第三十二話(最終話) 鳥籠の鍵、明かされる全て
翌朝、エミールが言った。
「昨日の話をしていいですか」
「はい」
「長くなります」
「構いません」
二人は、離宮の庭に出た。昨夜の花火の名残はなく、朝の光が庭園を静かに照らしていた。
◇
「まず、花火の件から」
エミールは、歩きながら話し始めた。
「あの召喚術式の構文は、私が古代文献から選びました。花火の起動術式を組み込んで、シオンに準備を頼んでいました」
「……やはりそうでしたか」
「あなたが言うたびに、恥ずかしそうにしていたので」
「今でも恥ずかしいです」
「でも、口にしてくれましたね」
「信用したので」
エミールは、少し口元を緩めた。
「昨日、あなたが言ったとき、広間全体が変わりました。恥ずかしかった言葉が、あの場所に似合っていた」
エリアーナは、黙っていた。
昨夜、泣きたいくらい嬉しかったという感情が、また少し戻ってきた。
「次は、元・王太子殿下の件です」
◇
「彼の継承権は、既にありません」
エミールは、静かに言った。
「正式な退位の前に、私が動きました。彼の政務上の不正に関わる書類を、複数確保していました。それを用いて、継承権の放棄を求めました」
エリアーナは、足を止めた。
「……それは」
「強制です。拒否できない状況を作った上で、署名させました」
「いつ、そんなものを」
「あなたが森にいた頃から、少しずつ集めていました。彼の失政の記録は、探せばいくらでも出てきました」
エリアーナは、エミールを見た。
「それが……今回の統合に、繋がったんですか」
「彼が継承権を持ったままでは、統合の交渉は複雑になっていました。先に障壁を取り除いた、という形です」
「……」
「これも、歪んでいます」
エミールは、エリアーナから目を逸らさなかった。
「正当な手続きではありません。あなたを守るためとはいえ、権力を使って、一人の人間の将来を変えました。それは事実です」
エリアーナは、しばらく黙っていた。
庭の木が、風に揺れた。
「昨日、戴冠式で彼を見ました」
「ええ」
「遠い話だと思いました。怒りも、恨みも、特になかった」
「そうですか」
「それは、あなたが先に片付けてくれていたから、かもしれません」
エミールは、何も言わなかった。
「歪んでいるのは、分かっています」
エリアーナは、また歩き始めた。
「でも、あなたが、私の見えないところで動き続けていたことも、分かっています。手帳には書き切れないくらい、色々と」
「……」
「全部、受け取ります」
◇
「最後に、手紙の件です」
エミールは、続けた。
「エルシオン王国からの手紙は、全て止めていました。使者も、二度来ていましたが、街道で足止めしました」
「知っています。シオンに教えてもらいました」
「そうですね」
「あのとき、エミールに聞いたら、また『もう少し待ってください』と言うと思っていました」
「……言ったと思います」
「だから、シオンに聞きました」
エミールは、少し苦い顔をした。
「シオンには、敵いませんね」
「情報の開示に関しては」
「それ以外では?」
エリアーナは、少し考えた。
「それ以外は、敵う場所の方が多いと思います」
「そうですか」
「シオンは便利ですが」
「ですが?」
「面倒くさい方が、好きです」
エミールは、少し驚いた顔をした。
それから、声を出して笑った。
エリアーナが、エミールの笑い声を聞いたのは、初めてだった気がした。
「……面倒くさい、ですか」
「褒めています」
「受け取ります」
◇
庭の端まで歩いたところで、二人は立ち止まった。
離宮の白い壁が、朝の光を受けていた。
「エミール」
「はい」
「鳥籠、と思ったことがあります」
エミールは、黙って聞いていた。
「最初に離宮に来たとき。豊かで、美しくて、私のために用意してくれた場所なのに、どこかそう思いました」
「それは」
「でも今は、違います」
エリアーナは、離宮を見上げた。
「鳥籠に鍵があるとしたら、最初からその鍵を持っていたのは私だったと思っています。どこへ行くかを決めるのは、ずっと私でした。追放されたあの夜も、村に来たときも、ここに来たときも、女王になることを選んだときも」
「……そうですね」
「あなたは、その鍵を守ってくれていた。それだけです」
「守り方が、歪んでいましたが」
「歪んでいた部分も含めて、受け取りました」
エミールは、しばらく、エリアーナを見ていた。
「逃がすつもりが、なかったのは」
「知っています」
「それでも」
「それでも、私は、自分の意思で選んでいます。今も、ずっと」
エミールは、エリアーナの手に、自分の手を重ねた。
昨夜と同じように。
「……ありがとうございます」
「またそれですか」
「言わせてください」
「しょうがないですね」
エリアーナは、離宮を見上げたまま、小さく笑った。
◇
それから、月日は流れた。
新しい国の統治は、エリアーナにとって研究の延長のような仕事になった。古代文明の農業技術が各地に広がり、乾燥地帯だった北部に水路が通り、荒れた土地がゴーレムによって整備されていった。
エミールは、影に徹し続けた。
表舞台には立たなかったが、エリアーナが「これはどうすれば」と言う前に、いつも答えを用意していた。
シオンは、行政文書の整理を担い、歴史上初めて「完璧に整理された国家記録」を残し続けた。
マリアは、食事の管理を諦めなかった。
ある春、視察先の村で、エリアーナは見覚えのある顔を見つけた。
畑の端で、村の子供たちに何かを教えている若い騎士。
「レオ」
呼ぶと、振り返った。
背が伸びていた。体格も変わっていた。それでも、あの頃の目と同じ、まっすぐな目をしていた。
「魔女様」
レオは、少し照れたような顔をして、それからちゃんと騎士らしく礼をした。
「女王様、か」
「どちらでも構いません」
「じゃあ魔女様で」
「そうしてください」
レオは、子供たちに「また来る」と言い残して、エリアーナのそばに来た。
「……元気そうですね」
「まあ、そこそこ」
「騎士になりました」
「なりましたよ。言ったでしょ」
「言いましたね」
二人は、しばらく、畑を眺めた。
「ゴーレムが、ここにも来ましたか」
「来ましたよ。テツジンの仲間が三体いる。みんな、もう普通に挨拶してます」
「良かったです」
レオは、少し遠くを見た。
「魔女様、幸せですか」
エリアーナは、少し考えた。
「はい」
「そっか」
「レオは」
「まあ、そこそこ」
「それで十分です」
「魔女様みたいな言い方ですね」
エリアーナは、小さく笑った。
レオも、つられて笑った。
◇
夕暮れ、エリアーナは手帳を開いた。
今日の記録を書こうとして、ふと最後のページを見た。
「意図不明」欄の、最後の一行。
『廃屋で叫んでいた夜も、全部、見たかった顔だったと言った。理由、不明』
その横に、小さく書き足した。
『理由、判明』
それだけ書いて、手帳を閉じた。
窓の外で、エミールが庭を歩いているのが見えた。
いつもの、少し不機嫌そうな顔をしていた。
エリアーナは、窓を開けた。
「エミール」
「はい」
「今夜、一緒に研究してもいいですか」
エミールは、少し間を置いてから答えた。
「いつでも」
エリアーナは、窓を閉めて、書庫に向かった。
廃屋の木箱から始まった夜は、まだ終わっていない。
(完)
最後まで物語を読んで頂きありがとうございました。
エリアーナとエミールの物語を最後まで見届けてくださり、本当にありがとうございました。
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「愛する人のためにも、自分自身を大切にする」ことを知る物語です。
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