を迷う。しかし、その姿がドリスには違う意味での躊躇いに見えて、彼女はおとなしく続きを待った。セシリアは頭を必死に回転させ、ぎこちなくも口を開く。
「つらい思いをしてきた人で……。誰よりも幸せになって欲しいんです。そのために私ができることならなんでもしたいって思える人ですよ」
これでドリスは納得しただろうか。自然とルディガーを浮かべて発言してしまったが、気づかれなかっただろうか。
緊張しつつドリスを見つめていると彼女は形のいい眉をハの字にして呟いた。
「その彼には他に好きな人がいるの?」
「え?」
ドリスは困惑顔で微笑み、指摘する。
「あなたの言い分、とっても素敵だけれど、諦めるのが前提みたいな言い方だから。そこは私が幸せにしたい!ってならない?」
悟られたか、違和感を抱かせてしまったか。セシリアがどうフォローすべきか思考を巡らせていると、ドリスがおもむろにカップをソーサーに置いた。
「なんてね。事情があるんだ。セシリアもつらい恋をしてるのね」
ドリスの結論にセシリアはほっと胸をなで下ろす。そしてドリスは申し訳なさげに続けた。
「美容法の件、返事を待ってくれる? 私だけの判断じゃ教えられないの。ごめんなさい」
「いいえ」
追及したい気持ちをぐっと堪え、セシリアは短く答えた。これ以上、踏み込んで不信感を持たれるのも本意じゃない。
セシリアは先にドリスの家を後にする旨を告げる。ルディガーとは共に来たが、あくまでも自分は橋渡し役としてだ。合わせて一緒に帰らなくてもいい。