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92 リンゴが一つ、転がり落ちた

 胸騒ぎが現実のものとなりつつあった。

 アヤの身に異変が起きたのだ。



 アヤはあっさり、普通にしていたと言ったそうだ。

 元気ですよ、とも。


「実際、アヤちゃんは元気そうでした」


 連行されたわけではないようだ。



 ンドペキが探した街区より、さらに先の街で発見したという。


「なにか用事でもあるのか、急ぎ足で歩いているところを見つけたんです。颯爽としていて、何となく嬉しそうで」



 しかし、隊員の次の言葉は、部屋の中に砕氷機の中身をぶちまけたかのようにすべてを凍りつかせた。


「一緒に帰ろうというと、私の家はそっちじゃないというんです」

「は?」


「それに、私の顔も覚えていないようでして……」

「えっ」

 隊員が生唾を飲み込む音が聞こえた。

「まさか」


「……ンドペキのことも……」

「な!」



 隊員は、一人ひとりの名を挙げたという。

 スゥ、イコマ、JP01、レイチェル、スジーウォン、チョットマ、コリネルス……。

 そして首を振った。


「誰も……」

「そんな……」



 イコマは膝が震えてきて、眩暈がした。

 思わず椅子の背を掴んで体を支えた。

 ユウの腕が腰に回され、それを握って落ち着こうとした。

 ンドペキも声が出せずに、隊員を睨みつけている。


 隊員は申し訳なさそうに、うな垂れている。

 自分の腕を強く抱きしめたスゥの指先が白くなっていた。

 レイチェルは赤くなった目を見開き、言葉を失った唇を震わせていた。


「覚えていない……」


 チョットマの呟きが沈黙の中に消えていき、テーブルに置いてあったリンゴが一つ、転がり落ちた。

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