終幕 普通に生きたかっただけなのに、世界の方が変わりました
季節が、ひとつ巡った。
王都は、変わったようで、変わっていない。
人は歩き、
商人は声を張り、
子供は笑う。
いつもの日常。
ただ一つ違うのは――
“崩れないように調整されている”こと。
誰も明言しない。
だが、誰もが知っている。
この日常は、偶然ではない。
――維持されている。
アルヴェイン公爵邸。
庭。
「今日は少し暖かいわね」
リリアーナが言う。
「ええ」
エリシアが頷く。
「春っぽい」
レオニードは、静かに周囲を確認する。
異常なし。
兆候なし。
感情波形、安定。
――理想状態。
そして。
母が、その様子を見て微笑む。
「いい流れね」
小さく言う。
それは評価であり、確認でもある。
リリアーナは、そんなことを知らない。
ただ、花を見ている。
「ねえ」
ぽつりと呟く。
「このままずっと、こんな風に過ごせたらいいわね」
その言葉に。
空気が、ほんのわずかに揺れる。
だが。
崩れない。
維持される。
エリシアが笑う。
「できるよ」
自然に言う。
「皆でそうしてるから」
リリアーナは少し考えて。
「そうね」
と頷く。
それで十分だった。
――王城。
「現状維持」
王太子が言う。
「干渉最小」
「刺激回避」
側近が記録する。
すでに制度化されている。
法律ではない。
だが。
それ以上に強い。
――“前提”。
「……結局」
王太子が小さく呟く。
「我々が合わせるしかないか」
否定する者はいない。
それが現実だから。
――アルヴェイン公爵邸。
夕方。
ティータイム。
四人が揃う。
静かな時間。
穏やかな会話。
何も起きない。
本当に。
何も。
黒竜も現れない。
空も変わらない。
音も消えない。
ただ。
普通の時間が流れる。
「お母様」
リリアーナが言う。
「なに?」
「やっぱり、こういうのが好き」
一拍。
「普通の毎日」
母は、少しだけ目を細めた。
「ええ」
静かに答える。
「それが一番難しいのよ」
リリアーナは首を傾げる。
「そうかしら?」
「ええ」
微笑む。
それ以上は言わない。
言う必要もない。
――夜。
リリアーナは、ベッドに横になる。
目を閉じる。
静かな呼吸。
感情は穏やか。
波はない。
完全な安定。
その瞬間。
王都の空が、わずかに揺れる。
誰も気づかない。
ただ一つの存在を除いて。
遥か上空。
黒竜が、静かに佇んでいる。
降りない。
近づかない。
ただ。
見守っている。
「……主」
低く、誰にも届かない声。
その視線は、優しい。
絶対的な存在でありながら。
ただ一人に対してだけ。
従順で。
穏やかで。
そして。
満たされている。
――必要がないから。
何も起きない。
それでいい。
それが最適。
――翌朝。
リリアーナは、目を覚ます。
「いい天気ね」
いつもの一言。
それで、世界が整う。
エリシアが笑い、
レオニードが確認し、
母が見守る。
王都が動き出す。
何も起きない。
何も起こさない。
ただ。
普通の日常。
それだけ。
――それが、この世界の最終形。
彼女は、ただ普通に生きている。
それだけのことだった。
ただし。
世界の方が、それを維持するために全力だっただけで。
――終




