70 一番聞きたいことはなんだ?
向かいあって座ったアイーナに隠れて、キョー・マチボリーの椅子は見えなくなってしまった。
まるでこの部屋の主がそこにいないかのような、妙なレイアウトである。
チョットマ用に椅子は出現しない。
しかたなくアイーナの横にちょこんと腰かけることになった。
先ほど感じた怒りはたちまち萎んでしまった。
チョットマの表情は、それほど暗かった。
「あなたがパパさん?」
アイーナの挨拶はそんな言葉で始まった。
「この子、今日はなんだか元気がないみたいで」
そんなことないですよ、とチョットマは言うが、その声もいつもと違う。
イコマは言われるまでもなく気づいていた。
今朝からチョットマはふとした拍子に暗い顔を見せる。
その原因はきっとこうだ。
昨夜、チョットマはマスカレードに行ったのだ。
そして、EF16211892に会えなかったのだ。
かけてやる言葉はなかったが、チョットマも大人の階段をひとつ登ったということ、とほほえましくさえ感じたのだった。
それにしても、コンピュータによって作り出された男に心を動かされるとは、と思いながら。
「さっき、チョットマが報告してくれたんだが、地球から来た人たちの不安の元が、私たち自身にあるそうだな」
アイーナは嫌味で言ったわけではないだろうが、真意を測りかねてレイチェルもイコマも黙っていた。
「私たちが地球に降り立って以来、互いのことを語り合う時間を持てなかったことが原因かな」
侵略者として地球に戻ったわけではないんだがな、とアイーナは肩をすくめる代わりに腕を広げてみせた。
実際、この宇宙船に乗り込んでからも、互いに打ち解ける場面はない。
パリサイドから話しかけられることはまずないし、地球人類から近付いていくこともない。
「私の失敗。歓迎式典でもすればよかったかもしれないな」
ようやくレイチェルが口を開いた。
「いえ、とんでもない。十分していただいています。なんとお礼を申し上げればよいか……」
「私は今、チョットマのパパさんと話している」
強い口調ではなかったが、アイーナはレイチェルを無視する態度を見せる。
そして、悲しい顔をした。
「ああ、地球に戻りたかった……」
もう二度と、地球には戻れない……、のだろうか。
その実感がない、ということが人々に不安を呼んでいるのではないだろうか。
イコマはそんな気がして、自問した。
覚悟というのだろうか。
自分に、それができているかと。
パリサイドは神の国巡礼教団の一員として地球を離れて四百年。
望郷の念に駆られて地球への帰還を熱望していた。
その心情を理解できていただろうか。
市民を責めることはできない。
なにしろ、世界中を混乱に陥れ、肉親を奪っていった憎き教団が、懐かしくなって、などと言って帰って来たのだ。
歓迎できるはずもない。
自分の場合はユウという愛する人と再会できたことで、パリサイドに対する憎しみはほぼないと言っていい。
しかし、彼らの気持ちを理解できていたかといえば、そうではない、と思った。
レイチェルはどう感じていたのだろう。
そして、アイーナの今の嘆息を聞いて、どう感じたのだろう。
レイチェルの無表情な横顔は、幾分白んでいて、自分の感情を抑えている。
「しかし、もう時間はない。今更だが、講義の時間を増やすくらいしか。どうだ? レイチェル長官」
硬い表情のまま、レイチェルが頷いた。
「では、一番聞きたいことはなんだ?」




