1話
薄暗い宿舎の一室に、重苦しい静寂が満ちていた。テーブルの上のランプがチラチラと不穏に揺れ、 壁に4人の影を歪んで映し出している。
「ユーリ、お前は今日限りでこの『聖剣の誓い』から追放だ」
パーティーリーダーであり、勇者の称号を持つケインが、あくびを噛み殺しながらそう言い放った。あまりにも唐突で、投げやりな宣告。
「……追放、か?」
ユーリは静かに言葉を返した。一瞬の困惑はあったが、感情を爆発させるような真似はしない。
これまで、幾多の死線をともに潜り抜けてきたはずだった。魔王軍の幹部と遭遇した時も、大ダンジョンの最深部で全滅しかけた時も、ユーリは最後尾から一歩も引かず、味方を支え続けてきた。タダ飯を喰っていたつもりなど微塵もない。
「そうだ。理由なら分かってるだろう?」
ケインは面倒くさそうに頭を掻き、背もたれに深く体重をかけた。
「お前のバフはとにかく地味で弱い。攻撃力がドカンと上がるわけでもなけりゃ、派手なエフェクトもない。俺たちSSSランクパーティーにふさわしいのは、もっと劇的な強化ができる支援職なんだよ」
(地味、だと……?)
ユーリは内心で深いため息をついた。
ユーリの持つバフ術は、対象の全ステータスを無条件で「1.5倍」にするという代物だ。一般的に市場に出回っている強化魔法の倍率が「1.05倍」程度、高くても「1.1倍」であることを考えれば、桁外れの規格外。
基礎ステータスが狂っているケインたちの『1.5倍』が、どれほど戦況を左右していたか、この男は本気で理解していないらしい。
「ふん、ケインの言う通りよ」
斥候の女性・アイシャが、爪の手入れをしながら吐き捨てるように言った。
「あんたが後ろでボソボソ呪文を唱えてる間、私がどれだけ危険な目に遭ってると思ってんの? 1.5倍なんて気休めにもならないわ。もっと目に見えて素早くなるバフじゃないと、私の命がいくつあっても足りないの」
「まあ気にするなや、ユーリ」
大剣を肩に担いだ戦士のガルドが、下品な笑みを浮かべて追い打ちをかける。
「お前みたいな無能でも、これまでAランクダンジョンまで来られたんだ。感謝こそすれ、逆恨みはすんなよ? これからは身の丈に合った薬草採取でもして細々と暮らすんだな!」
嘲笑が部屋に響く。
労いの言葉ひとつなく、寄ってたかって自分を無能扱いする仲間……いや、元仲間の姿を見て、ユーリの心の中で何かが『パチン』と途切れる音がした。
怒りすら湧いてこない。ただ、冷え切った空虚感と、あきれ果てた愛想の尽き方だけが残った。
(そうか。言葉の通じない猿に、数学を教えようとした俺が愚かだったな)
「……分かった。理由には納得いかないが、そこまで言われて残るつもりはない」
ユーリが冷徹にそう割り切った瞬間、部屋のドアがノックもなく開いた。
「あらぁ、お話はまとまったかしらぁ?」
入ってきたのは、薄桃色の髪をなびかせた妖艶な女性だった。胸元と太ももが大きく露出した過激な衣裳を身に包み、甘い香水を撒き散らしながらケインの隣へと滑り込む。
「紹介しよう。彼女が新しいバッファーのカルラだ」
ケインは鼻の下を伸ばし、カルラの腰に回した手を馴れ合いの体で這わせた。アイシャが露骨に嫌そうな顔をしたが、ケインは気づきもしない。
ユーリは無言のまま、自身の秘術――【鑑定】スキルを静かに発動させた。カルラの全身に視線を行き渡らせる。
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## 【名前】カルラ
【レベル】70
【種族】ヒューマン
【HP】200/200 【VIT】60 【STR】40
【DEX】150 【INT】170 【MND】140 【AGI】50
【スキル】詠唱短縮、火炎魔法、狂気調律
(狂気調律……?)
ユーリの思考が素早く回転する。鑑定スキルの詳細情報を脳内で開く。
『狂気調律:指定した2つのステータスを2倍にする代わり、それ以外の全ステータスを0.8倍にする』
――致命的な欠陥(罠)だ。
確かに攻撃力と素早さを「2倍」にすれば一見強力に見えるだろう。しかし、耐久力(VIT)や精神力(MND)が「0.8倍」に落ちれば、一撃死のリスクが跳ね上がる。何より、普段の体の感覚が狂い、回避行動や精密な攻撃に支障が出る呪いのようなスキルだ。
(ケインの攻撃力を2倍に引き上げ、ガルドの防御力を削り、アイシャの素早さを上げる代わりに回避感を狂わせる……か。次の高難度ダンジョンで、こいつらは確実に全滅する)
一瞬、忠告してやろうかという迷いが脳裏をよぎった。だが、先ほどまでの嘲笑と罵倒を思い出す。
(――言う必要はないな)
自業自得だ。愚かな者には、相応の末路がお似合いだ。
「わかったよ。じゃあな」
ユーリは短く告げ、背を向けた。
「待てよ、ユーリ」
ケインが呼び止める。振り返ると、ケインはニヤけた面下げて、ずっしりと重い革巾着をユーリの足元へ投げつけてきた。
ジャリッ、と鈍い金属音が床に響く。
「手切れ金だ。今まで世話してやった情けと、口止め料だ。ギルドや街で『聖剣の誓い』の悪口を言いふらされたら迷惑だからな。これまでの関係は白紙だ。それを持っていけ」
ユーリは足元の巾着を見下ろした。
一度は「要らん」と蹴り飛ばそうとした。だが、冷徹な理性がそれを制する。
(ギルドの基本方針は『冒険者同士の問題は自分たちで解決しろ』だ。ここで突っぱねて暴力を振るわれるリスクを侵す必要はない。それに、明日からの生活費と……今後の計画には資金がいる)
「……仕方ない、受け取ってやる。二度と関わるな」
ユーリは拾い上げた巾着を懐に押し込むと、二度と振り返ることなく宿舎を飛び出した。
夜の冷たい風が、火照った顔を撫でる。
裏路地の街灯の明かりの下で、ユーリは巾着の中身を確認した。
「……金貨7枚か」
想像以上の金額だった。庶民なら贅沢をしなければ5年は暮らせる大金だ。追放の口止め料にしては奮発した方だろう。
だが、ユーリの胸に湧き上がってきたのは、ドロリとした不快感だった。
(あの愚か者どもの気まぐれと見下しで得た金で、これからちまちまと飯を食い、生活していくのか……? ふざけるな。虫唾が走る)
元仲間の金で生き延びるなど、ユーリのプライドが絶対に許さなかった。
この金は、今すぐ綺麗サッパリ使い切る。
(俺はバッファーだ。単体での戦闘能力は皆無に等しい。……なら、やるべきことは決まっている)
ユーリの目の前には、薄暗い路地の奥に佇む、鉄格子の嵌められた怪しげな館があった。
看板には、鎖と天秤の刻印。
――奴隷商。
「あの金で、今日中に一番高額で優秀な戦闘用奴隷を買う。俺の『1.5倍』を正当に活かせる、本物の相棒をな」
ユーリは迷いのない足取りで、怪しげな重い扉を押し開けた。




