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02

 スヴェンが気配を感じて顔を上げたのとドアが開いたのはほぼ同時だった。鴉の濡れ羽色の髪と同じ双黒の瞳が鋭く光り、来訪者を捉えようとする。


 遠慮なく力任せに開け放たれたドアは激しく音を立てた。ここはアードラーに宛がわれたスヴェンの仕事部屋だ。緊急時でもない限り、ノックもなしにやって来る人物は数えるほどしかいない。


 眉間に皺を寄せ文句のひとつでも言おうとしたが、その前に部屋に現れた人物が凄みのある声で呟いた。


「五分前の自分を呪い殺したい」


 珍しく厳しい顔つきのルディガーが低い声で吐き捨てる。スヴェンは発言の内容で大方の事情を察知し警戒を緩めた。


 アードラーとして夜警団に関することならさっさと本題に入るはずだ。しかも彼なら冷静に。ルディガーの感情をこんなにも激しく揺す振るのは、スヴェンとしては、ひとりしか思いつかない。


「俺は呪術には詳しくない」


「真面目に返すなよ」


 冷たさを孕んだスヴェンの言葉にルディガーは苦々しく切り返した。顔に手をやり、大きく息を吐くと大股でスヴェンの方へ寄ってくる。スヴェンは再び書類に視線を戻した。


「どうせまた余計なことを言ったんだろ」


 やれやれといった面持ちのスヴェンにルディガーは間髪を入れずに返す。


「余計どころか言葉が足りなくて、愛しの奥さんと散々すれ違っていたのはどこの誰だよ」


 スヴェンは眉をつり上げて押し黙る。事実、その件に関しては申し開きできない。


「……結果、上手くいったんだからいいだろ」


 せめてもの抵抗にとぶっきらぼうに答えると、机の正面までやってきたルディガーは軽く肩をすくめた。


「そうだな、お前は幸せ者だよ。そういや、この前ライラに会ったとき、まだひとりで馬に乗せてもらえないってぼやいてたぞ」


 スヴェンの妻であるライラと交わした会話の内容をなにげなく伝えてやる。出会ったときの印象からは変わってしまったが、肩下で整えられた栗色の髪と快活さの滲む穏やかな碧色の瞳は、ライラによく相応(にあ)っていた。


「危なっかしいだろ」


 スヴェンは眉をひそめる。


 長い付き合いのルディガーだからわかるが、スヴェンは不機嫌というより純粋に心配しているだけだ。他人に関心がなく普段は冷徹と評されるスヴェンだが妻のこととなると話は別らしい。


「過保護すぎると、嫌われるぞ」


「その台詞、そっくりそのまま返してやる」


 すかさず応じると、すぐにルディガーから倍になって返答があると踏んだ。しかしスヴェンの予想ははずれた。改めてルディガーを見上げれば、なんともいえない表情をしている。いつもの余裕ある笑みもない。


「どうした?」


 スヴェンはようやく変に突っかからずに話を聞く態勢をとった。ルディガーはしばし視線を泳がせてから語りだす。


「油断した。足をすくわれたよ。照れるか冷たく返されるのは想定内だったんだ。その後、真剣に畳みかけるつもりだったのに」


「……話が読めない」


 スヴェンのツッコミを無視してルディガーはため息をつく。先ほどのセシリアの言葉が彼女の追い詰められた表情と共に何度も脳内で繰り返されていた。


『……責任は別の形でとりますから。私はあなたのために命を懸けますし、そばにいます。ですが、それは副官としてです。元帥は私を気にせず、いい人がいらっしゃったら自分の幸せを考えてください。それが私の願いでもあるんです』


 拒絶にも似た力強さで一気に捲し立てられ、さすがのルディガーも呆気にとられる。セシリアはルディガーと視線を合わさないまま続けた。声のトーンはいささか落として。


『……ドリスの元でエルザさんに偶然お会いしました。ドリスの従姉だそうで、体を壊し離縁して彼女の元で養生しているそうです。元帥のこと、気にされていましたよ。ドリスも望んでいましたし、よろしければお会いになってください』


 やっと伝えられたと安堵する気持ちと不必要に感情が乱れている自分が情けなくなり、セシリアは「着替えてくる」という名目もあって、挨拶も早々に部屋を出て行った。


 ひとり取り残されたルディガーはしばし状況についていけなかった。軽くとはいえ“結婚”という言葉を口にして、最終的には相手から元婚約者に会ってやれと言う内容で締めくくられるとは。


「……いつかスヴェンが、ライラから『自分を気にせず、他の女と会ってきて』なんて内容をぶつけられたときはそれなりに同情したけど、意外と堪えるな、これ」


「今ここで妙な共感はやめろ」


 巻き込むなと言わんばかりの口調で返すが、鬱陶しいと思いつつあまり無下にもしない。お互いにこういった話のできる相手はそういないのもわかっている。


 一時、まったく心の内を話さず、自分の中でため込んでいた頃のルディガーも知っているから尚更だ。聞き役は自分よりもセドリックだったとスヴェンは思いを馳せた。


「やっぱり最初から真面目に攻めるべきだった」


「お前の場合、それでも軽くかわされて終わりだっただろうけどな」


 ルディガーは否定せず、微妙な表情でスヴェンに視線を送る。そんなルディガーにスヴェンは改めて尋ねた。


「で、元婚約者には会うのか?」


「会うさ」


 思った以上にはっきりとした素早い返事に逆にスヴェンが虚を衝かれた。ルディガーは窓の外へと鋭く視線を飛ばした。


「セシリアがドリスの情報を欲しがっている。なら迷う必要はない」


「……相手はお前に未練があるんじゃないか?」


「相手がどういうつもりでも関係ない。俺が優先すべきはセシリアなんだ」


 きっぱりと言い切るルディガーにスヴェンはわざとらしく肩をすくめる。それを見て、ルディガーはやや気まずそうな色を浮かべた。


「お前にも彼女とのことは話しただろ」


 エルザとルディガーは幼い頃から親同士が決めた婚約者だった。なので自分の気持ちを突き詰める前に、彼女とは結婚するのだろうと自然と思っていた。


 とくに不服もなく、たまにしか会えないエルザをそれなりに大事にしていた。


 同時に、ルディガーにとっては幼馴染みと剣の腕を磨く方が楽しかったし、アルノー夜警団に入団する未来を見据え日々鍛錬を積むのを重視するのは当然だった。


 セシリアは大事な親友の妹で剣の師匠の娘だ。気にかけるのは当たり前で、自分に懐くセシリアをルディガーも可愛がっていた。


 でもそれはあくまでも妹的な存在としてだ。それが崩れたのはいつだったのか。


「セドリックが死んだとき、俺はしばらくセシリアに会えなかった。合わす顔がないと思ったんだ。俺はお前以上にひどい。自分のことばかりで彼女と向き合えなかったんだ」


 言葉にしようとすれば、そのたびに胃酸が上がり胸やけしそうな苦さと痛みが襲う。顔を歪めるルディガーにスヴェンの表情も険しくなっていた。親友を亡くした傷はそれぞれに深い。

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